学割航空券の話を続ける。
1970年代の日本は、就職が決まった大学生向けの団体海外旅行はあり、そのツアーのガイドブックとして制作された冊子がのちの『地球の歩き方』である。大学生ではない者や団体旅行はしたくない者が、手軽に買える安い航空券はまだほとんどなかった。だから、「航空券はアムステルダムが安い」とか、「アテネだ」、「いやバンコクだ」という情報が旅行者の間で広まっていた。「安い航空券」のひとつが、学割航空券だった。日本で安い航空券が見つからないから、シベリア鉄道でヨーロッパに出て、帰国便は旅先のどこかで探すという方法をとった。私は、ロンドン、アテネ、バンコクなどで東京行きの安い航空券を買ったことがある。日本から南ルートで旅するなら、片道切符で香港かバンコクに行き、あとの航空券はどこかで探すという方法もあった。基本的には、日本で売っている航空券は高いということだ。
私の場合は、こうだった。香港まで船で行き、香港で安い航空券を探したがそれほど安くはなく、しかたなくバンコクに飛んで、安い航空券を探した。当時の日本人には驚きなのだが、旅行社の壁には食堂のメニューのように、行先と航空券の料金が貼りだしてあった。ラーメン屋でレバニラ炒めを注文するように、カネさえあれば、アフリカにも、エール・フランス便を使えば、東南アジア・南太平洋経由でアメリカにも行くこともできる。このルートはかなり魅力的だったが、最大の問題はアメリカのビザだった。
そのときはバンコクで、カイロ行きの航空券を見つけて、飛んだ。数年後も同じルートでバンコクに行き、ナイロビに飛んだ。どちらも片道航空券だった。それが、格安航空券が自由に手に入る以前の旅だった。日本で目的地までの往復航空券を買っておくという旅でなければ、旅行ルートも予算も行き当たりばったりだった。インターネットも格安航空券もなければ、予定などないのが当たり前だった。
外国のいくつもの街に、「学生料金」で航空券を安く売る団体や旅行社があった。有名なのが、次の団体。
ISIC(International Student Identity Card)
SATA(Student Air Travel Association)
AUS.(Australian Union of Students)ほか、いくつかもの国際学生証があった。
日本には、JISU(Japan International Students Union 日本国際学生連合)という組織があった。、渋谷と神田と大阪北区に事務所があり、私の手元には、その住所も電話番号もわかっているのだが、今はインターネットでも検索できない。
国際学生証といってもいろいろあったようで、当然、正真正銘の国際学生証があり、そしてやはり当然、そのコピー学生証もあった。そっくりだが、ニセ物という代物だ。そして、架空の団体が発行している「真っ赤なニセ物」の学生証もあったらしい。業者としては、紙きれがそこそこの価格で売れればいいし、旅行代理店としては航空券が売れればいいのだ。書類上「学割」ということになっていれば問題がなかったらしい。
「正式な国際学生証を持つ者」という厳しい条件を付ける学生団体の旅行部門は当然あったが、旅行社のなかには、「学生料金」と表示して、「ここで学生証が買えますよ」とニセ学生証を販売するところもあった。その学生証で安い航空券が買えた。カトマンズで“London Univ.”と書いてある学生証を持っている日本人が何人かいて、「留学生ですか?」と聞いたら、「バーカ、買ったに決まってるだろ! おれたち高卒だぜ」と言われた。カトマンズでも、ニセ学生書が簡単に買えたのだ。カイロではアラビア語で書いてある学生証が誰でも購入できた。おそらく、若者が出没する国では、さまざまなニセ学生証が販売されていたことだろう。
「学生でなくても、26歳以下」を条件にするユース割引というのもあった。1980年代の格安航空券時代に移行する過渡期が「学割航空券」だった。それが『地球の歩き方』以前の旅行事情だ。学割航空券の詳しい資料は、ミニコミやパンフレット類だったから今では確認のしようがないが、単行本でもすこしはわかる。『アジアを歩く』(深井聰男、山と渓谷社、1974)、『旅の技術 アジア篇』(旅の技術編集部編、風涛社1976)、『世界ケチケチ旅行』(世界ケチ研編、講談社、1976)などがある。ちなみに、世界ケチ研の代表者は、学生時代にヨーロッパやアジアを旅行したのち、西洋アンティックの商売を始めた岩崎紘昌(いわさき・ひろまさ)である。旅行体験を仕事に結びつけた例である。