2217話 日本人の海外旅行史 2

海外旅行史年表 戦前編

 戦前期までの旅行事情を解説した資料は多くあるが、年表にまとめたものはあまり多くないと思う。ここで紹介しているのは、簡易版で本格的にやるなら、この50倍以上になるだろうが、私は手を抜いた。この時代の旅行事情研究者は多くいるからだ。

 

1866慶應2)年 海外渡航禁止令廃止。幕府が正式に海外渡航を認め、海外行免状(旅券)を発行する。渡航の条件は、「断髪しない」「外国の宗教に惑わされない」など。渡航者は、おもに軽業師、手品師など。

1867 パリ万博開催。佐賀鍋島藩と薩摩島津藩が幕府とは別に参加。鍋島・島津はやきものを展示。幕府は芸者を連れて行く。それが日本女性渡航第一号。

1868明治元年) 最初の海外移民153人がハワイに(サトウキビ農民として)。グアムにも40人。政府の正式許可のないまま旅券も持たずに出発し、失敗に終わる。

1869 オランダ商人が福島県人40人を連れてカリフォルニアへ移民。失敗し、離散。

1878(明治11年) 外務省が「海外旅券規則」制定。

1885 ハワイ王国と日本政府が正式に契約し、日本人943人がハワイに。

1886 イギリス商人が日本人40人を南太平洋の木曜島に送る。

1889 アメリカに日本人が約2000人在住。ほとんどは学生と自由民権論者。

1892 ニューカレドニアに日本人労働者が渡航

1894 フィジーに日本人移住。

1895 下関条約により、清朝が台湾を日本に割譲。

1897 榎本武揚の日本人農業定住地計画事業として、メキシコに28人移住。

1899 ペルーに790人移住。

1901 ドイツでカール・フィッシャーが、若者の運動組織を結成。「ワンダーフォーゲル(渡り鳥)」と名づける。

1903 フィリピンのベンゲット道路工事に日本人契約労働者3000人参加(~05年).

チリに炭鉱労働者126人渡航

1904 フィリピンのダバオに150人移住。のちに大コミュニティーに。

1907 日米紳士協定によって、アメリカへの日本人移民が制限され、ブラジルやメキシコに移住する者が増える。

1908 最初のブラジル移民、笠戸丸で出発。契約移民781人、自由移民10人。

朝日新聞社主催の「世界一周会」出発。日本初の世界一周旅行で、企画は横浜に支店を出したトーマスクック社。96日間、2340円。80人が参加した。当時の2340円は、銀行員の初任給の約60か月分の給料。銀座4丁目の土地は坪500円。 

1910 韓国を併合し、日本人多数が朝鮮半島に移住。

1912 鉄道院が中心となり、日本郵船、東洋汽船、帝国ホテル、南満州鉄道などが出資して、外国人を日本に呼ぶための機関、ジャパン・ツーリスト・ビューロー(JTB)を創設。現在のJTBは、ジャパン・トラベル・ビューロー。

ドイツにワンダーフォーゲル関連の組織がいくつも生まれてきたが、この年「ワンダーフォーゲル登記結社」発足。

同じくドイツ。シルマンのユースホステル運動案が、ドイツ帝国の支援を受けることになる。

1916 シベリア鉄道ハバロフスク経由ルート)開通。

1924 アメリカが日本人の新規移民を禁止。

1927(昭和2)JTB単独主催の海外旅行催行。「米国視察団」(約60日 2950円、23人参加)と「世界一周視察団」(約90日、3500円、22人参加。シベリア経由ヨーロッパ→アメリカ→日本のルート)

1929 コロンビアに25人移住。

1931 日本郵船の料金。横浜・上海は1等65円、2等24円。長崎・上海は1等35円、3等16円。当時の銀行員初任給は70円。

1932 満州国建国。日本人多数移住。

アムステルダムで、第1回国際ユースホステル会議開催。

1935 立教大学ワンダーフォーゲル部誕生。

1937 日本航空運輸が、東京と新京、京城、大連、天津各路線開設。その他の航空路も順次開設。

1938 ブラジル、日本人移民を制限。

1941 太平洋戦争開始。JTBは東亜旅行社と改称。

1945 終戦