パソコンは3年前に買い替えたのだが、officeは2007年版のままで、不具合が起きてきた。そこで、office最新版を入れようと思ったのだが、アマゾンで3万円ほどするのは知っている。「Excelは使わないから、高すぎるようなあ」と思いつつ、DELLのホームページを見たら、office付きのパソコンが48000円(本体のみ・キーボード&マウス付き。税別・送料込み)で売っている。ということは、パソコン代は18000円ということだから、即座に購入を決定。プリンターのインクが4800円。インクが付いたプリンターが6800円というのにも似て、「なんだかなあ」の気分である。今回から、その新しいパソコンで文章を書く。
さて、『13億人のトイレ』の話の続きだ。
この本を読んでいて、カーストに関することをふたつ思い出した。
あれは、初めてインドに行った直後だったか直前だったか、私がまだ20歳そこそこだったころ、小西正捷(こにし・まさとし。当時法政大学の助教授か教授だった)さんの講演を聞いた。カーストは差別の存在だという面はもちろんあるが、職能集団としての権利保護という面もあるのだという話を覚えている。別のカーストからの新規参入がないから、特定の職業が保証されているという面もありますよ、という話だった。カーストのそういう側面の話を聞いたことがなく、その後カーストの勉強をしていないので、今でもその話を覚えている。
もうひとつの話。
ヒンドゥー教に関する著作があり、テレビ出演もしている有名な僧侶に、『13億人のトイレ』の著者が、カーストについてインタビューしている。僧侶は、こう語る。糞尿処理をするカースト最下層のダリットを差別することは許されないが、ただ区別しているだけだ。この論理をいままでしばしば耳に目にしている。
1960年代のアメリカで、学校が黒人用と白人用に分かれている州があって、黒人は白人専用大学への入学が許されなかった。教育の差別撤廃を訴えた人たちに対して、政治家たち(もちろん白人)は、「別学は差別ではなく、区別だ」といった。アメリカに差別はない、区別があるだけだという論理だ。
こういう論法を日本で聞いたのは、ある女子大の教授に、「性によって入学者を差別している女子大って、何でしょうねえ」と私が言うと、「差別ではなく、区別です」と答えた。「あらゆる性差別を許さない」などといい、ジェンダー研究をしているという女子大とその教授たちの発言を、私は一切信用しない。
もし誰かが、「国公立女子校は性差別している」と訴えて裁判になれば、たぶん勝てないだろう。しかし、誰も訴えないので、今も国公立女子校が存続しているだけなのだ。
以上で、長々と書いてきたインドの話を終える。このふた月ほどを楽しく過ごせた。今まで忘れていたインドを思い出した。ネットの動画を見て、すっかり変わった今のインドを見た。私の知っているインドは40年以上前なのだから、そりゃ、変わるわけだ。『変わらないインド 変わったインド』といった本を書いてよと、天下のクラマエ師にお願いしているが、書く気はないらしいというのが、次回からの連載に関係する予告だ。