1955 2 日本航空、香港線運航開始。
海外移住希望者の増加に対処するために、外務省に移民局が新設された。
8 東京・飯倉片町に、日本最初のピザ店「ニコラス」開店。
9 日本ツーリストと近畿日本航空観光が合併して、近畿日本ツーリスト誕生。
出版:『香港』(邱永漢)この年の直木賞受賞作。/『ひとりパリぐらし』(石井好子)/『千五百円世界一周記』(竹村健一)/『世界文化地理体系 9 東南アジア』(平凡社)
♪「ピレネエの山男」(岡本敦郎)/「カスバの女」(エト邦枝)。想像のアルジェリアは、フランス映画「望郷」(37年、ジャン・ギャバン主演)だろう。日本公開は39年。作曲者久我山明は、本名孫牧人という韓国人。同年のヒット曲「木浦の涙」(菅原都々子)の作曲も同じ。
映画:「旅情」(キャサリン・ヘップバーン)。舞台はベネチア。/「リオの情熱」(安西郷子)/「東京・香港蜜月旅行」(佐田啓二)/「スラバヤ殿下」(森繁久彌)/「楊貴妃」(監督・溝口健二)。香港との合作。/「エデンの東」(ジェームズ・ディーン)/*「暴力教室」(米)が教育上有害だとして、教育団体が上映禁止運動をおこし、18歳以下の鑑賞が禁止された。*まだ、「アメリカ」と「映画」の両方が、社会的影響力を持っていた時代。
1956 2 ビルマとインドに初の政府派遣遺骨収集団が出発。
3 京都大学探検部創立。
5 日本山岳会マナスル遠征隊、ヒマラヤのマナスル(8156m)初登頂。日本人初の8000m級登山でもある。
11 南極観測船「宗谷」、東京を出港。
12 朝日新聞社が企画したロンドン・東京5万キロドライブを走り切ったクラウンが、東京到着。その記録は『ロンドン東京5万キロ』(辻豊、土崎一)として、57年に出版。
12 ソ連から最後の集団帰国者1025名が興安丸で帰国。ソ連からの帰国者は総計47万3000人。この船は、のちに東京湾遊覧船として利用されていたが、戦後賠償のいっかんとしてインドネシアに売却され、メッカの巡礼船になった。
*このころから、アメリカに渡る短期農業移民が増えてくる。
出版:『マナスル登頂記』(槇有恒)/『モゴール族探検記』(梅棹忠夫)/『イタリア古寺巡礼』(和辻哲郎)/『太陽の季節』(石原慎太郎)。映画化も同年。
♪フランスのアコーディオン奏者デデ・モンマルトルが来日し、戦後のシャンソンブームのきっかけとなる。デデ(本名アンドレ・レジャン)は日本女性と結婚しそのまま日本に永住。その息子が、サッカー選手の宮澤ミシェル。/「太陽の季節」が話題になったこのころの音楽事情は、マンボ。カリプソ、ハワイアンなど「南国ブーム」に満ちていた。
映画:「沈黙の世界」(ジャック・クストー)/「王様と私」(ユル・ブリンナー)/「白夫人と妖恋」(山口淑子)。香港のショウブラザースの協力で撮影。原作は「白蛇伝」。/「カラコルム・ヒンズークシ学術探検隊記録 カラコルム」(京都大学学術探検隊)。120分に及ぶ記録映画を東宝が配給。同年に「標高八一二五米 マナスルに立つ」も公開された。/「忘れえぬ慕情」(岸恵子)。日仏合作、舞台は長崎。蝶々夫人モノの一種。/「ビルマの竪琴」1部、2部(監督・市川崑)再映画化は85年。タイでロケ。
★同年7月、邦画5社がテレビへの映画提供を打ち切ると同時に、映画会社専属の俳優のテレビ出演を禁じた(日活は58年から参加)。テレビ各局は、対抗策としてアメリカのテレビドラマを輸入することとなり、アメリカ文化の大量輸入という事態となった。この時代に放送されたアメリカのテレビドラマを放送開始年順にあげておく。
56年 「カーボーイGメン」/「スーパーマン」/「名犬リンチンチン」/「ハイウェー・パトロール」
57年 「アニーよ銃をとれ」/「ヒッチコック劇場」/「名犬ラッシー」/「アイ・ラブ・ルーシー」
58年 「ローンレンジャー」/「パパは何でも知っている」
59年 「ペリーメイスン」/「ローハイド」/「拳銃無宿」/「億万長者と結婚する方法」/「うちのママは世界一」
60年 「ララミー牧場」/「サンセット77」/「世にも不思議な物語」/「ライフルマン」
61年 「サーフサイド6」/「アンタッチャブル」
62年 「ベン・ケーシー」/「コンバット」/「87分署」/「シカゴ特捜隊」
63年 「ルート66」
64年 「ハワイアン・アイ」/「逃亡者」/「バークにまかせろ」
65年 「0011ナポレオン・ソロ」/「FBI」/「ベイトン・プレイス物語」
66年 「奥さまは魔女」/「宇宙家族ロビンソン」/「バットマン」