2021-01-01から1年間の記事一覧
最終回 若者の旅の歴史研究を いままで、28回にわたって、1970年前後の旅行事情を少し書いた(「少し」じゃないか)。もう30年も前から、戦後日本人の海外旅行の歴史を調べてきたが、いまだにジグソーパズルの大きくて非常に重要なピースが埋まらないままだ…
戦後旅券抄史 6 2022年4月に私のパスポートの有効期限が切れるから、更新しなければいけないのだが、なかなか体が動かない。前回の、嫌な記憶があるからだ。その話に入る前に、2冊目のパスポートの写真の話をしておこう。 私にとって2冊目となる1978年発…
戦後旅券抄史 5 私が作った旅券関連年表から、興味ある項目を書き出してみる。本文レイアウトがおかしいが、私の能力では修正できないので、あしからず。 1977.9.28 バングラデシュのダッカで、日本赤軍によるハイジャック事件が起こった。この時代世界各地…
戦後旅券抄史 4 JCBカード、メルカリ、アマゾンなどの「なりすましメール」が続々と、かつ、しつこく着信しています。皆さま、ご注意を。 というところで、パスポートの話の続きを。 私が初めてパスポートを取ったのは1973年だった。その当時、どうやったら…
戦後旅券抄史 3 1970年の「一般旅券発給申請書」に記入しなければいけない項目は、現在とはまったく違う。大時代がかっている。こうだ。驚くぞ! 氏名のあと、性別、既婚か未婚の別、身長、「外見上の顕著な特徴(ない場合は記入不要)」、本籍地、そして、…
戦後旅券抄史 2 旅券発給申請書の話から始めよう。 『実用世界旅行』(杉浦康・城厚司、山と渓谷社、1970)に、「一般旅券発給申請書」の表面(おもてめん)のコピーが載っている。これは、私が申請した書類とあまり変わっていない。 パスポートは大別して、…
戦後旅券抄史 1 パスポートの戦後史を知りたかった。 この話を、1回読み切りのコラムにしようかとも考えたが、一次旅券も知らない人が多くなったから、この機会に長編を書いてみようと思う。 パスポートの歴史を少し調べると、あまりに変化が激しく、「まあ…
『ヨーロッパ鉄道の旅』をめぐるあれこれ 4 横浜から船で出てシベリア鉄道・モスクワそしてパリまでのツアー代金と、日本からパリ往復の格安航空券代金とそれほど変わらない値段だった1975年当時、それでも船を使った人の話だ。格安航空券の存在を知らなかっ…
『ヨーロッパ鉄道の旅』をめぐるあれこれ 3 林芙美子がシベリア鉄道に乗った1930年代、ヨーロッパをめざす鉄道の旅は船旅よりも安くて早かったという話はすでに書いた。それでは、ナホトカ航路が始まった戦後はどうだったのか知りたくなった。 1963年発行の…
『ヨーロッパ鉄道の旅』をめぐるあれこれ 2 前回旅行ガイドの話を書くなかで、”International Youth Hostel Handbook”の名を出した。国際ユースホステル協会が発行している冊子だ。画像検索すると立派な本の体裁だが、私が東京有楽町のそごうの中にあったユ…
『ヨーロッパ鉄道の旅』をめぐるあれこれ 1 このコラムは、蔵前さんの「旅行人編集長のーと」で紹介していた『ヨーロッパ鉄道の旅』(山本克彦、白陵社、1969)について、ちょっと書くだけの予定だったが、若き漫画家が日本を出た1972年当時の旅行事情なども…
シベリア鉄道と林芙美子 戦前期にシベリア鉄道でヨーロッパに向かった有名人は何人もいるが、そのなかでもっとも知られているのは林芙美子だろう。林芙美子関連の本は、旅行記研究のために何冊も読んでいるのだが、棚を探してもすぐには見つからない。そこで…
続1970年 私が作った旅行史年表の「1970年」の項に、「パリ三越開店」とあり、今回それに付け加えて、「ストアーズレポート編集長椎名誠海外初取材にして、初の外国体験」と加筆した。しかし、気になることがあった。椎名誠の初めての外国体験に関して、『屋…
1970年 日本人の海外旅行年表というのを作ってある。元はワープロ専用機で作ったもので、単行本1冊分くらいの量があった。その後、パソコンのワードに打ち変えて縮小版にした。 その1970年の項を見ていて、「おや?」と思った。原稿を書いた私がすっかり忘…
地方在住者および県庁所在地から遠く離れた土地に住んでいる(気の毒な)人たち 4 「地方在住者の海外旅行」というテーマを考えていて、前回パスポートの申請や受理がめんどくさいだろうという話を書いた。北海道や離島に住んでいる人は、パスポートの申請と…
地方在住者および県庁所在地から遠く離れた土地に住んでいる(気の毒な)人たち 3 「ビザは隣国で取れ」というのは原則だが、仲が悪い国同士だと簡単にはいかない。ケニアでタンザニアのビザはなかなか取れなかった。ケニアとタンザニアの関係史をきちんと話…
地方在住者および県庁所在地から遠く離れた土地に住んでいる(気の毒な)人たち 2 どこに住んでいようと、旅行情報が手に入り、航空券が手に入るようになったのは、インターネット時代に入ったここ10年か15年くらいだろうか。パソコンを使って、自宅で世界の…
地方在住者および県庁所在地から遠く離れた土地に住んでいる(気の毒な)人たち 1 1970年代、私は東京をふらふらしていた。何かおもしろそうなことはないかと探している若者がいる場所に出没し、すでに書いたようなミニコミやパンフレット類を手に入れ、実際…
若大将の海外旅行 加山雄三の東宝映画「若大将」シリーズは、荒唐無稽な青春映画という印象を与えるかもしれない。スポーツ万能で後半は学業優秀という若者の話なのだが、海外旅行史の史実という点では、かなりのリアリズム映画なのである。現実味のある夢物…
1990年の格安航空券事情 前回、1975年の格安航空券情報を少し書いた。引き続き1980年代の資料がないか探したが、ない。多分、大捜索隊を派遣して、1980年代の「オデッセイ」のバックナンバーを引っ張り出せばわかるのだろうが、手元にあるのは『異国憧憬』執…
ミニコミの旅行情報 1970年代に集めたミニコミやパンフレットのたぐいは、段ボール箱いっぱいくらいたまっていたが、1980年代初めにアフリカに行く直前に、勝手にオデッセイ編集部に寄贈した。アフリカに行くと、悪くすると命を落とすかの知れないという不安…
旅行雑誌「オデッセイ」 若者の海外旅行史のコラムは、下書き原稿がどんどん長くなった。あと20回分ほどあるから、2022年1月に足を踏み入れそうだ。ほかのテーマの原稿も、そのくらい書き溜めてある。ツイッターじゃないんだから、毎日更新じゃ読む方がつら…
ボーイング747、通称ジャンボ機登場 ベトナム戦争で使うために、アメリカ軍は大型輸送機の導入を計画し、ロッキードやボーイングなど航空会社に声をかけた。その結果、新たな大型輸送機として採用されたのは、ロッキード社のC―5、通称ギャラクシーで、1968年…
1968年と77年の航空運賃 航空運賃の話をしよう。手元に様々な時代の航空運賃一覧表があるのだが、交通公社の『外国旅行案内』の1968年版と1977年版の数字をちょっと書き出してみよう。料金はいずれも、東京発のエコノミー片道料金だ。 1968年 1977年 ソウル…
団塊の世代と海外旅行 今回は、団塊の世代の話をしておく。 第二次世界大戦が終わり、若き兵士が故郷に帰り、結婚して子供が生まれる。アメリカではその世代をbaby boomersといい、1946年から1964年までに生まれた人をさすようだ。アメリカの出生率グラフを…
国際経済と旅行 今回も引き続き、ややめんどくさい話をする。国際経済と旅行の話の基礎だから、しょうがない。観光学者は、観光業が企業や自治体や国家にどのくらいの収益をもたらすかといった意味での経済学の話はするが、「国際経済史と旅行」という話は、…
海外旅行の自由化 ここで改めて、戦後日本の海外旅行史を簡単に振り返ってみたい。 日本人に限らず、外国旅行事情を考えるには、国の経済力という問題を頭に入れておかなければ旅行の歴史は語れない。 1955年のアメリカ・イギリス合作映画「旅情」(Summerti…
1970年前半の船の旅 私が旅を始めた1970年代前半の船事情を書いておこう。 1971から72年に、前回書名を出した『若い人の海外旅行』を読んで旅行の下調べをしていた。この本には、小山海運の貨物船は安く乗せてくれるという記述がある。30~40日間の東南アジ…
海外旅行の自由化以前 蔵前仁一さんは「旅行人編集長のーと」で、萩尾望都、竹宮惠子、山岸涼子、増山法恵の4人が、1972年に、ソ連船に乗り、シベリア鉄道経由でヨーロッパに行った旅に関するあれこれを全5回にわたって書いている。私は旅行史、とくに若者…
城達也の引退後、次の機長による放送を聞いた記憶がない。伊武雅刀の声は覚えているが、連続しては聞いていないだろう。ときどき聞くようになったときには、大沢たかおが機長になっていた。2010年代だ。かつては、放送する音楽は気に入らないが、城のナレー…