2022-01-01から1年間の記事一覧
■エレベーターガール・・・デパートの各階の案内と、「ご利用階数をお知らせください」という女性の存在は覚えている。その昔、エレベーターは専門係員が扱うものだった。ひとりで街をぶらつくようになって、デパートに行くことはなくなったから、いつまでエ…
■藍染め職人・・・日本では染物職人を見たことはないが、バンコクでは流しの染物職人を見たことがある。色は黒一色。住宅地を回って、客を探す。 ■桶屋(おけや)・・・テレビでは桶や樽作りの作業風景は見たことがあるが、実際に見たのは台北だ。林田桶店は…
■三輪タクシー・・・戦後に、三輪乗用車があったのは知っているが、三輪自動車のタクシーが「半タク」の名で大阪で営業していたと、この本で知った。「昭和二十四年に大阪でオート三輪のトラック部分(シャシ)に、簡易の乗用車のボディを載せた三輪タクシー…
『イラストで見る昭和の消えた仕事図鑑』(澤宮優、イラスト:平野恵理子、角川ソフィア文庫、2021)は、もう今はない仕事や、細々だがまだ少しは従事者がいる仕事を140種集めて、イラスト付きで解説している。半年ほど前に、「いつか読みたいな」と思って、…
日本のマンガ史に輝く「トキワ荘時代」に深く関わっている学童社の「漫画少年」は、1947年創刊で55年休刊だから、団塊の世代でも同時代の読者はそれほど多くないだろう。 私の世代は、「漫画少年」が休刊したあとの時代に、月刊マンガ雑誌と深くかかわるよう…
1952年生まれの私は、団塊の世代(1947~49生まれ)から数年遅れて生きてきたことになるから、日本のさまざまな産業が団塊の世代相手に商機を見つけてきた時代をほぼ同時代に体験していることになる。幼児時代は当然知らないが、テレビも出版界も教育界も、…
私と同世代なら、金持ちの子供や肉屋や飲食店の子供でもなければ、子供の頃の肉といえばクジラだった。学校給食でクジラの竜田揚げを食べたというのが私の世代が最後だろうと思っていたが、調べてみれば、地域差はあるだろうが、1970年代にはいっても給食に…
このアジア雑語林446話に、鶴見良行の座談・対談集『歩きながら考える』(太田出版、2005)を読んで、こういうことを書いている。 この対談・座談会集でもっとも古いものは、1972年の加藤祐三との対談「歩きながらアジアを考える」だ。そのなかの加藤の発言…
かつてNHKで放送していた番組「新日本紀行」(1963~82年)をデジタル映像にして、その地の現在の姿を再取材した短い映像も加えた「よみがえる新日本紀行」を毎週楽しみに見ている。自分が生きてきた時代の、自分は知らない地域の映像を見ることができるのだ…
1970年に、高校の修学旅行で関西に行った。京都で、級友がお釣りで100円札をもらったと見せたとき、みんな「まだあるんだ、なつかしいなあ」とか、「田舎から来た修学旅行生が持ってきた小遣いかな」などといった。当時の高校生が「懐かしい」というのが、10…
戦後期の学校給食は、1950年代に全国で始まるのだが、地域差がかなりあり、「全国各地の学校で給食が始まった」というわけではない。1950年代末の、奈良県の村立小学校にも給食があったが、食いしん坊のくせに詳細を覚えていない。姉が小学生だった時代に給…
私は1952年に池袋で生まれた。戦争が終わって7年後に生まれたことになるのだが、正確に言えば、私は4月生まれなので、生まれる7年前の1945年4月はまだ「戦時中」だ。その年、父は中国にいる日本兵で、復員するのは1946年だ。母は三重県の軍需工場にいた…
鉄道の話もしたい。 あれは中学生だったか高校生だったか確かな記憶がないのだが、1960年代後半に、総武線を走る蒸気機関車を見たような気がする。首都圏で暮らしている少年にとって、蒸気機関車はすでに「古き良き時代の乗り物」というイメージだったから、…
1950年代の通りには、バタバタとうるさい爆音をたてて走りすぎるエンジン付き自転車が走っていた。市販のものだったか自家製だったか知らない。本田宗一郎の例でもわかるように、その当時、町工場製のエンジン付き自転車を作っている零細企業は多くあったら…
私と同世代の人のほとんどは、物心ついたときの自宅のトイレは、汲み取り式だったと思う。「いや、水洗だったよ」という人は、都内中心部の近代的豪邸で育ったか、銀座のビルが自宅だったというようなごく一部の例外だろう。例え自宅が水洗トイレでも、学校…
電気も水道もない場所で過ごしたことは、日本では後で話す1例だけあるが、外国では何度も体験している。 例えば、1974年のバリ島では、電気があるのは中心地デンパサールとバリビーチホテルのような高級ホテルだけで、クタ地区もウブド地区でも、電気も水道…
ウチにテレビが来たことを、母が大喜びしたという記憶はないが、洗濯機については何度も「うれしかった」と言っていた。 「洗濯がつらい」といっても、冬の水が冷たいからだろうという程度にしか考えていなかった。もちろん、それだって大変な苦労なのだが、…
電球に次いで、我が家の電気製品となったのは、多分、父親の手製のラジオだったかもしれない。父は電気や機械の専門家で、それは仕事であると同時に趣味でもあり、材料を寄せ集めてラジオを組み立てたのだと思う。私はその世界に疎いのだが、当時はラジオの…
1952年生まれの私が見たこと知ったことのいくつかを書いてみたい。「あれは、懐かしいよなあ」といった思い出話をしたいのではない。「過去のある時代の記憶と記録」を書いておきたいと思う。私が子供だった頃、大人たちがしゃべったり書いたりしていたおか…
注文していた『おいしさを伝えるレシピの書き方Handbook』(レシピ校閲者の会、辰巳出版、2017)が届いた。レシピの書き方を学びたい読者はどれだけいるのか。主に女性雑誌の編集者やライターか、お料理の先生の助手がこの本の読者だとすると、マーケットが…
『文にあたる』に、「敷居が高い」という言い方に関して、こうある。 「敷居が高い」は本来、「不義理をしていて、その人の家には行きにくい」の意味だが。「高級さ・上品さにひるんで行きにくい」の意味で使う人がいる。そういう使い方をしている文章がある…
前回、文章にでてくるあるものが、見えるか見えないかという話を書いた。例えば小説の中で、主人公が小学生時代、母親とよく散歩した寺の境内から富士山を眺めたという描写があったとする。「地理的に、その寺からは、富士山は見えません」とか、「富士山を…
神保町の東京堂でおもしろそうな本を漁っていて、校正校閲に関するエッセイ集『文にあたる』(牟田都子、亜紀書房、2022)を見つけたので、すぐさま買った。東京堂は、出版業界人がよく利用する書店としても有名で、立花隆も愛用者だったらしい。だから、校…
韓国の言葉や食べ物などのエッセイを多く書いている八田靖史さんが、「もう『キンパ』はあきらめた」といった内容のエッセイを書いていた。出典は、失念。 韓国ののり巻きは日本から伝わったもので、昔は日本語そのままに「のりまき」と呼ばれていたが、のち…
「サハラ」は沙漠という意味だから、「サハラ砂漠」はおかしい。 「チゲ」は、韓国料理のひとり用鍋物のことだから「チゲ鍋」はおかしい。 モロッコの「タジン」は、円錐形のフタがついた土鍋のこと。あるいはその鍋を使った料理のことだから、「タジン鍋」…
阿川弘之の『空旅・船旅・汽車の旅』(中公文庫、2014。解説:関川夏央)の親本が出版されたのは1960年だから、1950年代の乗り物の話だ。 日本のドライブの話は、雑誌「日本」の企画で行なわれた、1958年の東北・北陸旅行を描いている。阿川夫妻に編集者とプ…
砂糖の資料はいろいろあるのだが、トウガラシの輸入や消費量などの日本語資料がなかなか見つからないのだが、根気よく探していたら、幸いにもこんな資料が見つかった。 「Wedge online」(2016年9月15日)に「中国産の流入で危機に瀕する韓国のトウガラシ産地…
タイ料理同様、「韓国料理は辛い」と言われるが、私には甘さが気になっている。砂糖、水あめ、オリゴ糖などをたっぷり入れた料理が苦手だ。 韓国の料理が昔から甘かったとは考えられない。サトウキビもテンサイも栽培できないからだ。歴史的に言えば、朝鮮の…
アジア経済研究所(以下、アジ研)が発行した「アジアをみる眼」の「くらし」シリーズは、雑多なことを知りたい私にとっては名作シリーズで愛読している。以前紹介したことがあるが、改めて紹介しておく。このシリーズは、アジ研発行の雑誌「アジ研ニュース…
■性別 「高校入試願書の性別欄、東京都が23年から削除 46道府県は既に廃止」というニュースが、毎日新聞に出ていた。全国の公立高校の願書の性別欄をなくしたということは、受験に性別など原則として関係ないということだろう。 国立のお茶の水女子大学の願…