画家にして、インド料理ユニット「マサラワーラー」のひとり武田尋善(たけだ・ひろよし)さんの自家用車に乗せてもらった。都内の住宅地をほんの数分走ってもらっただけだが、深い感慨はあった。車は、インドの三輪自動車バジャジ、前席でバーハンドルの握るのは武田画伯。後部座席には、私と天下のクラマエ師こと蔵前仁一さん。三輪自動車の本を最初に書き、いまのところ唯一の本を書いたのは私で、その本の編集と出版を担ってくれたのが蔵前さんだ。そのふたりが、三輪自動車の隣り合わせて乗っている。
人力車のあとに登場した東南アジアの三輪自転車と三輪自動車の推移を書いた『東南アジアの三輪車』(旅行人)の出版は1999年だから、前世紀ということになる。あれから長い月日が流れた。
インドのバジャジ(bajaj)社が、イタリアのスクーター、ベスパのライセンス生産を始めたのが1960年代で、70年代初めに三輪自動車の生産を始める。その時代のインドを旅しているのだが、バジャジ製の三輪自動車の記憶がない。私が覚えているのは、大型のバイクの後半を切り離して人力車の座席風のものを取り付けたものだった。このタイプの三輪自動車は、1950年代のバンコクでも走っていた。現在のインドの交通事情を知らないのだが、バジャジはジャカルタでよく見かけている。インドネシアでも表記はBajajだが読み方は「バジャイ」だ。タイの三輪自動車トゥクトゥクと比べると、排気音がうるさく、バラックのような車体で、今にも分解しそうなトタン板のクルマ、あるいは廃材を集めて作ったクルマのイメージだったが、ガソリン車からガス車に変わり、ややよくなっている。
中国でも三輪自動車を生産しており、そのカタログを見ていたら、「Bajaj Type Tuk Tuk 」とある。インドのバジャジとタイのトゥクトゥクを合わせた名前を付けている。車体構造もコピーだろう。
『東南アジアの三輪車』を書いた1999年当時、日本ではトゥクトゥクという乗りものはまだほとんど知られていなかった。料金は交渉制だがら、タイ語や地理を知らないと利用は難しい。旅行者が、路上を走る三輪自動車を見た記憶はあっても、「トゥクトゥク」と言う名はまだあまり知られていなかったように思う。
21世紀に入って、日本でもよく知られるようになったタイ語の第1位は、たぶん「パクチー」だろう。コリアンダーのことだが、テレビ番組で、メキシコやインドなどタイ以外の料理の話でも、「あっ、パクチーが入っていますね」などとレポーターがいう。パクチーのほかに日本で比較的よく使われるタイ語は、トゥクトゥク、パッタイ、ガパオ(パット・クラパオ)、マサマン(ケーン・マッサマン)などがありそうだ。
タイ料理だけでなく、トゥクトゥクも日本で見かけるようになった。輸入業者がいて、おもにタイ料理店が広告広報目的に購入しているようだが、変わった自動車が好きなマニアも所有しているらしい。
『東南アジアの三輪車』の取材をしているころに、三輪自転車や三輪自動車は東南アジア以外でも、インド亜大陸や中国にあることはわかっていたが、手を広げる余裕はなく、意図的に無視することにした。あの本を出版してからだが、テレビの旅番組を見ていると、アフリカや中南米でも見かけた。ポルトガルのリスボンでは観光用の三輪自動車を見ていて、テレビのナレーションは「トゥクトゥク」と言っていたりする。
ロングボディーにした改造トゥクトゥクならヨーロッパの街を走れるが、轟音ペコペコのバジャジだと走行許可は出ないような気がする。上の写真は2016年のリスボンだが、それ以後のリスボンの写真を見ると、イタリアのピアッジオ・アペかインドのバジャジか判別できないが、トゥクトゥク型とはスタイルが違う三輪自動車が多種走っているのが確認できる。
三輪自転車や三輪自動車は、欧米では観光用になっている。バンコクでも、おもに観光用だ。トゥクトゥクの料金は安くはないから、市場で買った魚や野菜などを運ぶ食堂経営者以外、実用的価値はだんだんなくなっている。
アフリカや中南米では自宅ガレージで組み立てたような手作り三輪自動車をテレビでみている。実用車として活躍している。
私が三輪車の取材をしている頃は、まだインターネットで調べるという時代ではなかったから、実際に現地に行かないとわからないことだらけだったのだが、今なら日本の書斎で原稿は書けるし写真も集まる。自動車マニアとか熱狂的自動車ファンはいくらでもいて、誰でも4000字程度の原稿は書けるようになったのだが、1冊まるまる三輪自動車の本を書いたのは私ひとりだ。四輪車にしても、アジア各国で製造されている『アジアの四輪自動車』を上梓した人を知らない。私が調べた限りだが、自動車雑誌でも、そういう特集知らない。
自動車に深く強い関心があり知識もある人は、自動車のスペックには興味があってもその文化には興味がなく、自動車そのものにほとんど関心がない私は、自動車という文化に興味がある。