2210話 世代4 木造校舎

 私の昔話は、「時代の記憶」として、このアジア雑語林1826話以降、ある程度まとめて書いた。雑多なテーマでコラムを書いたが、私の世代が最初あるいは最後という視点で眺めると、学校の校舎のことが浮かんだ。木造校舎を体験したほぼ最後の世代になるのではないかという説だ。ただし、正確な話ではない。校舎は地域差が多いから、ある時期に一気に変わるということはないのだが、それでも一応の「時期」というものがあるような気がする。

 想像で書くと、私の世代より上は木造校舎を体験していて、私の世代よりも下の世代は、団地の登場などにより、鉄筋校舎が増えていると思うが、もちろん地域差が大きい。何の参考にもならないが、個人的な体験を書いておくと、私が学んだ小学校も中学校も戦後に建った木造校舎だったが、卒業後まもなく鉄筋コンクリート校舎に建て替わった。校区には、日本軍の施設がまだ残り、引き上げ者などが住む住宅になっていた。1960年代のことだ。

 木造校舎を体験しているということは、汲み取りトイレを体験しているということであり、団地育ちで鉄筋コンクリート校舎で学んだ人たちは、家庭でも学校でも水洗トイレの生活だったということになる。

 高校は、講堂と図書館以外はできたばかりの鉄筋校舎だった。あっ、思い出した。校舎は我々が入学するちょっと前から新築工事が始まっていて、在学中も体育館工事などをやっていた。

 授業中も工事の音が聞こえていたことで思い出したことがある。初夏の暑い日で、窓は全開しているから、工事の音がよく聞こえた。教師が話し始めた。

 「お前ら、勉強しないと、建設工事をやっているような人間になるぞ。適当に受験勉強をやってんじゃないぞ」

 すぐさま、学級委員長的な生徒が、「職業に貴賤はないと思います!」と強く異議を申し立て、教師はなんだかんだと理屈をつけつつ、言葉を濁した。たぶん、ほかの生徒は、現実的に、教師の言っていることは正しくて、だからより上等な大学に入学するように熱心に受験勉強をしているのだ。私はと言えば、「まあ、世間はそう見ているよな」程度の認識で、とくに怒りを感じなかった。父はまさに「工事の人」であり、工事で稼いだカネで私を高校に進ませてくれた。私も高校を出てすぐに工事現場で働いて旅行資金を稼いだ。沖縄方面を旅していた時は、資金稼ぎで鹿児島県立与論高校の新築工事をやったこともある。そういう生活をしていて、背広組をうらやましいと思ったことはない。夏でも背広を着ていて、満員電車に詰め込まれている毎日をうらやましいとおもうわけはない。

 私が通った高校の校舎は、現在建て替え工事の計画がするんでいるようだ。60歳の校舎か。私の卒業後にコンクリート校舎になった小学校も中学校も、建て替え計画があるかもしれない。財務省令では、鉄筋コンクリート校舎の法定耐用年数は47年だそうだ。