2106話 若者の世界旅行 欧米編 32 ヒッピー

 1960年代に入り、「サンフランシスコのヘイトアシュベリー通り周辺におかしな格好をした若い奴らが住み着いている」という噂が流れ、雑誌やテレビで報道されると、そこにやってくる若者がどんどん増えていった。変な服を着た長髪ヒゲ面の若者が歩道に座っている。そこいらにいる。それが、いわば観光名物になって見物ツアーも組まれるようになった。「いったい何が起こっているのか?」というのが、その時代にサンフランシスコで暮らしていた人たちの感想だったらしい。

 のちにヒッピーと呼ばれる若者の動きに、教祖も経典もない。リーダーもいないから、「ヒッピーとはこういうものでなければならない」といった教義もない。

 hipというのは、ビート時代に使われたhipsterのことで、「かっこいい」という意味だ。当時の日本語で言えば「いかす」だろう。その対極にある概念はsquareで、「かっこわるい」になるから、日本の俗語なら「ダサイ」だろう。そういう感覚があると知ったのは、雑誌「話の特集」のコラムで、筆者はまだ背広を着ていた時代の植草甚一だったという記憶がある。

 1950年代の「hipな若者」は、60年代に「hipの子供たち」という意味で、hippieと呼ばれるようになった。Jackie、Eddie、Sophie、Annieなどのように、-ieをつけて愛称にするのと同じだ。

 50年代のビートは、ごく一部の人たちによる文学運動だったが、60年代になって時代の流れは大きく変わった。アメリカだけでなく、ヨーロッパや日本でも戦後生まれの団塊の世代が高校生から大学生の年齢になった。経済が以前と比べて豊かになった。欧米や日本では、対抗文化(カウンターカルチャー)に入り、既存の物事に「否」と考え,行動するようになった。

 ビートとヒッピーを比較する。ビートの仏教や禅に対する関心は、ヒッピー世代になってインドへと広がる。ラビ・シャンカルがもてはやされ、ビートルズがインドに行ったのは1968年。音楽の趣味は、ビートはジャズだったが、ヒッピーではロックとフォークとブルースになった。アメリカでは、もっぱらアメリカ音楽が流れていたが、ヨーロッパでは少し違った。

 1960年代のヨーロッパは、北アフリカや中東には比較的気軽に行くことができるので、そういう土地を旅した若者は、現地の音楽に魅了され、ファンになり、楽器を買って習い、レコードを持ち帰る者もいた。大量に買い付けて、故国でレコード屋を始める者もいた。レコード業界や放送業界に入り、外国の音楽の紹介をする者もあらわれ、のちに「ワールドミュージック」と呼ばれる音楽ジャンルが生まれることになる。アフリカの旧植民地からの移民もいた。

 1950年代の欧米の若者たちにとって、ヒーローといえばエルビス・プレスリーだった。1960年代はビートルズ、70年代には、アフリカや中南米にもラジカセが普及し、電気のない村にも外国の音楽が流れだした。それはビートルズではなく、ボブ・マーレ―だった。そしてもうひとり、映画の世界に現れたヒーローが、ブルース・リーだった。

 ワンダーフォーゲル運動やソローやジョン・ミューアを知った若者は、リュックを背負って野山を歩き、キャンプをしながら、自然環境を考える者も出てきた。自然散歩とは関係なく、旅に出たいという若者も増えていった。「ここではないどこか」に行きたい若者がいて、それが可能な社会になっていた。団塊の世代が、不完全ながらも断片的な旅行情報を集め、手持ちのカネでも旅ができることを知った。1960年代は「変わり者の旅行者」だったが、1970年代に入ると、経済状況がよくなり、リュックを背負って旅行する人が増えていくと、もはや「変わった若者」ではなくなり、どこにでもいる若い旅行者があちこちに姿を見せるようになった。