2069話 続・経年変化 その35

読書 11 ガイドブック4

 『地球の歩き方 インド ネパール』の復刻版が出るずっと前のことだが、日本人のインド旅行史を読みたいから書いてくださいなと天下のクラマエ師にいったら、「そんなの、誰がおもしろいと思うの?!」と、0.002秒で拒絶された。インドに限らず、日本人の海外旅行史に興味なんかないんだ、誰も。これほど多くの日本人が訪れるハワイ旅行にしても、その歴史的変遷をきちんと押さえて書いた本がどれだけあるか。ハワイで日本人は何をしたか、何を食べ何を買って帰ったかといった旅行体験の変遷だ。「日本人の海外旅行時代の幕開け」といった短い記事はいくつもあるが、真正面から書いた戦後から現在までの「日本人の戦後ハワイ観光史」は読んだことがない。

 ハワイでさえその程度だから、いわんやインドをやである。ライターであり編集者であり、出版社の社長でもあるクラマエ師の判断は、まことに正しい。読者の興味という点では、その通り「まったく売れない」ということだ。私の好奇心は世間の主流とずれている。手元の資料とインターネット情報を集めて、日本人の韓国旅行史のメモを6回にわたって書いた。491話から6回だ。韓国をフィールドにしていない私でも、この程度の文章なら数日で書けるレベルなのだが、韓国研究者、とりわけ日韓交流研究者は些事を積み重ねた旅行史を書いているだろうか。韓国と違って、香港はかつて日本人に人気の観光地だったが、これまた「日本人の香港旅行史」といったまとまった文章はあるのだろうか。

 日本人のインド旅行史に関しては、本腰を入れて調べたことがないから、1960年代のインド旅行事情がわかる手元の本はこの2冊しかない。

 “On The Road Again(Simon Dring , BBC BOOKS,1995)・・・1962年、16歳のイギリス人がインドに向かった。2年後、タイで新聞記者になった。のちにBBCの記者になって、少年時代の旅をテレビ番組で再訪。昔話や写真も豊富だ。

 “Magic Bus: On the Hippie Trail from Istanbul to India”(Rory MacLean , Viking , 2006)…イスタンブールからカトマンズに行くバスが出ていた時代がある。1973年に、カトマンズでこのバスを見ている。

 インド旅行史は本格的に調べる気があれば、ある程度資料は見つかるだろう。

 旅行事情の資料本ではないが、エッセイとして私の希望をもっとも叶えた本が、『つい昨日のインド: 1968~1988(渡辺建夫、 木犀社、2004)だ。『インド青年群像』(1980)、『インド反カーストの青春』(1983)など、主にインド関連の本を多く書いてきた著者の、1968年から接してきたインドと友人たちの話だ。傑作ですよ。

 『つい昨日のインド』が貴重だと思えることはいくつもあるが、1960年代のインド旅行を体験している人は、80歳近いか80歳を超えているから、記録を残せる人はもうあまりいないのだ。それ以上に残念だと思うのは、日本人のインド旅行史がまだ書かれていないことが問題だと思う人がほとんどいないことだ。やはり、興味のない分野なのだ。インドは少し違うが、一般的にガイドブックを買う人が求めている情報は、「食べると買うと、絶景撮影地」の最新情報で、それ以外のインドはほとんど興味がないのだ。

 私は日本人のタイ旅行史をある程度調べたが、いまだに本腰を入れて書き出そうとしないのは、それをおもしろがる人がほとんどいないとわかっているからだ。だから、この雑語林で断片的に書いているだけだ。

 アジアの旅とか貧乏旅行などと限定しなくても、日本人の海外旅行異文化体験というのも、編年史にすれば興味深い。日本人団体旅行の「あるある」といえば、風呂とトイレの話がまず出てくる。西洋式の浴槽の外で体を洗うとか、腰掛式便器の上にしゃがむというのがごく初期の異文化体験だ。いまでもある風呂のトラブルは、これだ。日本人の団体がホテルに着くと、ほぼ全員が浴槽に湯を注ぐので、湯の温度が下がり、「水風呂に入れる気か!」という苦情が添乗員のもとに殺到する。先日聞いたのは、パリのホテルで、浴槽に湯を注いでいるうちにうたた寝をして、寝室の床まで濡らしてしまったという事件の処理をするはめにあった大学教授の話だ。

 かつてはステテコ姿で廊下を歩くというのは、ごく普通のことで、朝食のときでもその姿で食堂に表れることもあるという。円安の時代から円高、そしてまた円安の時代へと移り変わるカネの出入りとか、話題になりそうなことはいくらでもある。日本人旅行者の歴史をガイドブックから調べるという研究手段もあるのだが、誰も手をつけない。

 次回は連載を小休止して、最近の読書の話をする。