読書 14 建築 3
最近の新聞折り込み広告は、墓地や有料老人ホームのものばかりで、かつていくらであった不動産広告がめっきり減った。近所の畑をつぶして、建売住宅を作る工事はいくらでも見かけるのだが、新築や中古の一戸建てやマンションの広告をさっぱり見かけない。不動産広告が好きなのは、買うための資料にしているわけではもちろんなく、新築の場合は業者の、中古の場合は持ち主の、それぞれの思想趣味がわかるからだ。
といっても、たいていは「毎度おなじみの間取り」なのだが、ごくたまに目が止まる間取りもある。
変な間取図の家を集めた本があるが、その手の本は信用していない。変な間取図の家は、著者や編集者が勝手に創作できるからだ。本当に「変だ!」というなら、不動産広告の現物を提示しないと信用できない。YouTubeには「超狭小」住宅などが実際の画像で紹介されているから、ネット情報の方がはるかにおもしろい。
変ではないが、珍しい間取図が載っている不動産広告を見たことがある。場所や敷地の広さを見ても、元農家だということがわかる。母屋が、いかにも農家の家という広い純日本風住宅で、そばに納屋がある。別棟の建物は、1階がすべて駐車場のピロティ。2階は広い空間と流し台とトイレ。多分、事務所に使っていたのだろう。250坪ほどの土地代込みで9200万円。母屋の室内写真を見ると、「こんな家、住みたくないな」という田舎の家で、やたら玄関が広く、部屋は田の字型。「う~む」とうなりつつ、5分ほど遊べる。北海道なら、「牧場売ります」といった不動産広告があるだろうな。
現実の間取図でも、書き間違いによって出入り口のない部屋や押し入れになってしまった例はある。あるいはテレビ番組「ビフォー・アフター」のように、増改築によって、とんでもない間取りになってしまったという例もある。
そういう小ネタもおもしろいのだが、より興味深いのは、いわば民族建築学の分野に入りそうな間取りだ。
例えば、北欧の家なら、サウナ室があるのは当たり前で、アパートにも共同のサウナ室がある。ソウルのアパートを訪ねたときは、本来のインタビューを離れて、家の中を見せてもらったことがある、アパートの地下には、それぞれの住人用の練炭置き場があった。1980年代のことで、今はどうだろう。北海道のアパート(団地)には、かつて各戸に石炭庫があり、屋上に煙突がある。沖縄では、新築木造住宅は少ない。そういう地域差が私には興味深い。
前回紹介した『韓国現代住居学』にはアパート(日本風に言えば、マンション)の間取図が出ていた。浴室の説明は「シャワーを使うのが普通だから、浴槽は洗濯物置き場になっている」とある。建築の本なら、間取図に浴槽があるだけだが、住居学ならその建築の使われ方にも言及している。だから、興味深いのだ。
タイの建築の本もだいぶ買い集めた。建築家自慢の住宅写真集は書店で立ち読みした。タイの建築家は主にアメリカの本を参考にして設計するから、当然浴室もアメリカのものと同じ様式に設計する。だから、浴槽もあるのだが、当然、タイ人は使わない。浴槽をいっぱいにするほどの熱湯を供給する設備もないから、タイでは外国人も(日本人以外)浴槽を使いそうにない。それでも、カリフォルニアの邸宅と同じような家が、「あら、ステキ!」とタイ人の成金を刺激する。実用性は、「かっこいい!」に勝てないのだ。
タイの住宅間取図もよく見た。新聞の不動産広告を読んでいて気がついたのは、豪邸というほどではなく、大会社の部長くらいの収入を得ているような人の住宅には、使用人部屋がついているということだ。間取図をよく見ると、家の一角にある使用人部屋の出入り口は庭側にあるだけで、使用人部屋から直接住人の居室には行けないようになっている。家人が誰もいないときに、使用人が男を引き入れて一気に盗むとい犯罪があるから、勝手に住居部分に入れないシステムになっているというわけだ。
高層マンションでも、台所の脇の食材庫のような空間が窓のない使用人部屋だ。台所も物置きのような場所で、その部屋の住人は、「こういう部屋に住んでいる人は、自分で料理なんかしないから、使いやすい台所なんかどうでもいいんですよ」と言った。
使用人が同居する家は、もはや時代遅れで、「通い」になり、人件費高騰の結果、今では通いの使用人もなかなか雇えなくなった。