コタバルに続いて40年ほど前にたった一度行っただけのクアラ・トレンガヌの思い出も、たいしたことはない。道路に面した家の一階は食堂になっていて、店頭で男が料理をしている。油が焼ける煙と匂いが道路に流れ出している。「うまいぞ。さあいらっしゃい」という呼び込みがが、鉄鍋にしゃもじが当たる軽やかな音だ。その建物の階上に宿をとった。窓から見下ろす道路に自動車はあまりなく、トライショー(三輪自転車)がのんびり走りながら、客を探している。晴天、青空の向こうに海が見える。
記憶はそれだけしかない。あまりに退屈な街で、翌日南下してクアンタンに行ったが、そこは輪をかけて退屈で、翌日クアラルンプールに向かった旅だった。クアラルンプールからすぐにマラッカに向かったが、そこは今とまったく違い街を歩いている人はほとんどなく、この街も静かに眠っていた。今は観光客でごった返すオランダ広場やセントポール教会の南は海までほとんど建物はなかった。ただ砂浜が広がるだけだった。
退屈な街でヒマをもてあそんでいる商店街の若旦那たちのたまり場がたまたま我が宿のロビーだったので、私もその輪に加わり、とりとめのない話をして、そろって昼飯を食べに行くという日々を過ごしていた。そのときに、ラットの漫画やマレー語や福建語などを話題にしたから、私にとってはそれはそれで楽しいひとときだた。
20年ほど前にマラッカを再訪したら、中国人客で満ちていたが、そのほとんどはクアラルンプールからの日帰り客だから、午後の遅い時間になれば、マラッカはまた「眠くなる静寂の街」に戻る。そんな、過去の旅を思い出していた。
昔泊まったクアラ・トレンガヌの宿の前に海が広がっていたという記憶は、ちょっとずれていたらしい。海だと思っていたのは、今回の旅で、じつは川だとわかった。トレンガヌ川で、昔も見えていたに違いないのだが、対岸が見える。クアラ・トレンガヌという小さな街の西側にチャイナタウンがあり、川に面している。そこから北に10分も歩けば河口で、西側に回れば大海だ。つまり時計回りに、川、河口、海と変化していくのがこの街だ。だから、私の記憶も大きくは間違っていなかった。

河口まで徒歩10分。なんでチャイナタウンやバスターミナル前の街並みを撮らなかったのか不明。
その時の旅はガイドブックは持っていなかったはずだが、安宿を求めてチャイナタウンに行ったはずだ。今の常識からすれば、ガイドブックも地図もなく旅をするのは無謀と思われるだろうが、そういう旅は当時の気ままな旅をする若者たちの間ではごく普通だった。
その当時、日本語でもガイドは出ていた。『宝島スーパーガイドアジア シンガポール・マレーシア』(JICC、1983)は書棚にあるが、アジア事情のガイドブックとして、旅を終えてから買ったはずだ。この本の隣りに、もう一冊ガイドがある。『地球の歩き方 マレーシア・ブルネイ 90~91』(1989)だ。「地球の歩き方」のマレーシアは1988年に『シンガポール・マレーシア』が出たのが最初で、その次の版が、手元にあるガイドだ。タイのガイドは資料として各種買い集めたことはあったが、マレーシアのガイドは必要じゃないし、なんで買ったのだろうかと思いいつつページをめくると、解答が見えた。私が何本かのコラムを書いたから、出版社が送って来たのだ。
クアラ・トレンガヌ散歩は、とりあえずの目的地をツーリスト・インフォメーション・センターにした。チャイナタウンを抜けて、市場へ。ここで三輪自転車トライショーを発見。マラッカと同じように、観光客を乗せてその辺を走る遊覧車になっている。日本の人力車と同じだ。何人もの人に道を訪ね、よくわからないので、郵便局に行った。椅子に座っている制服姿の局員は配達員か。
コタ・バルでも同じようにツーリストインフォメーション・センター探しをやり、最終的にバイクタクシーのライダーに聞いたら、さすがプロ、たちどころにそこからの道順を説明してくれて、正確だった。この「正確」と言うのが重要で、親切に道を教えてくれる人は多いのだが、その指示が必ずしも正しいとは限らないという問題は、どこの国でもある。
クアラ・トレンガヌでは、郵便局員だ。正確だろう。郵便局員と言えば思い出したことがある。横道にそれた話は長くなるから次回に続く。