2122話 雑話 4

 帰国して、outlookを開いたら、全部消えていた。受信メールが消えたのはあきらめるとして、アドレス控えも全部消えた。紙でメモした一部の人を除き、アドレスがわからない。受信はできるように業者に修復してもらったから、来たメールに返信するという方法でアドレス帳を作ることにしよう。あ~あ。

 ■アマゾンでおもしろそうな本を次から次へと探っていたら、正岡子規が出て来た。「どうです、これ」というアマゾン側の推薦だ。正岡子規は、書名は何冊も知ってはいるが、1冊も読んだことがない。『病状六尺』は、高校の国語教師が推薦していたのを覚えている。岩波文庫の紙面を見ると、文字遣いがややこしそうだ。俳句を1冊読む気はないので『子規句集』はパス。『墨汁一滴』が良さそうだという選考は、今度旅に持って行く本にちょうどいいなあと思ったからだ。しかし、旅に持って行った本をちゃんと読んだことがない。旅先では、本を読んでいるよりおもしろいことがいくらでもあるからだ。空港で過ごす3時間だって、読書よりも散歩と人間観察の方がおもしろい。機内では、映画を見る。

 書店で子規の本をチェックしたら、字が小さくて読みにくいのはわかった。古い日本語で字が小さいと、読む気が失せる。

 ■長年愛用してきた靴を捨てた。その靴を買ったのは10年ほど前だ。

それまで愛用していた靴が破れ始め、新しい靴を買うことにした。今までの経験で、靴の耐久性と価格は関係ないということがわかっているが、「これならいいか」と思える6980円の靴を手にレジに向かう途中、「特売!!」と書いてある靴の山を見つけた。ありふれたデザインで、特に魅力はないが1800円という価格に目が止まった。「履き心地が悪ければ、すぐに捨ててもいいや」と思って、その靴も買うことにした。その特売靴は、完璧な履き心地で、結局、その特売靴だけを10年ほど履くことになった。

 ところが・・・。さっきゴミ袋に放り込んだ愛用靴を、取り出した。その靴があまりに履きやすく、ほかの靴が履きにくいので、捨てるのが惜しくなったのだ。小さな裂け目に革を貼り付け、マジックインクで黒く塗った。じっくり眺める人がいれば、みっともなさはわかるだろうが、他人の靴を気にする人なんかいない、みっともなくても、いいんだ。履きやすさがイチバンさ。

 ■テレビやラジオのニュースと新聞や雑誌などの活字記事との違いは、固有名詞にある。放送では、地名人名団体名などを、「どう読むのか」を調べておかないと音声化できないが、活字記事ではそのまま書いておけばいい。「弘一」は、「こういち」でも「ひろかず」でも、あるいはまったく予想外の読み方でも構わない。地名も、活字媒体はどう読もうが気にかけないが、音声媒体は、たとえば「崎」は「さき」か「ざき」か、はっきりさせないといけないから手間がかかる。活字校正者は気に欠けないことだが、音声メディアの校正者は細かい作業が必要だ。中野区と練馬区にまたがる「江古田」の読み方が面倒だというのは良く知られたことだ。

 文字媒体では別の悩みもあり、東京の「あさがや」は、「阿佐ヶ谷」が駅名で、地名は「阿佐谷」といった混乱は至る所にある。「よつや」も、地名は「四谷」、駅名は「四ツ谷」。

 ■関西の芸人が、東京のテレビでは関西の地名のアクセントが違うという指摘をしばしば耳にする。普段耳慣れた地名が妙なアクセントで呼ばれる不快感はわかるが、それは関西の芸人がしゃべる関東の地名でも同じことで、それは九州の地名だろうが東北の地名だろうが同じことだ。ガイドブックでも、地名をどう表記するかが問題だ。アクセントの問題は活字では無視できるが、呼び方となると少々ややこしい。宮崎県都城市は、公式的には「みやこのじょう」だが、地元の呼び方では「みやこんじょ」であり、いまは地元PR活動のキーワードで「みやこんじょ」を広めようとしている。

 宮崎はアクセントは違うが地元でも「みやざき」だが、鹿児島は地元では「かごんま」と呼ばれている。与論島で滞在している時、島人の会話にしばしば「かごんま」という単語が出て来て、それは何だろうと考えていて、「ああ、そうか、鹿児島のことか」とわかったということがあった。同様に、沖縄も「うちなー」だ。「地元の発音そのままに」というのは、難しいのだ。

 付記 鹿児島は「かごんま」のほか「かごっま」という表記もあり、屋台村の表記で「かごっま屋台村」というのもある。インドのボンベイを「ムンバイ」とするような、「自分の名は自分の言葉で」という民族主義だろう。