2207話 世代1 テレビ

 ゆとり世代とかZ世代といった世代論にはまったく興味がないが、時代環境に応じた世代というのは、確実にある。

 戦前期でいえば、学童疎開世代や徴兵世代、学徒動員世代といったように、ある時期に何歳だったかで、その後の運命が変わることがある。私がもしアメリカ人だったら、ベトナム戦争で徴兵される最後の世代だっただろう。だから、抽象的な世代論などどうでもいいが、ある時代と世代というのは、現代史を考える上でも、いい時間つぶしになる。

 そんなことをふと思ったのは、テレビ放送開始を取り上げたテレビ番組を見ていたときだ。日本でテレビ放送が開始されたのは、1953年2月にNHK、8月に日本テレビ。55年にTBS、56年にCBC中部日本放送)、朝日放送テレビ。57年に北海道放送。58年から59年に一気に放送局が増える。

 テレビ受像機普及率は、1957年ごろで8パーセントだった。皇太子の結婚パレードが生中継された59年には30パーセントを超え、60年には50パーセントも超えている。90パーセント近くになるのは、東京オリンピックが開催された1964年だ。1939年にテレビ放送を開始したアメリカでも、普及率50パーセントを超えるのは1950年代半ばだから、それほど大きな差はなかった。なお、テレビ普及率の数字は資料によって食い違いがあるのので、ここではこの資料を使った。

 1952年生まれの私の世代は、こうした現代史を記憶している。「そうか!」と気がついたのは、私の世代は、「家にまだテレビがなかった時代」を記憶しているほぼ最後の世代なのだ。1952年生まれの子供が「ものごろこつく」というのを仮に4歳だとすると、1956年。この年に日本にテレビ受像機が何台あたのかという資料がないようだ。私の弟や妹の世代を仮に1955年生まれとすると、ものごころがつく60年前後だと、すでにテレビがある家庭が増えてくる。もちろん、その時代離島や山村では電気もないという時代だから、これは町場の話だ。

 我が記憶の底を掘り起こし、奈良の村で過ごしていた1950年代を思い出す。まだテレビはない。それどころか、家庭電気製品がほとんどないのだ。テレビはもちろん、冷蔵庫も洗濯機もない。炊飯器もない。街のアパートでは電熱器(電気ヒーター)を使っている人はいただろう。電気ポットを使っている人もいただろうが、我が家には家庭電機製品というものが何もなかった。こたつも炭火だった。豆炭を使ったこともあったかもしれない。

 電球はあった。電気のない生活は体験していないが、電気用品といえば電球だけだった時代の記憶はある。新し物好きで、電気や機械のエンジニアであった父は、蛍光灯を買ってきた。ヒモを引っ張てもすぐには点灯しないことから、反応が鈍い人を「蛍光灯」と呼んだ時代を記憶している。

 蛍光灯の次は、父が手作りしたラジオがあった。そのあと、やはり新しい機械が大好きな父は、トランジスターラジオを買った。たぶんその前に、姉の小学校入学を祝って、電灯スタンドを買った。そして、1959年に、やはり機械が大好きな父がテレビを買った。あの時代、テレビ番組を見せてもらいに近所の家に行くというのは当たり前のことだったが、それがいやだとか「ウチもテレビを買って!」とせがんだ記憶はない。考えてみれば、ウチにテレビが登場してからもテレビ少年だった記憶はない。テレビの前でじっとしているより、近所の友だちと野山を駆け巡り、竹ひごで何かを作り、ヒガンバナやイタドリを取ったが、おいしい実を見つけていた。それが楽しかった。

 そうだ。街暮らしの少年少女は違うかもしれないが、田舎暮らしの私たちは、家にテレビがなくても毎日が楽しかった最後の世代なのかもしれない。