1659話 「旅行人編集長のーと」に触発されて、若者の旅行史を少し その7

 ボーイング747、通称ジャンボ機登場

 

 ベトナム戦争で使うために、アメリカ軍は大型輸送機の導入を計画し、ロッキードボーイングなど航空会社に声をかけた。その結果、新たな大型輸送機として採用されたのは、ロッキード社のC―5、通称ギャラクシーで、1968年から運用が開始された。

 ボーイング社も大型輸送機の計画を立てていたのだが、ロッキードに敗れて、別の方向を考え始めた。計画していた大型輸送機計画に手を加え、今までにない大型旅客機の製造を考えた。これが、のちのボーイング747、通称ジャンボである。客席数は従来の2倍、初飛行は1969年だった。日本航空での初飛行は、1970年だった。

 機体が2倍の大きさになったからと言って、乗客が2倍になるわけではない。航空運賃が高いから、乗りたくても乗れないのだ。空席対策として考えたのが、割引料金の導入だ。この時の割り引きをバルク運賃(Bulk fare,直訳すれば「かたまり運賃」)という。一定の座席を押さえた旅行社には、運賃を大幅に割り引いた団体料金で販売するというものだ。

 この割り引き料金が適用された結果、1970年以降ツアー料金がいっきに引き下げられた。3割から5割引きくらいの料金になったのが1970年代なかばごろだ。この時代になれば、OLのボーナスで香港やグアムなら行くことができる料金になった。前回、1977年の航空運賃はこんなに高かったという話をしたが、それは「個人旅行用の航空券を買えば、とんでもなく高い」という意味で、団体割引運賃は急激に安くなった。

 その後、団体運賃は別な道を歩き始める。主に若者向けにチャーター便の登場だ。1社だけで全席を販売できないから、何社か共同で飛行機を押さえると、ヨーロッパ方面の便も安く販売できる。大学主催の卒業旅行など利用価値は多い。大学と旅行社と引率する教授に多大な利益をもたらしたと考えられる。

 その後、1人や2人でも「団体」として、団体料金で航空券を販売するようになった。団体切符のばら売りだと言えば、わかりやすいか。これが格安航空券と言われるものだ。私の体験を話す。1980年代に入ってからでも、いわゆる格安航空券会社で航空券を予約すると、出発当日、成田空港の団体専用ブースで「○○ツアー」の参加者として受付し航空券を受け取る。そのあと航空会社のカウンターで本来のチェックインをした。こういう形ばかりのツアーに参加したことは何度もある。航空券がないとビザが取れないときは、旅行社に航空券予約済み証明書のようなものを発行してもらい、大使館に持って行った。旅行社で航空券の代金を支払っても航空券を渡されないので、「サギか?」と疑われることも多かった。

 HISが巨万の富を稼ぎ出すようになると、格安航空券業界にJTBが参入した。JTBがインターネットで旅行商品を売るようになったのは1998年からで、日本航空など航空会社も自分で安い切符を売るようになった。旅行業界の裏街道を歩んでいた格安航空券はだが、個人旅行者の増加に対応するために、大手旅行代理店や航空会社も参入し、航空券が一気に安くなった。私もインターネットで安い航空券を比較検討した結果、最安値で買ったのがJTBが販売していたJALの航空券だった。エジプト航空パキスタン航空しか使えなかった貧乏旅行者は、時代の変化をつくづく感じたものだった。

 インターネットで安くて便利な航空券を探していて、「トラベルコちゃん」という恥ずかしい名のサイトを見つけたのは2011年か12年だったと思う。その後「トラベルコ」の名になりコロナ禍前までは、私のおもちゃだった。このサイトで、空想海外旅行ができるのだ。「今夜はどこに行こうか」などと考えながら、大西洋や太平洋の島々への、もっとも安い航空運賃を調べたりして夜が更けた。

 HISの創業は1980年だと、HIS自身の資料にも出ているが、それ以前に私は航空券を買っているし、旅行雑誌「オデッセイ」に広告も出ている。

 インターネット時代以前に、外国に行きたいと思っている若者は、どうやって安く旅行できる情報を手に入れていたのか。

 1960年代前半に出た旅行関連書は、来るべき海外旅行自由化に備えたもので、「チップはどうする」といった団体旅行参加者に基本情報を教えるというものだ。内容的にはたいしたことはない本だが、一応かなり買い集めた。60年代末になると、実用情報を載せた資料集が多くなる。1970年までにどういう旅行書が出版されていたかという話は、このアジア雑語林1595話で書いた。海外旅行指南書や旅行記などを多く出していた白陵社の出版リストは、このアジア雑語林の14話に書いた。国会図書館にはあるが、観光学部がある立教大学新座校舎の図書館にも、旅の図書館(公益財団法人日本交通公社)にもない資料だ。

 というわけで、旅行雑誌「オデッセイ」の話を、次回に。