2219話 日本人の海外旅行史 4 

1950  1 日本人の業務渡航許可権がGHQから外務省に移管。

   5 フランス留学生制度が10年ぶりに復活し、6人の留学生が決まる。そのひとりが、遠藤周作

   7 日米教育委員会の第1回の留学生63人が復活。6人の留学生が決まる。

     戦後初のコロンビア移民出発。

     「アメリカ博覧会」(朝日新聞社主催)が、西宮球場外苑で開催。

出版:『潜行三千里』(辻正信)/『アメリカ遊学記』(都留重人)/「男子専科」(スタイル社)創刊。日本最初の男性用ファッション誌。 

「涙のチャング」(小畑実)/「アリラン」、「トラジ」(菅原都々子)/「夜来香」(山口淑子)/「ボタとリボン」(池真理子)/「桑港のチャイナ街」(渡辺はま子)*当時の日本で流行る異国歌謡は、「富めるアメリカ」、「懐かしき元日本領」、「すばらしきソビエト」(うたごえ運動)などがテーマ。

映画:「赤い靴」(英)。アンデルセンの「赤い靴」が原作。/「憧れのハワイ航路」(岡晴夫古川緑波)/「東京キッド」(美空ひばり花菱アチャコ)。アメリカに行ったままの父(アチャコ)と、ひばり演じる娘がハワイで遊ぶ夢のシーンがでてくる。ハワイ訪問の実写を利用。/「帰郷」(木暮美千代、佐分利信)。戦時中にシンガポールで出会った男女のその後の物語。55年の「浮雲」(林芙美子・原作)と同じような設定。

 

1951  3  第1回アジア競技会(デリー)に参加。

   4  交通公社本社外国部に海外旅行課が設置される。4月に全国12カ所に海外旅行相談所設置。

  4 スカンジナビア航空が東京乗り入れ。

  5 タイのパシフィック海外航空サービス(POAS)が東京乗り入れ。*POASは47年創業という情報があるが、49年年にサイアム航空と合併してタイ航空(TAC)が生まれ、59年にSASと共同出資でタイ国際航空設立という歴史と重ね合わせて、この項要再調査。

  7 海運4社がニューヨーク定期航路開設。

  8 日本航空(株)設立。社員39人。

  9 科学技術関係の長期化以外留学制度が復活し、第1回留学生20人が決定。

  9 GHQが日韓定期航路の再開を許可。

  10  戦後初の民間航空機「もく星号」が、東京・大阪・福岡を初往復。料金は東京・福岡間で1万1420円。機内食はサンドイッチに紅茶かジュース。日本航空国際線初の機内食は、54年からで西洋料理のフルコースと握りすし。

  10 日本ユースホステル協会設立。

  11 旅券法制定・公布(施行が12月)。旅券を発行する権限がGHQから日本政府に移管された。

  12 羽田空港国際線ターミナル完成。国内線ターミナルは木造モルタル造りで新設。

 フルブライト留学生の渡米が始まる。以降、毎年200~250人が渡米。

*当時の航空運賃はモノクラスで、羽田・米西(サンフランシスコ、ロサンゼルス)で片道650ドル、往復1170ドル。船では片道280~370ドルくらい。51年の小学校教員の初任給は5500円。

出版:「少年ケニヤ」(山川惣治)が、産業経済新聞で連載開始(~55年)。単行本は55年にサンケイ児童文庫から。53年にラジオドラマ(文化放送)、54年に映画化(南旺映画、実写版)、61年にテレビドラマ化(NET、現テレビ朝日)、84年にアニメ映画(角川映画)。

ミネソタの卵売り」(暁テル子)/「憧れは馬車に乗って」、「連絡船の旅」(菅原都々子)。「連絡船の旅」は1937年の朝鮮歌謡で、歌ったのは張世貞(チャン・セジョン)。作詞・作曲とも朝鮮人。それに日本語の詞をつけて歌った。/ 「巴里の夜」(二葉あき子)/「上海帰りのリル」(津村謙)/「アルプスの牧場」(灰田勝彦

映画「ブンガワンソロ」(監督・市川崑、出演・池部良

豊富な資金が必要な航空業は貧しい日本には無理なので、外国の航空会社との合弁企業設立を提案して日本航空設立に反対していたのが白洲次郎。このあたりの話は、すでにこのブログ820話に書いている。821話以降も、当時の航空業界の話を書いている。政治も経済も魑魅魍魎の時代だった。