クアラルンプールの食堂でコメの炊き方の講習を受けていたその日のその時刻、日本では父が息を引き取った。この親不孝者は、もちろんそんなことは知らない。行き当たりばったりの気ままな旅だから、自分でも「予定」などというものを知らない。ただこのときは、友人の結婚式の日程はわかっていたから、ジャカルタの連絡先は姉に教えておいた。父が死んで数日は混乱で、「すぐ連絡できたとしても、すぐに帰れるわけじゃなし」と思ったのだろうが、ジャカルタには数日たってから電話したと、後から聞いた。電話を受けたジャカルタの友人は、私はもうインドネシアを出ていて、多分マレーシアに行ったと思う。そっちに電話をして、もしつかまれば伝えます。結果はのちほど電話しますというやりとりがあったそうだ。
友人がジャカルタからクアラルンプールへ電話すると、風来坊はすでにタイ方面に移動したということがわかった。姉と母は、父の葬式は喪主となるべきそのバカ息子が帰国してから行なうと決めたが、それがいつになるのかさっぱりわからないというのが大問題だった。
その半年前、父が倒れたときはバンコクにいた。手紙をもらったので一度帰国した。これから長いリハビリ生活に入るだろうから、全快を待ってまた外国に行くなんて無理だから、今行ってもいいよという母の言葉に甘えたのだが、その後別の病気が見つかり、あっけなく死んだ。トゥンク・アブドゥール・ラーマン通りは、そういう思い出がある場所だ。
この年の取材の結果できたのが、『東南アジアの日常茶飯』(弘文堂、1988)で、その162ページに「米の料理法」の3段のカラー写真が載っている。上段のインドネシアの写真を撮り、マレーシアに移動して、「その日」にクアラルンプールの食堂での飯炊きの写真を撮った。そして、のんきにタイに移動し、バンコクの南、サムット・プラカーン県でタイのコメの炊き方撮影をした。

2025年のその日、朝飯のあとのコーヒーを飲みながら、「今日はどこへ行こうか」と地図を眺めていてチョウキット市場を見つけて、どう行くのか経路を探していて、TAR通りを見つけ、「ああ、この通り、懐かしいなあ」と思い出した。その瞬間まで、1987年の「米の炊き方取材」のことはすっかり忘れていた。
いま、道路の向こうに食堂がある。屋号を覚えていないから、本当に林(リム)家のあの食堂なのかと問われれば、自信はない。この通りはインド人経営の生地屋が多いところで、食堂はここしかない。だから、多分ここだろうと想像した。店内はかなり混んでいて、盛況のようだ。店頭近くで働いているのは、林三きょうだい(兄と妹・弟の3人なので、兄弟という語は使えない)の子供だろう。30代だから、年齢的にも合致する。三きょうだいはもう、60代か70代だろう。
客でにぎわっている店に入っていて、「むかし昔・・・」という話をするのは迷惑だろうし、三きょうだいの誰かがいても忘れているだろうと思うと、迷惑をかけてはいけないという気持ちが強く、道路越しに店内をちょっと覗いただけで素通りした。写真を撮ることも遠慮した。その食堂だけが取り残されたように昔のままで、ほかの店は新装開店で生まれ変わっている。
頭の中で、「2025-1987」という暗算をして、「38年前か・・・」と少しセンチメンタルな気分になった。