家にテレビがなかった時代、「そうだ。あれも、もしかして・・」と思いついたことがある。家に電話がなかったのだ。1950年代に自宅に電話があったのは、金持ちか仕事で必要な人たちだろう。
1941年生まれの倍賞千恵子は、1961年に松竹から映画デビューした。東京に住んでいる映画俳優なのだが、自宅に電話がなく、電話がある近所の家の電話を使わせてもらっていたという。その近所の家に倍賞宛の仕事の電話がかかると、倍賞家に「電話ですよ」と呼びに行く。だから、当時の名刺など連絡先には電話番号のあとに(呼)という記号がついていた。呼び出し電話の意味だ。そういう時代があったことを私も覚えている。1960年代の都会では、 (呼)は当たり前だった。三畳ひと間で暮らす貧乏大学生なら、自室に電話がないのが当たり前だった。
奈良の村に住んでいた時代、資産家で元村長の家に行くと、壁に木製の電話機があったのを覚えている。ハンドルを回すと交換手が出て、相手の番号を伝える方式だった。そういうタイプの電話機は、1950年代でもまだ製造していたらしい。1960年代からしだいに自動化が進み、1979年に完全自動化となったようだ。
70年代初めごろだったと思うが、ダイヤル式の黒電話がウチにあった。都会に住んでいるサラリーマン家庭なら、たぶんもう少し早いだろう。ということは、1960年前半あたりが「家電(いえでん)」が増える時代かもしれないと想像したので、資料で確認しよう。
1950年代の電話普及率は想像以上に高いので驚いたのだが、よく調べてみれば業務用の電話も併せた数字で、住宅用電話は1965年でも10パーセントに満たない。1970年でも30パーセントに至らず、1975年で60パーセントを超えている。ということは、1960年代前あたり家電(いえでん)普及の時代かという仮説は崩れた。もう少し後だ。想像で書くが、1970年代になっても、アパート暮らしをしていた若者の多くは電話を持っていなかったと思う。友人のアパートは、大家が階下に住んでいるから、緊急事態の場合は大家の家に電話連絡が来ることになっていた。そのため、友人は帰省した時は郷土土産を持ち帰るのを習慣にしていた。いつもお世話になっているお礼だ。都会でひとり暮らしする若者でも、親の仕送り次第で、四畳半か6畳の部屋に電話があるという生活を送れるものもいた。学校を卒業して働くようになると、仕事の都合上、電話が必要になることもある。
例外的に、「ユーミンの歌詞的生活」を送る大学生がいて、青山のマンションに住み(当然、電話はある)、自動車を持っているという医者の娘がいたが、もちろん私の交際範囲ではない。彼女と多少かかわりのあった友知人の話では、青山のマンションは親が投資用に買ったもので、娘が大学を卒業すれば実家に戻り医者と結婚して、院長夫人になるというのが親の計画だったが、彼女は親の計画を無視して、東京で就職した。青山から引っ越した住まいは、木造モルタル2階建て四畳半風呂ナシ、もちろん電話なし生活を始めたというが、その後どういう生活になったのか、まったく知らない。今は誰でもスマホを持っている時代だが、かつては富める者だけが電話を持っている時代だったなんて、今の若者は信じられないだろうな。
家に電話を引くには、「電話債券(加入者債券)を購入して・・・」といっためんどくささと金額の話を始めると長くなるので、省略する。
その後の、ファックス、コードレス、携帯電話などの普及があったが、世代が最初とか最後と言ったようなことはない。1960年代生まれでも、「子供の頃、ウチに電話はなかった」という記憶がある人が少なからずあるようで、今回の「電話と世代」の話は、たんなる思い出話になってしまった。