毎日誰かとしゃべっていた。たいていは道を聞いたあとで多少の言葉のやり取りがある程度だが、それが立ち話になることが何度かあった。
その日はブキット・ビンタンから宿のあるチャイナタウンまで歩いて帰ろうと思った。電車ならすぐだが、それではおもしろくない。
右に左に寄り道を繰り返し、路地に入り込み、好奇心のままに歩いているうちに、チャイナタウンがどちらの方向かわからなくなった。昔は、それでも勘を頼りに歩き続けたが、見当違いの方向に歩き出すとあまりに疲れるので、今はすぐに誰かに道を聞くようになった。
向こうから歩いて来るのは、中年の男ひとり。さて、このおっちゃんに英語が通じるかどうか気になるが、声をかけてみた。
「チャイナタウンはこっちですか? あっちですか?」と左右を指さす。ジェスチャーも交えれば通じるだろう。おっちゃんは、はっきりとした英語で、「こっちです」と私の背中の方向を指さした。
「どうやら、反対の方向に歩いてきたようですね」というと、
「そうですね。私もそっちに行きますから、途中までいっしょに・・・」
歩きながら、とりとめのない話をした。鉄道を使えばすぐですよと親切に駅の位置を教えてくれるが、「歩きたいんですよ」と答える。
「ところで、どちらから?」
「日本です」
「ああ、日本からいらっしゃたんですか」と破顔。英語から日本語に変わった。
「私、むかし日本に留学していたんです」。わずかに、日本人らしくないアクセンのゆれはあるという程度のきちんとした日本語だ。
「はじめの1年は日本語学校に行ったんです。それからホテルの専門学校に行きました。大学よりは安いと思ったんですが、授業料以外に、研修旅行費とか実習費とかい。ろいろ取られて、大学以上に高かったですよ。あのころ、東京は世界一物価の高い街ですよ、1ドル80円台の時代です。親の仕送りなんて、すぐに無くなってしまいます。それで、勉強と生活費稼ぎの両方の目的で、新宿の京王プラザホテルで仕事を始めたんです。時給は、今でも覚えてますよ。1350円でした」
1ドルが80円台になったのは、1995年。30年前だ。
「時給1350円は、今の深夜勤務の時給と変わらないんじゃないですかねえ」
「そうです。今、息子が東京で留学生生活をしているんですが、その生活ぶりを聞くと、物価は私がいたころとあまり変わっていないし、モノによっては安くなっているものもありますね。私が借りていた部屋の家賃と、息子の部屋の家賃は、それほど大きな違いはないんです。息子はファッションの学校に通っています」
「新宿ですか?」
「ええ、なんでわかったんですか?」
「まあ、そうじゃないかと・・・」。なんとなく、あの繭のビルが頭に浮かんでいた。
そして、昔話をちょっとした。
「かつて、とんでもなく物価が高かった日本に、今は『安い、安い!』と言って、外国人がやって来る時代になりましたね。何でも安いようですね」
「そうでしょ。ドルが安い時代に日本で稼いで、ドルを持って帰国すればいい生活ができたんでしょうが、当時はキツキツの生活で、貯金なんてとてもできません。今日本に行くと、安いね。日本料理は日本で食べれば、安いから」
「マレーシアで、日本料理は高いですからね」。日本料理店の店頭に置いてあるメニューをチェックして、「だいぶ、高いなあ」と感じたという話をした。
「そう、高いんです。でも、その、マレーシアの高い日本料理を今は平気で食べる人がいくらでもいるんですね。貧富の差が急激に広がっています。日本と比べて、マレーシアが安いのは、タクシー、食べ物と・・・」
「ホテルでしょ。日本のホテル代は、とんでもないことになっていますから」と、ニュースの知識を披露した。私はしばらく国内旅行をしないから、日本のホテル事情を肌で感じたことはない。
「京都は、とんでないことになっているようですね。高額マンションは外国人が買っているそうですし・・・。しばらくしたら、また東京に行きますよ。言葉の心配はないし、宿は息子のアパートに泊まるし、物価は安いし・・・」と言って、にっこり笑った。
こんな世間話を、クアラルンプールの路上で10分ほどした。ひとり旅だから、誰ともしゃべらないなんていうことはない。ひとり旅だから、いつも誰かとしゃべっている。観光地巡りよりも世間話の方が楽しい。