2117話 旅行記を考える 4

 どこかの国や地域を旅すれば、その場所の歴史や政治や経済や衣食住などさまざま事柄に好奇心が向かいそうなのだが、現在の旅行記はほとんど「行ったど~! 撮ったど~!」で終始している。1960年代から70年代に数多く出版された素人の旅行記のほとんどは、「オレはやったど~、行ったど~! これがオレの冒険物語だ」という旅行報告書だ。自分がしたことが重要であって、旅行先のことなど、ど~でもいいのだ。「旅は精神修行だ」と考えている人には、旅先の事情などどうでもいいのだろう。

 料理の作り方と食堂案内のガイドを書く人はいくらでもいるが、その地の食文化を調べてみようという人は極めて少ない。インド料理の本は量り売りできるほど多いが、インドの米や麦や雑穀の歴史や農業を調べた上で本を書いた人はいるか。そういう事柄を書かない最大の理由は、読者がいないからだ。インド料理を食べることと作り方に興味を持つ人は多いが、それ以上の好奇心はない。料理に興味はあるが、インドにもインド人にも興味はないのだ。読者がいないのだから、そういう方面の著作もほとんどないというわけだ。

 私は韓国食文化論を書く気はまったくないが、コラムはちょっと書いているので、基礎知識は仕入れておきたいと思い、『李朝農業技術史』(李春寧著、飯沼二郎訳、未来社、1989)を入手したところだ。参考になる情報があるかどうかわからないが、最低限の基礎知識は備えておきたい。これは、読者がいるかどうかの問題ではない。私の好奇心だ。

 旅行地の歴史や民族問題や人々の生活など、どーでもいいのだ。その地に行ったという証拠写真、「エーゲ海の私」といった写真が撮れればいいのだ。情報などどうでもいいのだ。あくまで、「オレは、ここに行った。50か国目だぞ!」という記念写真を撮りたいのだ。あるいは、自分の人生を変えてくれる旅だと信じたいのだ。だから、旅行記に「余計な」情報などいらない。

 旅行記の読者は、物語を求めている。、青春物語や人生訓や捧腹絶倒痛快バカ話を求めているのであって、旅行先の状況など気にしない。「旅行記を書きましたが、なにも内容らしきものはありません」という場合は、書名に「世界一周」とか「女ひとり」といった語を入れる。著者紹介欄や帯に「世界88カ国を巡る」などと書く。それが、旅行記反知性主義なのだ。

 情報と文章の芸の両方で抜きんでていて、出版物としての評価が高く金銭的にも成功したのは、山口文憲の『香港 旅の雑学ノート』と、玉村豊男の『パリ 旅の雑学ノート』だ。ほかにもあるだろうが、すぐに思いつくのは、このふたりだ。

 旅行を50歩か100歩離れて眺め、調べて、考える研究者もほとんどいない。サルトルフーコーやブーアスティンやマッカネルといった学者の名前を出して、「どうだ、オレ、インテリだろ!」と自慢したい学者と、観光でいかに収益を上げるかという商業の人はいるが(旅行ビジネスをバカにしているわけではない)、私がこのブログで100回にわたって書いてきたような旅行史を書いた人はいない。その理由は簡単だ。旅行が好きな人も研究者も、旅行史などに興味はないからだ。

 スポーツに似ていると思った。スポーツをやって楽しむ人と、見て、読んで楽しむ人はいるが、例えば「学校教育と広告塔としてのスポーツ」とか「スポーツと企業」といったテーマを語る人は少ない。読者は、そういった考察よりも、スポーツ感動物語を読みたいのだ。

 スポーツや芸能と比べて、旅行はその傾向がもっと強い。旅行することと、旅行記を読んだり旅行番組を見るのは楽しいだろうが、旅を考えることに興味がある人はほとんどいない。「旅行とその時代」、「日本人の外国への憧れ」や「日本人旅行者のクセ」といったテーマは、私はおもしろいと思い、『異国憧憬』という本を書いたのだが、まるで売れなかった。どうやら、私の興味は一般読者だけでなく研究者にとっても、「常識外れ」らしい。

 もう一度書いておくが、誰がどういう旅をしてもいい。私は誰かの旅を批判しているわけではない。ただし、プロの表現者の文章が、「行ったど~! 撮ったど~!」で終わっているのは、「なんだかな~」(阿藤快の、この口癖が好きだ)と思うのである。学者の文章なら、「西洋の有名な学者の論文の要約だけの自称『論文』を、恥ずかしいと思いなさい」と言いたい。