2213話 世代7 海外旅行 1

 スコットランドの古本屋奮闘記『ブックセラーズ・ダイアリー』はすこぶるおもしろかったのだが、その第2弾が発売されていると知った。『ブックセラーズ・ダイアリー2:スコットランド古書店の日々ふたたび』。訳者も版元も変わって、さてどうだろうか。読みたい本が山積みだ。

 さて、今回は海外旅行と世代の話。今部屋に流れているのは、今日届いたCD。サルサやボサノバなどを集めた3枚組”Essential Latin”。

 私の初めての海外旅行は、1973年、21歳の時だった。この1970年代、とくに70年代前半というのは、海外旅行史上ある時代の終わりであり、ある時代の始まりであった。

 1960年代までの海外旅行は、大金持ちは船の旅、小金持ちは飛行機の旅で、移民のような貧乏人は船旅だった。日本からヨーロッパへの旅は、戦前から航路とシベリア鉄道の両方の移動手段があったが、資料を調べると、最低限の費用はどちらもそれほど変わらなかったらしい。船は多少高くても、日本の港を出ればヨーロッパに着くまで船上で過ごしていればいいから気楽だ。鉄道ルートは乗り換えや出入国手続きなど、荷物を持っての乗り降りが煩雑といった欠点があった。ヨーロッパまで鉄道を使う場合も、日本を船で出ることに変わりはない。

 1960年代後半になると、空の旅が力を持ち始め、定期航路がなくなってきた。1970年代に入ると、船旅は贅沢なものに変わりつつあった。70年代に登場してきたのは、往復の日程だけが決まりあとは自由行動のツアーや、団体旅行用航空券のバラ売りなどがちらほら登場するが、まだ格安航空券会社は堂々とは姿を見せていない。パチンコ屋の景品買いほどの認知度もなかった。

 日本円の価値が変わるのもこの時代だ。それまでの1ドル360円の固定相場が、1971年8月、308年の固定相場に移行(これをスミソニアンレートという)。73年2月に変動相場制に変わり、270円くらいでスタートしたが、次第に円安傾向になり、75年にはふたたび300円くらいになる。その後一転して円高傾向になり、78年10月には175円になるが、80年には250円まで安くなる。資料

 私の最初の旅は、日本円が変動相場制に変わったまさにその年で、「300円まではしなかった」という程度だが、360円時代を知っている諸先輩方々は、「円が高くなった」と喜んでいた。73年の、バンコク楽宮旅社は1泊25バーツ。1バーツ15円だったから、日本円にすれば375円。この料金は、その当時の大阪西成の簡易宿泊所の個室(東京では2段ベッドの大部屋が普通だったが、大阪では個室が普通)料金とほぼ同じだった。

 

 1970年代前半ごろの日本人旅行者のリュックは、テントや寝袋や炊事用具を持った旅行者は、登山者が使っている横長のリュック、通称キスリング(このリュックを考案したスイス人の名前)を使う者がいた。日本では、「カニ族」と呼ばれた旅行者が愛用していた。初めての海外旅行に際して私が買ったのもこのキスリング型だが、カニといっても沢蟹くらいの小型で、元山岳部員からは「そんな小さいのはキスリングとは呼ばない」とバカにされていた。ヨーロッパをはじめ、アフリカやアメリカ大陸をヒッチハイクをしていた旅行者が登山をするかどうかに関係なく、キスリングを愛用していたことが彼らが書いた旅行記の写真でわかる。ちなみに、日本国内をくまなく歩いた宮本常一もリュックサックの愛用者で、もしかすると軍隊のリュックだったかもしれない。

 小さなリュックでも、リュックを背負って歩く習慣のない私は、肩が痛いのと、背中が汗で濡れて臭くなるのがたまらなくいやだった。そんな私がインドで出会ったのが、金属パイプのフレームがついたリュックだ。背負子に袋がついた形で、欧米人旅行者の多くは、このフレームザックを使っていた。

 快適そうなので、帰国して都内の登山用品店で巡ったのだが、パイプフレームのザックを置いている店は少なく、やっと探しだして買った。そのザックは1983年のアフリカ旅行まで使ったが、70年代後半あたりではもうフレーム内蔵のものが主流になっていた。私は背中が汗だらけになるのが嫌で、現在に至るまでショルダーバッグを愛用している。

 余談だが、旅行用のリュックやバッグの説明に「3泊用」とか「5泊用」とか書いてあるのが不思議でしょうがない。旅の荷物なんか人それぞれだろということはともかく、リュックの話はまだ続く。