いつものように食文化関連の本を探していた。『魚で始まる世界史』(越智敏之、平凡社)を見つけて、怒りがこみあげてきた。タイトルに「世界史」とあるが、内容は西洋史だ。著者は「世界とは西洋のことです、当たり前でしょ」とでも思っているのだろう。サブタイトルは極小の文字で「ニシンとタラとヨーロッパ」と書いてある。そんなサギまがいなことをしないで、堂々と『魚で始まる西洋史』とするべきでしょう。「世界の・・・」と書いて、あるいは語って、西洋か欧米のことしか視界にないこういう人を作り出さないようにするには、欧米以外の地も旅することです。「世界の紅茶」といった本で、インド亜大陸を完全に無視していると、「欠陥商品!」と叫びたくなる気持ち、わかります?
さて。
東京大学のワンダーフォーゲル部設立者の文章に、戦前の若者の旅は、「旧制高校生の無銭旅行の伝説」だったという文章を前回紹介した。
そうか、無銭旅行か。この語はもはや歴史的用語だ。旅行史を調べている私には、この言葉に記憶はあるが、詳細を知らない。ちょっと調べると、石坂洋次郎が書く青春物語がでてきた。『石中先生行状記』には、「無銭旅行の巻」という話がある。これを映画化したのが、「石中先生行状記」シリーズ(1949~54)の4作目、「石中先生行状記 青春無銭旅行」(1954)だ。これは高校生ではなく、旧制中学生の旅話だ。映画の詳しい解説はココ。
国会図書館の蔵書から、「無銭旅行」という語が書名に入っている本を探すと、書籍や雑誌記事を含めて286件がヒットした。
『無銭旅行』(宮崎来城、1901 )や『世界無銭旅行 立志青年』(久保任天、1907)など、20世紀に入った時から、続々と出版されている。無銭旅行といえば、中村春吉(1871~1945)の旅だ。1902年に日本を出て、自転車による世界一周旅行をした中村春吉の旅を、押川春浪が書いた『中村春吉自転車世界無銭旅行』(1909)が有名だったようだが、この本が出る以前に「無銭旅行」を冠する本が出ていた。
「無銭」というと「無銭飲食」のように否定的なイメージがあるが、戦前期の「無銭旅行」は、いまなら「貧乏旅行」程度のイメージではないか。外国旅行など夢物語であった時代に即せば、「大冒険貧乏旅行」ということだろう。無銭と言っても、いっさいカネを使わずに旅行することなどできないから、方々で好意にすがって宿と飯を恵んでもらうか、旅先でカネを稼ぎつつ節約旅行に努めるというのが実際だろう。カネや仕事を求めてさまよい歩く「住所不定無職」という状況ではなく、「若者が無謀を楽しむひととき旅行」あるいは「度胸試し、肝試しの旅」なのだろう。
金子光晴の旅は遊びではなく、目的地はあるものの本格的な風来坊である。戦後なら、なけなしのカネでシベリア鉄道の切符を買い、北欧に着いたら皿洗いなどの仕事を探し、ちょっとカネがたまったら旅を続けるというのが、60年代の無銭旅行かもしれない。
というようなわけで、「無銭旅行」と呼ばれた旅の誕生にまつわる事情を知りたいのだが、おいそれとはわかりそうもない。本腰を入れて、「明治期の青年の旅」という研究をしないといけなくなる。
「無銭旅行の文化史」といったものに興味があるが、突然日本で生まれた思想なのか西洋の影響なのか、詳しい歴史がわからない。「明治の若者たちはいかに無銭旅行を成功させたのか」(山下泰平)というブログがあり、詳しい内容なのだが、無銭旅行の歴史や思想の部分がよくわからない。ご存じの方、ご教授ください。
著者がドイツ文化の専門家だから、ドイツ人と旅行の話が詳しく出てくるかもしれないと思って注文したのが、『旅行の世界史 人類はどのように旅をしてきたのか』(森貴史、星海社、2023)が今届いた。遍歴職人の記述はあるが、そのあとは類書同様、グランドツアー、トーマス・クック、豪華客船、マレーとベデガーのガイドブックと、観光学の教科書に書いてある決まりきった解説が続いているだけだ。残念ながら私の関心分野の参考になる記述はなかった。カネと時間を使って徒労に終わる。こういうことを、毎日繰り返しているのである。
*中東ジャーナリスト川上泰徳さんの講演を聞いた。すこぶるおもしろかった。川上さんが、制作、監督、撮影、編集をひとりでやった映画「壁の外側と内側」が8月末に公開される。