2289話 若者の世界旅行 欧米編 15 放浪者 2

 昔使ったバッグを取り出したくて、押し入れの荷物を点検していたら、もう何十年も手を触れていないビニール袋があった。なかをみると、もう50年近く前のアフリカで手に入れたものだ。ケニア北部のトゥルカナで買ったビーズ細工がいくつかある。今は旅先で買い物などまったくしないのだが、昔はちょっと買っていたのだ。土と汗とたぶんカビが生息する品は、捨てた。ケニア・シリングの紙幣も捨てたが、10枚ほどのコインは、資源ゴミか。引き出しにいっぱいあるコインの捨て方がわからない。

 さて。

 映画のなかの放浪者といえば、わかりやすい例は、チャップリンだ。1915年の「チャップリンの失恋」の原題は”The Tramp”、翌16年の「チャップリンの放浪者」の原題は”The Vagabond”だ。チャップリンが演じる山高帽にステッキの放浪者は、貧しいが自由な生活と真実を見る目の人物を描いている。はっきりと決まった常識的な生活をしている者には見えないことが、貧しい放浪者には見えるという構成だ。

 西部劇なら、どこからかやって来た流れ者が、荒れた町を平和に戻し、そこの娘(あるいは未亡人)とつかの間の恋をして、しかしまた去っていくといった毎度おなじみのストーリーができて、それが日本映画では「股旅物」に翻案されていく。退屈な街の日常に突然現れた流れ者は、異物という刺激であり、日常に変化をもたらす。だからこそ、前回紹介したいtrampほかいくつもの語はポップミュージックの世界に数多く登場する。それは「自由な人」であったり、「どーしようもなくダメな男」として使われることもある。

 流れ者の歌などアメリカにはいくらでもあるが、例えばライ・クーダーのその名も「流れ者の歌」。あるいは、テンプテーションズの”Papa was a rolling stone”は、前回あげた語は使っていないが、「転がる石」で流れ者を表している。”hang around”や”hand out”なども、歌詞によく登場する。

 19世紀のフランスではBohème(ボエーム)、英語ではBohemian(ボヘミアン)が注目されるようにある。もともとは、チェコの「ボヘミア地方の人」のことだが、その地からフランスにやって来たのがジプシーだったということで、「定住しない自由な人々」という意味合いで、そういう人たちをボヘミアンと呼ぶようになった。パリでは、「伝統的な習慣や規範から解放されて自由に生きる芸術家たち」と解釈されるようになり、そういう生活を追求すつ生き方を「ボヘミアニズム」と呼ぶようになった。オペラ「La Bohème」(ラ・ボエーム)などが、その例だ。

 チャップリンの時代は、映画を見ている人たちが放浪者や浮浪者に憧れ、自分もそうなろうとは考えない。あくまで、映画の世界の感動だ。ところが、1960年代のアメリカでは、「自分も、放浪者になる」という若者たちが現れた。ヒッピーの登場だ。

 こうした「流れ者」の系譜が、第2次世界大戦後のアメリカで、ビートやヒッピーに大きな影響を与えた。「流れ者たち」は、若者たちに、育った土地を離れて自由に旅したいと思わせる起爆剤になったのである。

 「ジプシー」という呼称に関して、ちょっとしたメモ。欧米や日本のマスコミでは「ジプシー」は差別用語だから使わないようにしようという暗黙の了解があるが、ジプシーキングスのようにジプシー本人たちは「ジプシー」を誇りを持って自称している例もあり、研究者たちも機械的に「ロマ」「あるいは「ロム」と言い換えることは賛成しない。だから、「ジプシー」を書名にした書籍が今も出版されている。参考までに、専門家の意見をリンクする。ちなみに、「エスキモー」も機械的に「イヌイット」と書き換えていいわけではない。住んでいる地域によって、「エスキモー」が差別語だとされることもあるが、別の地域では自称として使うこともある。