2070話 小休止 1

最近の読書 1

 今連載をしている「続・経年変化」は、どうやら大河連載になりそうで、いつまで続くのか自分でもわからない。連載が続くと、話題が固定されてしまうので、適宜、小休止として別の話題をはさむことにする。今回は、最近読んだ本の話を2回にわたって書く。

 「女が書いた本は読まない」と決意しているわけではないが、読んでいる本のほとんどは男が書いたものだ。恋愛小説やファンタジーとか作者の日々のエッセイを読まないからかもししれない。なにごとにも例外があり、次の三人が書いた本はよく読んでいる。ヤマザキマリ須賀敦子、内田洋子の三人に共通するのは「イタリア」だが、イタリアが大好きだから彼女らの本を読んでいるというわけではなく、またイタリアに行く予定なので資料を探しているというわけでもない。須賀と内田のふたりは、以前この雑語林でタリアの話を書いていた時に参考資料として買ったのがきっかけだが、なんとなく肌に合うので、折に触れ、古本屋で見つけると買って読んでいる。ヤマザキマリは達者な文章に感心しているから読み続けている。以前まとめて読んでいた米原万里と比べてアクは少なく、理屈っぽさはない。

 まずは、ヤマザキマリの『パスタぎらい』(新潮新書、2019)と『貧乏ピッツァ』(新潮新書、2023)の2冊は興味深い記述が満載なのだが、ここではパンの話を書く。日本語のパンはポルトガル語の「パン」が語源で、スペイン語でも綴りは違うが発音は「パン」だ。イタリア語ではpaneパーネだ。

 「『美食国家』と言われるイタリアだが、なぜかこの国のパンはあまりおいしくない」という。私も、そうだなあと思う。スペインのパンもうまかったという記憶がない。ついでに言うと、モロッコのパンでもっともポピュラーな円形のボブズは焼いてから時間がたつと急激にまずくなる。一方、感動的にうまかったのは、ボブズと同じような円形のパンで、ハルシャという。見た感じはイングリッシュマフィンを大きくしたような姿で、原料はデュラム・セモリナ粉。焼きたてのこのパンを食べてみれば、私のいうことがわかるかもしれない。 「ヤマザキ・ダブルソフト」のようなふかふかパンが好きな人は好みではないかもしれないが、イングリッシュマフィン好きなら、たちまちこのパンが好きになるでしょう。

 話をイタリアのパンに戻す。ヤマザキマリはパニーノ(panino)の解説をする。パンを意味するパーネ(pane)に小さいことをさす縮小辞(-ino)がついて、小さいパンをさす。パニーノは単数形で、複数形がパニーニ(panini)。そうか、知らなかった。だから、あとは自分で調べてみる。

 この手のパンに切れ込みを入れて肉なのをはさんんだサンドイッチを、パニーノ・インボッティート(詰めたパニーノ)といい、ただ単にパニーノだけでもサンドイッチもさす。ただし、食パンのサンドイッチはパニーニを使っていないから、それをパニーニとは呼ばない。つまり、パニーノ=サンドイッチではないのだ。

 これがイタリアの事情だが、アメリカで焼き目をつけたものを、なぜか複数形にして「パニーニ」と呼ぶ。ピザと同じように、アメリカ式したイタリア料理が日本に入ってきて、パニーニという名称が特定のサンドイッチをさすことになり定着したようだ。

 ヤマザキの2冊の本に登場する数多くのイタリア料理は、日本で紹介される美しい写真の美しい料理ではなく、家庭のおかずやケーキだ。この新書には写真は1枚も載っていないが、具のないスパゲティや大皿に盛ったテラミスやモンブランの姿は想像できる。

 普段の家庭のイタリア料理は、テレビ番組「小さな村の物語 イタリア」(BS日テレ)で毎週見ている。「普段の食事」とはいえテレビの撮影をしているのだから、やはりちょっとごちそうなのだろう。「イタリア料理=おしゃれ」という女性雑誌の基本姿勢が崩れれば、「イタリアのいつもの食事」が見えてくる。誤った食文化を垂れ流す諸悪の根源は、おしゃれな女性雑誌だ。

 須賀敦子の話は次回に。