2253話 日本人の海外旅行史 35 旅行人とその時代2

 ケニア出身の作家ングギ(Ngugi wa Thiongo 、グギという表記も)の訃報を新聞で見た。彼と会ったのは、1983年のナイロビだった。そのころ、”The River Between”を読んでいた。そのあと、” A Grain of Wheat”を読み、出て間もない獄中記” Detained: A Writer's Prison Diary“を買った。ウガンダで出版されたアンソロジーで、英語で書くことをやめて母語のキクユ語で書くという宣言を読んだ。あれから42年か。

 ガイドブックと旅行者

 パソコンに残っていたこの原稿は、やはりすでに「旅行人」に発表した原稿だとわかったので、大幅に増補加筆しています。

 旅行者の増大は、数多くの海外旅行初心者と数多くのリピーターを生み出した。旅行者の量と質の変化に応じて、ガイドブックにも変化があった。

 1970年代までの、海外旅行ガイドブックというのは、ツアー参加者の副読本程度のものだった。自分で宿を探さず、バスや鉄道の切符も自分で買わない旅行者向けのガイドだから、観光地の解説と買い物案内が載っていれば、それでよかったのである。旅行会社にすべておまかせの旅である。パスポート取得は、旅行社が代行して稼ぎたいので、自分で申請する方法などガイドブックに書いてなかった。

 1970年代当時、世界各地を旅する若者が使っていたほぼ唯一のガイドブックは、ユースホステル協会が発行していた“International Youth Hostel Handbook”だろう。私はその本を、有楽町駅前のそごう百貨店地下にあったユースホステル協会事務所で買った。そごうに事務所を持つほど、当時はユースホステルがメジャーな存在だったことがわかる。

 そのガイドブックには、世界各地にあるすべてのユースホステルの情報が地図付きで載っていた。だから、泊まることはなかったが、バンコクユースホステルがチュラロンコン大学構内にあることはバンコクに行く前から知っていたし、ナイロビの第1夜はユースホステルに泊まった。カイロでもユースホステルに泊まった。アンマン(ヨルダン)でもユースホステルに泊まり、そこがアラビア語で「バイト・シャバーブ」(若者の宿)というのだという説明を受けたことをいまだに覚えている。もう少しカネを持った旅行者は、YMCAやYWCAを利用した。バックバッカ―研究者は1980年代以降しか視野に入っていない。自分の体験だけを重視すると、そういう欠落を生む。自分が知らない時代を調べてみるという好奇心が必要だ。

 1979年に、若者相手に「地球の歩き方」が創刊された。団体旅行に参加せず、ひとりか、友人たちと勝手気ままに旅行する者を対象としたガイドブックだ。既存のガイドブックと違って、安宿と交通の情報が豊富だった。それ以前に雑誌「オデッセイ」が発売されていたが、取り扱う書店は少なく発行部数がわずかのガリ版刷り雑誌だった。ほかにも仲間内のミニコミ誌や会報誌はあったが、全国発売したのは「地球の歩き方」が最初だったと思う。

 1990年前後の、海外渡航者1000万人の時代になって、「地球の歩き方」は大きく方向を転じ始めた。若い貧乏人相手のガイドブックから、一般の、普通の会社員や家族連れでも利用できるガイドブックに姿を変えていくことで、読者を一気に増やしたのである。節約旅行者用のガイドブックからの一般化である。安宿ガイドも残しつつ、高級ホテルも高級レストランも、高価なブランドショップの案内も載せるようになり、ツアー参加者も使えるガイドブックとなった。

 それと同時に、すでに何度も海外旅行をしたことがある人向けに、地球の歩き方はガイドブックのさらなる「特殊化」も始めた。サハラや南米などの辺境地を紹介する「フロンティア・シリーズ」と、リゾート地に限定した「リゾート・シリーズ」の刊行が始まったのである(私の想像では、商業的には失敗だったと想像する)。

 興味深いことに、地球の歩き方とは逆の流れも、ほぼこのころに起った。いままでツアー客用のガイドブックを出していたJTBガイドの交通公社や、ブルーガイド実業之日本社などが、「自由自在」や「わがまま歩き」といったシリーズで、個人旅行者用のガイド ブックを出し始めたのである(角川書店は、カドカワ・トラベルハンドブックを出すなど、個人旅行向けのガイドブックを出していったが、結局生き残ったのは『歩き方』だけだった)。

 旅行人発行のガイドブックについてちょっと書いておこう。旅行人は数多くのガイドブックを出版しているが、その全貌を調べたことはないし、その1冊を持って旅したこともない。それが私の「旅行人ノート」に対する評価というわけではなく、82年から83年の東アフリカ旅行以降、定住型の旅行者になったから、移動ガイドは必要なくなったのだ。バンコクのガイドが欲しかったが、私が望むようなものは出版されていないから自分で書いた(『バンコクの好奇心』)。ジャカルタのガイドも欲しかったが、いまだに出版されていない。私が望むガイドブックは、観光や買い物ガイドではなく、その場所に関するあらゆる情報が満載されているような本だ。そういうガイドブックを欲しがっている私には、旅行人のガイドブックは必要なかったという意味だ。

 友人から聞いた旅行人のガイドブックを巡るエピソードをひとつ。

 友人がラオスを旅していたとき、宿で若い日本人旅行者と出会った。彼らがバッグからガイドブックを取り出して読んでいた。見たことがないガイドだから、「ちょっと、それ、見せて」と声をかけた。旅行人ノートだ。

 「へえ、蔵前さんがこういうガイドを出したのか・・・」とつぶやいたら、「蔵前さんを知っているんですか?」と若者が聞いてきた。

 「うん、知っているよ」

 「話したことは、ありますか?」

 「あるよ」

 「すごい、すごいな。うらやましいな、蔵前さんと話したことがあるなんて!」

 私がその話を聞いて、友人に言った。「うちの本は読んでますか?」とは聞かなかったのというと、「読んでいるわけないよ」と友人が言った。友人は、めこんの桑原さんだ。

 もし私がその場にいたら、「この私は蔵前邸に招待されて、いっしょに食事をしたこともあるんだぞ、えへん!」と自慢するかもしれない。羨望のまなざしで見つめられるだろうか。