戦後日本の海外旅行関連年表(アジアを中心にして) *映画はおもに日本公開年
1945 9 財団法人東亜交通公社が、財団法人日本交通公社と改称。*東亜交通公社の前身は、1912年に外国人客誘致斡旋機関として設立された「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」で、戦時中は財団法人東亜旅行社そして東亜交通公社となった。戦後、日本交通公社の業務はGHQからの命令により、軍人や軍属とその家族、報道関係者など外国人相手の旅行斡旋業を独占していた。他社が参入できるようになったのは、1948年から。
出版:『日米会話手帳』(科学教材社)は、終戦のひと月後の9月15日に初版30万部で発売し、たちまち完売。最終的には360万部を売り、長らくベストセラー第一位だった。この本の版元を「誠文堂新光社」としている資料が多いが、間違い。
9 米軍はNHKの本部を使い、WVTRというラジオ局開設。音楽は、ロサンゼルスの本部を置くAFRS(Armed Forces Radio Service)が製作した番組を放送していた。NHKの手を離れFEN(Far East Network)となり、97年にAFN(American Forces Network)に改称。
ラジオ:9「実用英語会話」(講師・杉山ハリス)
ラジオ:11「基礎英語」(講師・掘英四郎)
1946 パン・アメリカン航空のホテル部門を、インター・コンチネンタル・ホテルとして設立。
出版:「リーダーズ・ダイジェスト」日本語版創刊 /アメリカのマンガ「ブロンディ」が「週刊朝日」で連載始まる。朝日新聞夕刊の連載は1949年から。
映画:「カサブランカ」(ハンフリー・ボガード)
♪「朝はどこから」(安西愛子・岡本敦郎)/「青春のパラダイス」(岡晴夫)
ラジオ:2月「英語会話」(講師・平川唯一 ~51年)放送開始
1947 6 アメリカンプレジデントライン(APL)が極東航路再開(10月説あり)。その後、ヨーロッパの客船が日本に立ち寄るようになる。
7 ノースウエスト航空、東京線開設。
9 パン・アメリカン航空。東京線開設。
12 戦後初の世界一周船プレジデント・モンロー号、横浜に寄港。
日本海外移住協会設立。
♪「雨のオランダ坂」(渡辺はま子)/「とんがり帽子」(川田正子)/「山小屋の灯」(近江敏郎)/「ハワイ航空便」(宇都宮清)。ハワイ便開設記念の歌、「あこがれのハワイからなつかしい便り・・・」
1948 1 最初の戦争花嫁90人が渡米。
1 日米間の国際電話開通。日本人の対米通話は、料金受取人払い。
2 ラジオ:「アメリカ便り」放送開始。1926年に渡米して新聞記者などをしていた坂井米夫の手紙を読む番組。
6 GHQが外国人観光客の日本滞在を1週間に限って許可。
♪「憧れのハワイ航路」(岡晴夫)/「ブンガワンソロ」(松田トシ)/「異国の丘」(中村耕造、竹山逸郎)/「緑の牧場」(ラジオ歌謡)/「南の薔薇」(近江敏郎)/「長崎のザボン売り」(小畑実)/「カチューシャ」(うたごえ運動)/「バイカル湖のほとり」(うたごえ運動)/大橋節夫とハニーアイランダーズ結成。
1949 2 在外日本人と日系米人の訪日が許可に。
3 本土から沖縄への旅券((身分証明証)発給を開始。
4 対米ドルの為替レートが360円に固定。
7 米軍陸軍省のガリオア資金(占領地救済基金)による留学生50人に渡航許可。49,50,51年の3年間で終了して、講和条約後はフルブライト留学に移行。
9 交通公社が6大都市に海外旅行相談所開設(詳細不明、要調査)。ちなみに、昭和24年度の海外旅行取り扱い数はわずか15件。
アメリカ文化を広く啓蒙するイベント「日本ステートフェア大展観」開催(奈良・あやめ池遊園地)。
出版:『アメリカンスタイル全集』(日本織物全集)
♪「アメリカ通いの白い船」(小畑実)/「薔薇を召しませ」(小畑実)/「ハバロフスク小唄」(近江敏郎)/「霧の上海」(津村謙)
映画:「戦火のかなた」(監督:コベルト・ロッセリーニ)は、戦後最初に輸入されたイタリア映画で、以後イタリア映画ブームが起きる。