2225話 日本人の海外旅行史 7

 神保町散歩。最近中国料理や台湾料理の文化史を扱った本が多く出ていて、『「台湾菜」の文化史』に続いて出版された『食からみる台湾史』の現物を見ようと東京堂書店に行った。いつもならショーウインドウに台湾本が堂々と展示してあるのに見つからない。店内にはもちろん置いてあったが、扱いが小さく、人事異動の匂いがした。『食からみる台湾史』は上出来で、確実に買うことになるのだが、まだ読んでいない本が山積みだからしばらく間を置く。その代わり『本なら売るほど』を購入。いつものようにディスク・ユニオンでジャズのCDをまとめて買う。店内は白髪の客ばかり。Junior ManceのCDは2枚持っているがあと6枚のためにボックスセット購入。ラテンジャズにも手を出す。帰宅したら、注文していたサンバのCD、Mariene de Castroの“COLHEITA”が届いていた。彼女のCDはこれが2枚目。ハスキーで力強い声が魅力。やっぱり、サンバだなあ。サルバドールに行きたい。

 というようなことはともかく、この海外旅行年表もいよいよ海外旅行が自由化された1964年に入る。ここで書いているように、海外旅行自由化の経済面の考察が非常に少ないのが研究者の問題点だ。海外旅行が時の政治や経済事情と深く結びついていることに注目する必要がある。このブログで紹介している年表は、旅行業者が作った年表とは違い、日本人を外国に誘い出した要因やその時の政治や経済の事情と合わせてメモしている。

1964  3 大韓航空、ソウル・大阪線運航開始。

    4 日本航空大韓航空と共同運航で、東京・ソウル線運航開始。

         4 海外旅行自由化実施(1人年1回、持ちだし外貨限度額は500ドル。日本円は2万円まで)。6月末までに、日本航空に申し込んだツアー客は2939人。

     4 自由化後のツアー第1弾は6日の交通公社の「ヨーロピアン・ジェット・トラベル」(17日間、71万5000円)の一行16人。その日の午後には、日本勧業銀行積立てグループのツアーのハワイ旅行(8泊10日 38万6000円)出発。当時の小学校教員の初任給は1万6000円、銀行員で2万3000円ほど。

  7 外務省旅券課が、旅券発給業務を各都道府県に委嘱。

  8 インド政府観光局東京事務所開設。

  9 浜松町駅羽田空港間にモノレール開業。

  10 東京オリンピック開催。オリンピック選手を運んできた戻り便を利用して、ヨーロッパ2週間で40~50万円の「超格安ツアー」が発売された。そのツアーを利用して初めての海外旅行をした若者のなかに和田誠横尾忠則篠山紀信らがいた。横尾は実家を売って参加、宇野亜喜良はカネがなくて行けなかった。そういう時代だった。

  12 日航、海外旅行の月賦販売開始。

出版:『東南アジア紀行』(梅棹忠夫)/『アラビアのロレンス』(中野好夫)、角川文庫の『アラビアのロレンス』(R.グレーブス、小野忍訳。親本は62年の平凡社東洋文庫)は70年の出版。/『目白三平の海外旅行』(中村武志)/『女性のためのスマートな海外旅行ガイド』(装苑編集部編)/『海外旅行第一歩』(木暮実千代ほか)/『おんぼろ号の冒険』(望月昇)/「平凡パンチ」(平凡出版)創刊

映画:「東京ギャング対香港ギャング」(鶴田浩二)。香港ロケ。/「日本脱出」(鈴木やすし)アメリカに憧れて日本を脱出しようと考える男の話。/「夢のハワイで盆踊り」(舟木一夫

ウナ・セラ・ディ東京」(マヒナスターズ)/「ラ・ノビア」(ペギー葉山)/ビートルズの初レコード「抱きしめたい」、日本発売。

TV「海外特派員報告」(NHK ~78)   

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*メモ 戦後経済と海外旅行の関係をまとめておく。

1949 1ドルが360円の固定相場に。

1950 朝鮮戦争特需

1951 サンフランシスコ講和条約締結。

1952 サンフランシスコ条約発効。独立国に。IMF(International  Monetary  Fund 国際通貨基金)加盟。IMFの目的①通貨に関する国際協力②貿易拡大、加盟国の雇用・所得の促進に寄与。

③為替の安定④為替制限の除去を援助⑤加盟国の国際収支不均衡を是正するため、資金を貸与。

1955 GATT (General  Agreement  on Tariffs and Trade)関税および貿易に関する一般協定加盟。のちに、WTOに。自由貿易をめざすため、関税率の削減。無差別(どの国に対しても、適用)、多角的交渉。

1956 国連加盟。

1963 GATT11条国に移行(貿易・為替の自由化)。

1964 海外旅行自由化

   東海道新幹線開通

   東京オリンピック

   IMF8条国に移行(国際収支を理由に為替を制限できない国)。これで、為替を制限できなくなったので、海外旅行が自由化された(4/1)。

    OECD(Organization  for Economic  Co-operation  and  Development 経済協力開発機構)加盟(4/28)。OECDの三大目的は、先進国間で自由な意見交換を行ない、①経済成長②貿易自由化③途上国支援 。「先進国クラブ」の別称があり、先進国入りした証とされる。日本で海外旅行が制限されていた理由は、外貨を国外に持ち出させない(両替させない)ための制限だったから、制限が緩められた結果、海外旅行が自由化されたというわけだ。

 以下、対ドル相場のメモ。

1971 ニクソン・ショック アメリカはベトナム戦争などの多額の支出や貿易の赤字を、ドル札の発行(つまり印刷)で、しのいできたが、ブレトン・ウッズ協定(1944年)の金本位制を維持できなくなり、ニクソン政権はドルと金の交換は禁止と、輸入課徴金10%の徴収を発表。

ブレトン・ウッズ協定ブレトン・ウッズニューハンプシャー州の地名)とは、金1トロイ・オンス(31.1035g)を35ドルと定め、「いつでもドルあるいは金とこのレートで交換する」と決め、それをもとに為替の固定相場が決まった。

ニクソンショックを受けて、71年に、スミソニアン博物館で10カ国蔵相会議が開かれた。決定事項は、

①ドルと金の交換レート引き上げ。金1トロイ・オンス=35ドルを38ドルに変更

②ドルと各国通貨との交換レートを改定。日本円は、1ドル360円を、308円に。

1973 ドルに対する不信感は続き、世界的な通貨危機に陥り、ついに変動相場制に移行した。日本円は264円から開始。73年10月の石油ショックで、280円台になった。

1985 プラザ合意 日本の輸出が伸びると円高傾向になってきたので、そのまま円高・ドル安にして、アメリカの貿易赤字を減らそうとしたもの。ニューヨークのプラザホテルで行われた主要5カ国蔵相・中央銀行総裁会議。85年夏に、1ドル242円、11月200円、86年2月170円、夏には150円。

1992 バブル経済の完全崩壊。

1995 WTC発足。円が史上最高値79.75円。

2011   10月31日 円相場が75.32円の史上最高値。

2024   対ドル円相場140~160円

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