2020-10-01から1ヶ月間の記事一覧
カオサン その2 『地球の歩き方 タイ ‘89』(1989)は、なぜか、それまでの、そしてそれ以後の『’90~‘91』のように2年単位になっていない。その理由は不明だが、ここではそのガイドに載っているバンコクの安宿情報の話をする。 「バンコクのホテル」は12ペ…
カオサン その1 バンコクにやってきた若き個人旅行者たちの宿は、年代によって変わる。1960年代から70年代なら、チュラロンコーン大学敷地内にあったユースホステル、YMCA、マレーシアホテルなどの元R&Rホテル(ベトナム戦争当時の米軍兵士休暇専用のホテル…
ベトナム ベトナムに初めて行ったのは1996年だった。いま、こうして旅行した年をはっきりと書くことができるのは、いままで使ったパスポートを取り出して、出入国スタンプから旅行先リストを作ったからだ。スタンプが鮮明ではないものも多く、リストは正確で…
ラオス ラオスに初めて行ったのは、1994年だった。同じ年、蔵前さんもラオスに行ったのだと、『失われた旅を求めて』を読んで初めて知った。そのちょっと前から、ラオスの個人旅行は解禁になっていたが、ビザ代が異常に高かったのでためらっていた。そのころ…
ポカラ 『失われた旅を求めて』には、まだのどかだった1984年のポカラ(ネパール)の姿を見せている。外国人にとってポカラは長い間、登山隊の基地だった。カトマンズから飛行機を利用するのが普通だったが、バスが通れる道路ができたのは1970年代初めらしい…
アフリカの街 東アジアや東南アジアの都市を見慣れているせいか、ナイロビに高層ビルが増えても、それほどの変化とも思えない。ごくたまにテレビで見るナイロビの街は、スーパーマーケットなどはできているが、基本的には1982年に私が見たナイロビとそれほど…
沙漠の街 沙漠が街になるのは、無から有だから、変貌と呼べるのかどうか、ためらいはある。 シャルジャに行ったのは、1978年だった。シャルジャを国名だと知っている人は少ないだろうし、ましてやどこにあるのか知っている人はなお少ないだろう。私だって、…
島 その4 その国がまだビルマと呼ばれていた時代、インレー湖畔でしばらく遊んでいたことがある。1980年代半ばだった。湖畔にはニャウンシェという小さな町があり、ちょっとした買い物や、あるいはどこかに出かけるときは、この町の広場から出る小型トラッ…
島 その3 その後も、インドネシアにはたびたび行ったが、バリに行くことはなかった。私は街の文化の方が好きだからだ。バリを再訪したのは、最初に行ってから13年後だった。『東南アジアの日常茶飯』の取材のためだ。1987年のバリは、デンパサールはちょっ…
島 その2 「バリは、観光客であふれている」という記述に驚いた。「何をいまさら」と言われそうだが、その記述が1930年代に出版された旅行記のものだから驚いたのだ。面倒なので出典を探さないが、オックスフォード大学出版局が復刊したインドネシア関連書で…
島 その1 農村、漁村、島などが観光開発されると、たちまち姿を変える。 バンコクの南にあるサメット島に初めて行ったのは、たぶん1970年代末だったと思う。タイ人の友人に勧められ、行き方を教えてもらい、出かけた。粗末なバンガローが5軒ほどあっただろ…
中国 その2 中国には行ったことはないが、入国する気はないのに、審査を受けさせられたこともある。不幸にして北京乗り換え便を利用したときだ。単なる乗り換えなのに、厳しいパスポートチェックを3度と荷物検査を1度受けさせられたことがある。アメリカも…
中国 その1 予想外にインド食文化話が長引いて、天下のクラマエ師こと蔵前仁一さんの最新作『失われた旅を求めて』(旅行人)にまつわる話をするのが遅くなった。私好みのインド本である名作『つい昨日のインド 1968~1988』(渡辺建夫、木犀社、2004)のよ…
パソコンは3年前に買い替えたのだが、officeは2007年版のままで、不具合が起きてきた。そこで、office最新版を入れようと思ったのだが、アマゾンで3万円ほどするのは知っている。「Excelは使わないから、高すぎるようなあ」と思いつつ、DELLのホームページ…
水田耕作は、水が養分を運んでくれるから、大収量をめざさなければ、肥料はなくてもコメの栽培はできる。水田ではなく、畑の栽培は、肥料が必要だ。地味が肥えていれば、肥料なしでも栽培できるが、すぐに養分はなくなる。焼き畑というのは、山の草や木を燃…