現在、もっとも熱心に見ているテレビ番組は、NHKBSの「世界のドキュメンタリー」。日本製の番組の、「アナザーストーリーズ」(NHK)の松嶋菜々子、「ガイアの夜明け」(テレ東)の松下奈緒と長谷川博己といった「番組案内人」は不要。無駄だな。
さて。
『ワンダーフォーゲル活動のあゆみ』(城島紀夫)を読んで、いくつも教えられたことがある。ワンダーフォーゲルとドイツの現代史を学んでいくと、1930年代に日本の大学でワンダーフォーゲル部が設立されたことと重ね合わせると、ナチズムと関係があるのではないかという疑いがあった。著者の説明は、「それはない」だ。日本の大学にワンダーフォーゲル部ができたときには、ドイツではナチスによってワンダーフォーゲル活動は解散させられていた。
日本のワンダーフォーゲル部は登山部の一種として始まり、部の名称にドイツ語を借用しただけで、「(ドイツのワンダーフォーゲルの)活動内容の移入や模倣ではなかった。団体の名前にドイツ語を借りただけの『借名』であった」という。
旧制中学や高校の出身者はドイツ語に親しみを感じていたから借用しただけのことで、ナチス・ドイツとの連帯など一切なかったという。わかりやすく言えば、名前だけ借用した「なんちゃってワンゲル」なのだろう。西洋文化を換骨奪胎して日本化するというのは、日本の得意技だ。
『ワンダーフォーゲル活動のあゆみ』に、京都大学探検部創設者として本多勝一の名が出てくるのは当然だが、もう一人、名前を知っている人物が登場する。兼松保一だ。アルプスを縦走していた中央大学学生兼松保一が、明治大学ワンダーフォーゲル部員たちと知り合い、中央大学でもこんな部が欲しいと思った。明治大学ワンダーフォーゲル部は1936年の創部だが、戦時中に活動を停止し、46年に再部していた。兼松が中央大学にワンダーフォーゲル部を作ったのは1948年。
日本のワンダーフォーゲル活動とユースホステル活動は親密な関係にあったという話が次の本に出てくる。日本のユースホステル運動の中心人物だった金子智一の伝記『歩々清風 金子智一伝』(佐藤嘉尚、平凡社、2003)に兼松の名が出てくる。
「戦後は1948年と翌49年の2回、やはりアメリカからユースホステルの人たちが来日しており、このときはいずれもワンダーフォーゲルの学生たちが受け入れ、世話をしております。
当時中央大学の学生で学生ワンダーフォーゲル連盟の副会長だった兼松保一は、アメリカのユースホステルの人たちの滞在中のスケジュール作りや歓迎に取り組んでいるあいだにユースホステルの何たるかを知り、仲間たちとともに運動にとりかかるつもりで、中央大学の部屋に「日本ユースホステル協会」の看板を掲げていたのです」
1951年、日本ユースホステル協会が正式に発足した。兼松は理事になった。
ワンダーフォーゲル活動とユースホステル活動の関係はどうだったか気になっていたのだが、幹部が兼任なのだから良好な関係だったようだ。
この時代の兼松の情報は今までまったく知らなかった。私が兼松保一の名を知ったのは、理事になった後の行動に関することだった。1954年以降のことだ。その話は、次回に。