2079話 続・経年変化 その43

読書 19 トイレと台所2

 タイの家には、トイレだけでなく、台所もなかったのだ。

バンコクなど都市の共同住宅には、台所がない」と折に触れ書いてきた。外食したり、屋台や食堂で料理を買って帰り、自宅で食事をするから、自宅で料理をあまりしないのだ。それは正しいのだが、もうちょっと深く書いておくべきだったと思う。

 料理をする場所は、まずは水のあるところだ。生活用水は川の水を使う。飲料水は雨水を使う。水上生活なら、床下にいくらでも水がある。水辺から少し離れていれば、水を汲んできて、甕にいれておく。そのそばが、料理の場所になる。井戸がある時代になれば、井戸端が料理の場所になる。食材の下ごしらえを終えたら、火の場所に移る。北部に住む少数民族の家には囲炉裏のある家もある。土間に焚火をして、石を置いて炉にすることもある。七輪のように火を移動できれば、七輪を置いたところが料理の場所になる。暑いから、木陰や床下に七輪を持っていくことがある。

 実は、七輪の歴史と世界的な広がりがわからない。現在は円いものが普通だが、昔は四角いものもあり、炭だけでなく薪も使っていた。だから、七輪は日本人の発明でもないし、日本にだけあるわけでもない。西洋人が描いた20世紀初めのバンコクの屋台のイラストを見たことがあるが、天秤棒の片方に七輪にのせた鍋があった。

 現在の日本人が考える台所という場所は、かつては明確ではなかった。時と場合によっては、いまでも農村では庭のどこかが台所になる。大量の行事食を作るとか、大きな魚や野獣などをさばくなら、庭でやった方が楽だ。台所がないのはバンコクのアパートだけでなく、田舎の家にももともと台所という特定の場所はなかったのだ。川や井戸か水がめのそばで洗い、火のそばで加熱する。野菜の下ごしらえなどは、高床式住居の床下部分でやることもある。台所という場所がある程度固定されるのは、電気や水道やプロパンガスのレンジなどの設備が整ってからだろう。

 中国人移民たちは、タイ人よりも早く、トイレと台所の場所を固定した。野菜や果物を栽培している者は、糞尿が肥料になるのでトイレを作った。肥料になる物体を川に流すなどというもったいないことはしないのだ。中国人は都市に住むことが多かった。庭のどこかで料理するという場所はなく、強い火力をいつも必要とするから、七論の置き場所を固定し、その後にかまどを作った。タイ人も中国人もコメを炊くことは共通だが、タイ人のおかずは、煮るかゆでるか直火焼きだ。中国人は揚げる、炒める、蒸す、煮るなど多様で、火力の調節も必要だ。中華鍋を据え付けるかまどが必要なのだ。

 考えてみれば、ヨーロッパ以外では中国、朝鮮、日本といった東アジアを除けば、台所という固定の場所が古くから存在していた地がどれだけあるだろうか。現在の都市住宅に台所はあっても、農山村ではどうだろう。庭のどこかが、料理する場所ではないか。「世界の台所探検家」を自称している人は、台所がない場所について、どれだけ理解しているのだろうか。料理をする前に水を汲みに行くとか、炊飯する前に精米するといった作業がある地域のことを考えているのだろうか。

 つい先日見たNHKテレビ古い映像の話を、おまけに。1960年代の日本の農村、場所の説明はないが、多分北海道ではないかと想像したのだが、「牛の糞を燃料にしています」というナレーション。糞とわらを混ぜて、板状にしている動画だった。インドやモンゴルみたいなことを、日本でもやっていたんだね。森に薪を取りに行くよりも、牛糞を燃料にできるなら、その方が楽か。当たり前のことだが、私には知らないことがいくらでもある。