2224話 日本人の海外旅行史 9

1962 3 NHKの受信契約者数が1000万人突破。

    5 大相撲初の海外巡業でハワイへ。

    8 堀江謙一がヨットで太平洋単独横断成功。

    7 日航ジャカルタ線開設。

   10 日航、南周りヨーロッパ線運航開始。ルートは、羽田―カルカッタ―カラチ―クウェート―カイロ―ローマ―フランクフルト―ロンドン。   当時の東京発の航空運賃と所要時間

      ホノルル        19万8000円     7時間

      サンフランシスコ      25万2000円     11時間

      ニューヨーク     31万7350円     13時間

      パリ           40万5250円      17時間

      ロンドン        40万5250円    18時間 パリ、ロンドンとも北回り

      香港            7万2350円     4時間  

出版:『南太平洋ひるね旅』(北杜夫)/『野生のエルザ』(J.アダムソン)/『ボクの音楽武者修行』(小澤征爾)文庫は80年 /「世界の秘境」(双葉社 ~73年)/『日本人のための無銭旅行入門 たった2万円でせかいをめぐる旅』(フランツ・グルーバー)/「週刊「TVガイド」(東京ニュース社)創刊。

「遠くへ行きたい」(ジェリー藤尾)/「VACATION」(弘田三枝子)/「山男の歌」(ダーク・ダックス)

映画:「ブルーハワイ」(プレスリー) 以下、プレスリー主演のリゾート映画をあげておく。年号は日本公開年。「ガール・ガール・ガール」(63年)、ハワイが舞台。/「アカプルコの海」(64年)/「ハワイアン・パラダイス」(66年)/「カリフォルニア万才」(66年)。「世界残酷物語」(伊 ヤコペッティ)/「社長洋行記」「続社長洋行記」(森繁久彌)/「香港の星」(宝田明)香港とシンガポールでロケ。「金門島にかける橋」(石原裕次郎)台湾・日本合作。/「メキシコ無宿」(宍戸錠)、メキシコでロケ。/「太陽への脱出」(石原裕次郎)。タイでロケ。

TV:「ノンフィクション劇場」(日本テレビ ~68)

ラジオ:NHK-FMで「世界の民族音楽」(解説:小泉文夫)放送開始

 

1963 4 業務渡航の規制が大幅緩和される。

       10 東京国際空港の早朝・深夜のジェット機離発着が禁止に。

       12 パン・アメリカン航空が、日本で初めて航空券の月賦販売を開始。

 海外旅行の自由化を翌年にひかえ、交通公社は次のようなツアーを発表した。

     台北・香港・マカオ       7日間  19万5000円

     ハワイ             10日間  39万8000円

     ハワイ・アメリカ西海岸     12日間  47万5000円

     アメリカ             16日間  59万0000円

     ヨーロッパ           19日間  71万2000円

アメリカのスーツケース会社サムソナイトの日本代理店新川柳商店は、来るべき海外旅行自由化の時代に備え、社名を「エース」と改め、64年にはライセンス生産を始める。この時代のサムソナイトのスーツケースは2~3万円で、大卒初任給と同じくらいだった。

出版:『インドで暮らす』(石田保昭)/『太平洋ひとりぼっち』(堀江謙一)/『カナダエスキモー』(本多勝一)。以後本多の著作は『ニューギニア高地人』(64)、『アラビア遊牧民』(66)、『アメリカ合州国』(81)など。/『見た、揺れた、笑われた』(開高健)/『アメリカ』(小田実)/『ヘディン中央アジア探検紀行全集』(白水社)/『海外旅行テクニック』(笠置正明)/『世界旅行あなたの番』(蜷川譲)/『アロハ・ハワイ』、『東南アジア』交通公社の本格的海外旅行ガイドブック。のちの「ワールドガイド」に継承される。/「太陽」平凡社)、「女性セブン」(小学館)、「ヤングレディ」(講談社)創刊。

映画:「アラビアのロレンス」(米 ピーター・オトゥール)/「リオの男」(仏 ジャン・ポール・ベルモンド)/「クレオパトラ」(米 エリザベス・テーラー)/「シャレード」(米 オードリー・ヘップバーン)/「香港クレージー作戦」(クレージー・キャッツ)/「ホノルル・東京・香港」(宝田明)/「太平洋ひとりぼっち」(石原裕次郎)/「二十歳の恋」(監督:石原慎太郎)。日、独、伊、仏、ポーランドの各国の若者の恋を描いたオムニバス。フランス編はトリュフォーポーランド編はワイダが担当。/「五十万人の遺産」(三船敏郎)。フィリピンの「山下財宝」をめぐるアクション。/「社長外遊記」「続社長外遊記」(森繁久彌)。ハワイでロケ。

★1960年代は、海外観光映画の時代でもあった。

イギリス映画007シリーズの主演俳優と主なロケ地を年代順リストにしておく。

63年 007/ドクター・ノオ007は殺しの番号)、[ショーン・コネリー]、ジャマイカ

64年 007/ロシアより愛をこめて(危機一発)、[コネリー]ベネチアイスタンブールオリエント急行

65年 007/ゴールドフィンガー [コネリー] マイアミ、スイス、イギリス

66年 007/サンダーボール作戦 [コネリー]バハマ、フロリダ

67年 007は二度死ぬ [コネリー]香港、 日本

67年 007/カジノロワイヤル [デビット・ニーブン]イギリス、アイルランドほか

70年 女王陛下の007 [ジョージ・レーゼンビー]スイス・アルプス、リスボン

72年 007/ダイヤモンドは永遠に [コネリー] アムステルダム、ロサンゼルス、ラスベガス

73年 007/死ぬのは奴らだ [ロジャー・ムーアニューオリンズ、ニューy-ク、ジャマイカ

75年 007/黄金銃を持つ男 [ムーア] 香港、マカオ、タイ(プーケット

78年 007/私を愛するスパイ [ムーア] スイス、カナダ(バフィン島)、エジプト、イタリア(サルジニア)、オリエント急行

80年 007/ムーンレイカー [ムーア]ベネチア、ブラジル、アメリカ、フランス、グアテマラ

81年 007/ユア・アイズ・オンリー [ムーア] ギリシャ(メテオラ)、イタリア(コルティナダンペッツォ

83年 007/オクトパシー [ムーア] ベルリン、インド

83年 ネバーセイ・ネバーアゲイン [コネリー]バハマ、フランス、スペイン、イギリス

85年 007/美しき獲物たち [ムーア] スイス、アイスランド、フランス、ロンドン、サンフランシスコ、

87年 007/リビング・デイライツ [ティモシー・ダルトン] ジブラルタルチェコスロバキア(現スロバキア)、オーストリア、ロンドン

89年 007/消されたライセンス [ダルトン]フロリダ、メキシコ

95年 007/ゴールデンアイ [ピアーズ・ブロスナン] ロンドン、フランス、ロシア、プエルトリコ

97年 007/トゥモロー・ネバー・ダイ [ブロスナン]ベトナム

00年 007/ワールド・イズ・ノット・イナフ [ブロスナン]スペイン、ロンドン、アゼルバイジャンバハマ

02年 007/ダイ・アナザー・デイ [ブロスナン]ハワイ、アイスランド、スペイン

 08年 007//慰めの報酬 [ダニエル・クレイグ]イタリア、チリ、パナマオーストリア

06年 007/カジノロワイヤル[クレイグ]チェコプラハバハマ、イタリア、イギリス

12年 007/スカイフォール [クレイグ]

加山雄三の「若大将シリーズ」も海外観光旅行映画でもあった。61年から71年までに17作作られた。そのうち、海外ロケをした作品だけリストにしてみた。

63年 「ハワイの若大将」ハワイロケ。ハワイにいったままの金持ちの息子の「青大将」を連れ戻すという設定。費用は青大将の親から。

66年 「アルプスの若大将」スイス・アルプス(ツェルマット、マッターホルン)、ウィーン、ローマでロケ。工学部の学生が書いた論文がヨーロッパの学会で高く評価され、教授と共にヨーロッパに招待された。ついでに、スイスでスキー。 

67年 「レッツゴー若大将」香港、マカオでロケ、サッカーの試合で香港へ、

67年 「南太平洋の若大将 」水産大学の学生が遠洋航海の実習でハワイ、タヒチへ。すき焼き指導のため再訪米。

68年 「リオの若大将」教授とともに研修でリオデジャネイロに行き、そのまま現地の石川島播磨工業の造船所に就職する。

69年 「ニュージーランドの若大将」日東自動車のサラリーマンはオーストラリアとニュージーランドの駐在員として赴任。

70年 「ブラボー! 若大将」サラリーマンが失恋と仕事の失敗の痛手を癒すため、グアムに行き、観光の仕事を始める。若大将が、やっと自費で海外旅行をする時代になった。

TV:「アップダウンクイズ」(~85)/「新日本紀行」(NHK)/「JTB海外旅行シリーズ」(フジテレビ ~65)、海外レポーターが取材したフィルムをもとにした15分番組。/「野生の王国」(~90)

*テレビを敵対視していた映画各社は、劇映画のテレビ放送制限を緩和。