2104話 若者の世界旅行 欧米編 30 ビート・ジェネレーション 3

 ビートニク(beatnik)と呼ばれた者たちの文学運動は、1940年代末から60年代初めにかけて活発に活動した。そういう活動に参加した人たちを、ビート・ジェネレーションという。彼らの説明では、beatという語は、beatnific(至福)からとった自称で、1957年に打ち上げられたソ連人工衛星スプートニク組み合わせて、マスコミは彼らを「ビートニク」と呼んだという。

 beatの意味はさまざまな理屈をつけて説明されていて、「体制を打ちのめす」ビートだといった解説もあるが、彼らは政治運動を始めたわけではない。「政府に抗議のデモを!」といったタイプの運動ではなく、意識の変革だと私は思う。「ビートって、なんだ?」と考えていて思い浮かんだのは、南北戦争のころから使われ始めた”beat”は、「脱走兵」、「逃亡者」の意味があるという『働かない 「怠けもの」と呼ばれた人たち』(トム・ルッツ)の記述だ。deadbeatだと、「無計画に生きている怠け者」の意味になるという。これはビート・ジェネレーションにぴったりじゃないか。体制に異議を申し立てるのではなく、「嫌だよ」という忌避、あるいは「俺は、別の道を歩く」という姿勢だ。社会の規範、常識、モラルといったものは、窮屈で退屈だと、社会の本流から抜け出した者たちが「ビート」だと考えると、じつにわかりやすい。もちろん専門家は正しい解説をするだろうが、これはアメリカ文化史に疎い私の勝手な想像だ。

 ビートニクたちが「嫌だな」と感じたのは、たぶん、キリスト教で思想も生活も、なにもかもがんじがらめになっている社会だ。日曜日の午前中は教会に行き、そのあと家族そろって昼食をとる。服装も髪型も聞く音楽も読む本も、「正しいキリスト教徒にふさわしいもの」という規範に抵抗を感じたのだろう。現在でいえば、ドナルド・トランプの周辺にいる「きちんとした服装の人たちの世界」といえば、わかりやすいか。ただし、ケルアックは政治的には保守主義者で、ベトナム戦争には賛成し、ヒッピーもユダヤ人も嫌っていたらしい。

 ビート・ジェネレーションの中心にいた人たちにユダヤ人がいたが熱心なユダヤ教徒ではないらしい。ビートの「東洋」に対するあこがれは、仏教とりわけ禅に結び付く。そのきっかけを作ったのは鈴木大拙(1870~1966)で、英語で禅の本を数多く書いた。禅に関連して広まった”macrobiotics”で、1960年から70年代に出たアメリカ文化紹介文には、その発音のまま「マクロバイオテック」と表記してあったのだが、日本ではいつの間にか「マクロビオティック」となっている。OED(オックスフォード英語辞典)でも、ケンブリッジ英語辞典でも、発音は「マクロバイオティック」なのだが、フランス思想紹介者がフランス語風の「マクロビオテック」に変えたのだろう。

 アメリカの料理は体に悪いが、禅が紹介する野菜中心の日本料理は健康にいいという思想がじわじわ浸透し、のちの日本料理ブームに結び付く。食べ物に関してほかのものごとに関しても、「アメリカ的ではないもの」という方向に関心が伸びるが、1950年代はアメリカ人といえども、世界のどこへでも気軽に出かけられる時代ではなかった。ごく一部の、「変人たちが口にする気持ち悪い料理」とみなされていた日本料理が、1970年代末あたりから、徐々に広まっていったという構図だ。

 1980年代半ば、アメリカで豆腐を売ろうと試みた雲田康夫は、「大豆は牛に食わせるものだ。俺たちに餌を食わせるのか」という反発があって、なかなか売れなかったという。そういう苦労の話が『豆腐バカ 世界に挑み続けた20年』(集英社文庫)である。私自身の体験では、1980年のアメリカの地方都市で20代女性に質問された。

 「ねえ、日本人は魚を生で食べるって噂を聞いたけど、ウソよね。そんな気持ちの悪いこと、するわけないよね」

 「いや、食べるよ。日本人の好物だよ」

 「オエッ!」。今にも吐きそうな表情だった。

 その時代、ロサンゼルスのインテリたち(そして変人と思われている人)は、すし、てんぷら、豆腐などを食べていたが、地方都市や農村部では、日本料理は「ゲテ物」に近かった。保守本流アメリカ人たちが「ゲテ物」だと感じている日本料理やインド料理に興味を示したのがビートであり、のちのヒッピーたちだった。ビートジェネレーションやヒッピーは、食文化の点でも意識革命を起こしていた。