今回は、思い出した横道話と写真の回にする。
クアラ・トレガンヌに行く数年前のことだから、ずっと昔のことだ。
カリフォルニア州ロサンゼルス郡のバーバンクで友人の家を探そうとした。もちろんスマホのない時代で、地図もない。自動車もない。わかっているのは住所だけで、電話番号も知らない。探すのはロサンゼルス郡だ、銀座の店を探すのとは規模が違う。バーバンク行きのバスの終点で降りたら、バス停近くに郵便局があった。局に入り、窓口で住所を書いたメモを出し、「ここに行きたいのですが・・・」というと、若い局員は、メモをじっくり眺め、「うん、この裏手だ。そこの道を歩いて5分くらいかな」。これを、私は「バーバンクの奇跡」と呼んでいる。関連する話をいくつも思い出したが、これ以上脱線しない。
話を戻して、クアラ・トレンガヌ。郵便局員に観光案内所の場所を訪ねると、ポケットからスマホを取り出し、検索し、「ああ、あそこだ」と100メートルほど先を指さした。「屋根が見えるでしょ。あそこです」
その建物にすぐたどり着いたが、ドアに「閉鎖しました」という書いた紙が貼ってある。その近くにバスチケットを売る事務所があり、「どこへ移転したんですか?」と聞いたが、「さあ、知らない」という。近くにいた男が、「あっちの方に」と郵便局の方を指さし、「観光関係の事務所があるはずだから、行ってみたら」とアドバイスしてくれたが、もういい。向こうに見えている橋を見に行くことにしよう。対岸とを結ぶ橋だ。
*帰国後、ネットで再確認すると、観光案内所は別の場所にあることがわかった。とりあえずの目的地を決めての散歩だから、目的地に着けなくてもいい。散歩しながら雑談ができればいいのだ。けど、だいぶ歩いたな。11月のマレーシアは気温30度くらいだから、真夏の東京よりは快適だ。

三輪自転車トライショーは、こういう飾りをつけて観光客の乗り物になっている。この乗り物が実用だったのは、街にもよるが、1980~90年代あたりまでだろう。

河口で、父と息子が釣りを始めた。空がちょっとレンブラント光線を放っているので、露出補正遊びをしているうちに母と娘もやって来た。

振り返ると、野外食堂の準備。ジャワ語のレセハンlesehanは「床に座る」という意味だったが、インドネシア語に入って、このように座卓で食事する屋台や食堂の意味になった。lesehanで画像検索すれば、その例はいくらでも出てくる。これは、そのマレーシア版でタイにも地方都市では見かけることがある。この座卓はメジャ・レンダンmeja rendan(低いテーブルの意味)というが、たぶん1950~60年代に日本から輸出されたのがきっかけではないかと想像している。

河口に架かる橋は展望台にもなっているので、登ってみた。初めての場所は、高いところに登って全体を眺めよというのが、小田実や宮本常一の教えだ。


そして、河口から街を眺め、街を眺めた。広い通りの向こうに海が見える。

翌日も、またレンブラント光線で露出補正遊び。
2025年のブログはこれが最後です。来年も偶数日に更新します。正月もいたってヒマですが、みなさんは忙しいと思うので、次回は2026年1月8日にしましょう。マレー話は、長い長いプロローグを終えて、いよいよクアラルンプールを歩きます。
来年も、ちょっといい年でありますように。そう、ちょっとでいいのです。