530話 輸入品の年表を読む

 
 
 どこの図書館でも、ときどき「ご自由にお持ちください」という表示とともに、廃棄処分にした書籍や雑誌が出入り口付近に置いてあることがある。よく見ると、本の山のなかにもう20年以上探していた貴重な本があり、感動してもらって帰ったこともある。図書館には、一般書店には並ばない報告書や紀要や研究機関の定期刊行物などが多数寄せられるが、ほとんど読まれることもなく、しかも数が多いので、そういう冊子も処分品になる。昨年は、近所の図書館で「定本 柳田国男全集」や「折口信夫全集」などが山と積まれて、「何冊でもご自由に」ということだったが、置き場所を考えたら、すぐに読む気がない本を持ち帰る気もなく、民俗学関連書にはいっさい手を出さなかった。柳田の全集は文庫版で手に入るから、立派な函入り全集は場所ふさぎでしかない。
 先日もらって来たのは、『改訂3版 輸入食品衛生年表 1945〜2003』(日本冷凍食品検査協会、2004)という非売品の資料だ。「まえがき」も「あとがき」もないから、内容の説明はないが、まあ、書名どおり、輸入食品の衛生に関する年表だろうが、読みだすとなかなかおもしろい。私の趣味のひとつは、年表を読むことであり、作ることだ。
以下、おもしろいと思った項目を適当に書き出す。(  )内は、前川のつぶやき。文字組みがおかしいのは、このHatena-Diaryの設定の性なので、非力な私にはどうしようもない。すいませんが、がまんしてお読むください。
1945 農林省 未利用資源の食糧化推進。イモズル、カボチャの茎葉、クワ、ヨモギ、ドングリ、海藻など。
   タピオカ澱粉411トン輸入(明治末に出版された村井弦斎の『食道楽』に、すでにタピオカが出てくるが、終戦直後のタピオカはどうやって食べたのだろう)
   GHQ,輸入食糧の見返り物資に茶を指定(つまり、輸入食糧の代金の代わりに茶をよこせということか?)
1946 フィリピンから、小麦粉輸入1000トン(フィリピンだって、充分な食糧があったわけではないだろうに。カビが生えたとか、なにか訳ありの小麦粉か)
  カリフォルニア米7000トン、横浜に到着。戦後初の米輸入
   東京中野で集団食中毒。1145名人(5000人という説もあり)。原因は輸入小麦粉。
1947 東京ほか日本各地で集団食中毒。患者4000人を超す。原因は輸入脱脂大豆粉。
1948 援助ではなく、外貨で購入した米がエジプトから届く(エジプトから米を輸入した歴史があったのか)。
1950 韓国から海苔1億枚輸入。(しかし、日本の生産者保護のために、57年に輸入禁止に)
1951 輸入脱脂粉乳による食中毒が上半期だけで700人を超える。
   赤痢が流行し、死者1万5000人(すごい数字だ。2011年の東北地方太平洋地震の死者とほぼ同じ)。
1952 ビルマからの輸入米にカビがついていた黄変米事件が、このあともたびたび起きて、外国米への不信感が強まる。
   オーストラリア産カンガルー肉輸入が問題となり、輸入差し止めの陳情が出る。(何を問題として輸入禁止を求めたのかわからないが、60年代なかばにもカンガルー肉のサルモネラ菌検査強化という動きがあるので、カンガルー肉が輸入されていたことは確からしい。人間の食用か、あるいは動物の餌用なのかわからない。このあたり、調べてみれば興味深い事実がでてくるかもしれない。『日本のカンガルー肉――もうひとつの日豪関係史』というような新書が書けるほどのネタがあるのだろうか。オーストラリア研究者諸氏、いかがでしょう)。
1965 韓国から米6万トン輸入の契約。(65年は、日本ではもう米の消費量はピークを過ぎているが、韓国ではまだまだ食えない人がいる食糧不足の時代だ。そういう韓国が米を輸出するといういきさつは不明だが、米を売っても買いたい物があったということか。米が不足しているのに米を輸出する国の事情と、あまりつつあるのに米を輸入する国の事情の、両方の事情に興味がある。このあたりも『米の日韓関係史』を書けるほどの物語はあるのだろうか)。
 何年にもわたって問題になっているのは、「輸入大豆にヒルガオ科種子混入事件」というのがあるのだが、そのいきさつや原因や結果がわからない。輸入品についている細菌や薬物などのことも、私の教養不足で解読できなかったが、もらった資料で20分ほど遊べたのだから、よしとしよう。