「若い」といっても、大学院生から若き教授くらいまで幅が広いのだが、彼らが書いたバックバッカ―関連の論文をいくつも読んだ。どれも、だめだ。指導教授は何を考えているのだろうかと大いに疑問がある。
バックパッカー研究というのは、ゲストハウスに行って、旅行者にインタビューすればそれでお終いという構成で、深さも幅もない。論文では直接触れないとしても、基礎学力・基礎知識が必要だが、そんなものがない代わりに、西洋の学者の論文を引用して取り繕っている。そんなものは、学術論文ではない。
例えば、日本人宿を取り上げたとする。そういう論文が実際あるのだが、ここでは個別の論文を批判することはあまりしないことにする。
日本人宿を取り上げるなら、その歴史や広がりを探っておく必要がある。ある国籍や民族や宗教によって、ある宿泊施設に集まってくるという例を考えないといけない。5000字や1万字程度の論文ではなく、1冊の本にするくらいの長い論文にするなら、そのくらいの下調べはしておくべきだろう。想像を働かせれば、中国人街の宿、インド人街の宿がある。それほど大きなものでなくても、香港のチョンキンマンションにはインド亜大陸出身者が集まる安宿があった。今は知らないが、ロサンゼルスの日本人街には、日本人宿があった。
バックパッカーの時代になり、日本人やイスラエル人や、そのあとに韓国人たちが集まる宿が世界各地にできるようになった歴史を考えないといけない。「現代民族宿泊施設の成立事情」の考察だ。
バックパッカー研究のフィールドワークといえば、バンコクのカオサンに行って旅行者にインタビューというのが定石だが、その前にカオサンという場所がいかにしてバックバッカ―が集まる場所になったのかという歴史的考察をきちんとやった研究者はいない。
若き研究者たちに決定的に欠けているのは、基礎知識と基礎学力だ。「旅したことがあります」という経験だけで、論文が書けると思っていないか。西洋人が書いた観光学関連論文を読めばわかると思っていないか。ここではあえて名前を出しておくが、新井克弥と大野哲也の本を主要参考文献にあげている論文はひどい結果になる。
そんな不満ばかり口にしていてもしょうがないので、手元の資料を公開することにした。旅行史を扱う学者は関心がないだろうが、過去の旅行に興味がある誰かに、私が集めた資料を公開することにした。
雑誌「旅」がまだJTB出版局から出ていた時代、日本人の海外旅行史研究を連載することになった。2001年11月から連載が始まり、のちに『異国憧憬 戦後海外旅行外史』(JTB 2003)として単行本にまとまった。その連載前に、基礎知識を仕入れるために、旅行史年表を作った。当時はまだワープロ専用機(東芝ルポ)の時代で、さまざまな資料から重要だと思われる事柄をメモとして、ワープロに書き入れて行った。最終的に、そのメモは単行本1冊分ほどになった。
メモを記録したフロッピー・ディスクは引き出しの中に入れたまま時間が流れ、廃棄処分にした。ただ、フロッピー・ディスクを廃棄する前に、その第2稿か3稿の一部をプリントアウトしたものがあり、それを大学での授業資料用にパソコンにメモし直したのが今回公開する年表だ。簡易版だから20万字もないが、まあ、けっこうな分量はある。
これから公開する年表は、あくまでメモであり、校正校閲は一切していない。誤字脱字がいくらでもあるだろう。数字の間違いも多いと思う。エクセルを使っていないから、レイアウトがずれている。欠点だらけのメモをちゃんとした原稿にするのはあまりに手間がかかるから、書きっぱなしのままだ。だから、読むだけならいいが、資料に使おうとするなら、充分に校閲する必要がある。それでも、少しは参考になる部分もあると思う。
本来なら、それぞれの情報の出典を明記するべきなのだが、あまりに多くの資料を使ったので、出典がわからないものが多い。旅行関連のおもな情報は、トラベルジャーナルの『日本人の海外旅行20年』、『日本人の海外旅行30年』だ。ほかは、主に、各種昭和史年表を使った。それぞれの情報源を明らかにすると膨大な行数になることもあって割愛したが、一部は拙著『異国憧憬』に書いてある。もとの資料を作った方々に謝して、ここで出典を明記しないことくをお詫びする。
次回から公開する資料は、新書1冊分くらいの量になる。一気に公開しないで、毎回の読み物として、日々少しづつ公開する。30回分以上あるだろう。