2077話 若者の世界旅行 欧米編 3 ユースホステルとワンダーフォーゲル1

 『黄昏のトクガワ・ジャパン シーボルト父子の見た日本』(ヨーゼフ・クライナー、NHK出版会、1998)によれば、シーボルトの父親は大学で旅行学を学んだという。旅行学? そんな学問など聞いたことがない。この本を紹介してくれた山田仁史さん(東北大学。2021年に48歳で急逝。すばらしい人格者であり、あふれるほどの知性を備えていた)に、旅行学の話をしたら、ドイツ留学経験のある山田さんは「ええ、旅行学はありますよ」といった。息子のシーボルトも、「知らない世界に行ってみたい」という好奇心の人だったのである。

 この本には、旅行学は何を教えていたのかという話も出てくるが、長くなるので省略するが、ひとつだけ書いておくと、「旅先でできるだけ買い集めなさい」というのがあった。そうか、シーボルトが日本でさまざまなものを買ったのは旅行学の影響かもしれない。ドイツの旅行学と関係があるのかどうかわからないが、アメリカ人のエドワード・E・モース(1838~1925)も、金銀財宝ではなく、日本の生活用品を徹底的に買い集めた。民族学博物館の発想だ。

 スペインやポルトガルは、侵略地でキリスト教を押し付けることと、女遊びをしつつ黄金を本国に送ることしか考えなかった。そして今は、「かつて我々は世界の海を制し・・・」と、過去の黄金の日々の思い出のなかで生きている。

 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは1866年にミュンヘンで亡くなるが、その後の19世紀後半に、子供たちは日本で大活躍する。その活躍も非常に興味深いので、1280話に書いた。

 19世紀末から20世紀初めのドイツでは、その後の若者の旅行スタイルに大きな影響を及ぼす動きがあった。

 小学校教師であるリヒャルト・シルマンが、夏休み期間の学校を子供たちの宿舎として開放して、子供たちの野外活動の拠点にしたいと考えたのが、ユースホステル活動の始まりである。20世紀初めのことだ。のちに、学校だけでなく城も宿舎として開放され、その活動は世界各地へと広がっていった。1932年に国際ユースホステル連盟設立。日本では1951年に、日本ユースホステル協会設立。

 ユースホステル活動の始まりは小学生を対象にしたものであったが、それより年長の、十代後半の若者を対象にした活動がワンダーフォーゲル運動だ。大学入学前の若者たちに、速記を教える組織があった。速記は大学でノートをとるのに便利だったというだけでなく、会社や役所でも重要な仕事だったので、速記の技術があればかなりのカネを稼ぐことができた。速記学校の生徒を集めて野外活動を始めたのが、ワンダーフォーゲル(「渡り鳥」の意味)活動誕生のきっかけである。

 速記研究会を設立したヘルマン・ホフマンとその友人カール・フィッシャーが指導者となり、生徒たちを連れた何度か山歩きやハイキングの集い企画したのは1990年代のことで、「ワンダーフォーゲル・学生遠足委員会」を結成したのが1901年だった。「遠足」という訳語にはなっているが、仲間とハイキングといった会ではなく、軍隊のような厳しい規律のある結社と言った方がふさわしい。

 彼らは高原を歩き、森で寝た。焚火をして、歌い踊った。自然のなかを歩き回ったのは、「反近代」の姿勢である。近代の象徴は鉄道である。駅は近代的な建築物だ。鉄道という近代文明に背を向けたのが、ワンダーフォーゲル運動の始まりだ。