1823話 校正畏るべし その2

 

 前回、文章にでてくるあるものが、見えるか見えないかという話を書いた。例えば小説の中で、主人公が小学生時代、母親とよく散歩した寺の境内から富士山を眺めたという描写があったとする。「地理的に、その寺からは、富士山は見えません」とか、「富士山を見ていたのは、もしかして隣りの市の、山頂にある〇〇寺ではありませんか?」などと鉛筆で記入するのが、校閲者の仕事だ。著者が、「母との思い出の風景なので、事実はどうでもいいんです」とするなら、それで終わりだが、ノンフィクションなら事実を書かねばならないと、私は考えている。

 このように、見える、見えないという話を考えていて、私の本のことを思い出した。

 『アフリカの満月』(旅行人、2000)のなかで、ケニアラム島のことを書いた。ソマリアとの国境の旅を終え、ラム島の対岸のモコウェに着いたのはすでに夜で、小舟に乗ってラムに向かった。腕を左右に伸ばせば舟のヘリをつかめるほどの小舟で30分ほどかかるが、大河の横断ではなく、航海だ。その夜は満月でしかも空には満天の星。明るい凪の海に、夜光虫が見えた。ファンタジー映画のような光景だった。

 それが私の記憶で、見たままを文章にした。しかしだ。校正するときに、「満月の夜に満天の星も見えるか」という疑問が沸き上がってきた。編集をしている蔵前仁一さんも同じ疑問があったようで、ゲラ(原稿を本の文章のように組んだもの)に、「これでいいんですね?」というエンピツの書き込みがあった。「はい、私はそのように記憶しています」と返事を書き、そのまま『アフリカの満月』という書名で本になった。だが、「記憶違いかなあ・・」という疑問はその後も続いた。数年後、テレビの紀行番組で、見た。それがモンゴルだったかカナダだったか忘れたが、満天の星の夜空に満月が浮かんでいた。私の記憶は正しかったのだ。

 話を『文にあたる』に戻す。

「誕生日はいつですか」という章。片岡義男の生年は、資料によって、1939年説と1940年説がある。どちらが正しいのか本人に直接問い合わせた編集者の話が、八巻恵美のブログ「水牛だより」のなかの「片岡義男さん、誕生日はいつですか?」というコラムで書いていると、著者が教えてくれる。

 誕生日の正解は、こうだと片岡本人が語る。「昭和14年を西暦に換算するときに僕が計算をまちがえたのでしょう」

 「本人が書いているから間違いなし」とは言えないという例だ。

 『文にあたる』は図書ガイドでもあるから、読みたい本があるとすぐ注文した。『増補版 誤植読本』(高橋輝次編著、ちくま文庫、2013)は、届く前にウチの書棚に2000年の東京書籍版を見つけた。ぼんやりとした記憶で、「読んだかなあ」とは思ったのだが、「増補版」に釣られて注文したのだ。『増補版 誤植読本』に外山滋比古の「校正畏るべし」というエッセイがある。実はこの言葉は、結婚式の挨拶の「三つの袋」くらいよく使われる表現で、校正の本では毎度おなじみなのだが、このエッセイで出典を初めて知った。論語の「後世可畏」(こうせいおそるべし。若者はいずれ優れた人物になるかもしれないから、畏れなさい)が元で、それを福地桜痴がしゃれで使ったという。「畏れる」は、「恐れる」や「怖れる」と意味は同じだ。なーるほど。

 『文にあたる』で紹介している本で、「欲しい」と思ったがブレーキをかけているのが、『おいしさを伝える レシピの書き方Handbook』(辰巳出版)。書名ではレシピの書き方指南の本かと思ってしまうが、著者は「レシピ校閲者の会編」なのである。写真の料理は、このレシピではできないとか、サツマイモを使うことになっているが、ジャガイモ料理の写真だとか、調味料の分量はこれで正しいのかといった、レシピ専門の校正者がいるのだ。アマゾンの「ほしい物リスト」に入れておいたが、おもしろそうな予感がするので、たった今注文した。

 考えてみれば、医学書や、化学関連書や、植物関連書や、外国語に関する本などは、おそらくは元専門書の編集者が校正を担当するのではないかと思う。そういう図書の校正の話は、あまりに専門的だから、一般書では出版されないのだろうがぜひとも、読みたい。地図や統計の校正なんか、つらそうだ。もっともつらいのは、株式市況や名簿や鉄道時刻表などだ。ガイドブックなどの住所や電話番号の数字の校正は、私には拷問だ。競馬新聞に誤記があれば、場合によっては編集部が焼き討ちされるかもしれない。考えただけでも足がすくみ腹痛を起こしそうだ。

 そういえば、思い出した。『まとわりつくタイの音楽』(めこん、1994)を書いたとき、編集者の桑原さんは「さすがに、今回の本は知らない人の知らない話ばかりだから、自分で校正をしっかりやってね」と言われた。少なくともあの当時、タイ音楽の本の校正・校閲ができる人は、音楽評論家の松村洋さんしかいなかったと思う。

 『文にあたる』は、大絶賛本なのだが、1か所だけ気になったことがある。その話は次回に。

 

 余話:「旅行人」愛読者にはおなじみの建築家にして世界の建築レポーターの渡邉義孝さんの『台湾日式建築紀行』KADOKAWA)が出たとアマゾンで知った。どうして、台湾の本は、欲しくなる本ばかり出るのだろう。このふた月ほどの間に買ってまだ読んでいない本が十数冊あるから、この本を今は買わないが・・・。