2028話 夢の中の夢

 

 おぎやはぎのおぎこと、小木博明のラジオでの話。

 「あー、おしっこしたいっていう夢を見たんだよ。で、おしっこしちゃえと思ったんだけど、『おいおい、大丈夫か?』って、その夢を見ているオレが言うんだよ。すると、もうひとりのオレが、『大丈夫だよ。だって夢の中だぜ。いままで何度も同じような夢を見てるじゃないか』という。そうだよな、夢なんだからと思っておしっこをしているところで目が覚めて、手を股間に持っていたら、おねしょしてた。ベッドを濡らすほどの量じゃなかったけど、パンツは濡れていた。この年になって、おねしょだぜ! 」

 爆笑問題の太田もおねしょをしたという話をしていたが、今回の話題はおねしょではなく、夢の中の夢の話だ。

 夢を見ている。目が覚める。「あ~、夢だったのか」と気がついたのも夢の中で、つまり二重の夢の話だ。見た夢の99パーセントは覚えていないのだが、覚えているわずかな夢のなかに、この「夢の中の夢」が数例ある。

 つい先日見たのは、「こんな夢があったよなあ・・・」と、今まで見た夢を思い出している夢だ。ウチのすぐ近所、歩いて数分のところは戸建て住宅が並んでいる地域なのだが、そこに突然大きなスーパーマーケットができている。国道沿いのような大きな店が突然できている。工事も知らず、突然建物が完成している。なんだこれはと驚いている夢なのだが、「そんな夢を見たよなあ」と夢の中でなぞっている。あるいは、ウチから駅に行く方向とはちょっと違う方向に自転車で進むと、荒野があり、そこを抜けると大都市だ。普通に行けば電車で1時間かかる街に、「裏道」を自転車で行けば30分くらいで着いてしまう。そんな夢を見たよなあと思い出している夢だ。夢の中で、今まで見た夢を思い出しているという夢だ。

 最近見た夢でとくに印象に残っているのは、のちに「純文学の夢」と名付けたものだ。

 構成が複雑なので、現実をA、Aが見ている夢がBの世界、そのBの私が見ているのがCの世界とする。

 古い住宅が見える。古い住宅地のはずれ、草むらの空き地も見える。そこに古い家が建っている。それは古民家などというしゃれたものではなく、外壁が波型トタン、築60年のボロ家だ。そこに「私」が入って行く。住んでいるのではなく、仕事で通っているのだ。住まいは町なかのアパートだ。

 「仕事をはっきりさせないと、そのボロ家に通う理由がわからない」と指摘するのは、Bの世界の私。BがCの世界の夢を見て批判しているのだ。Bが夢の構成を考える。なにかいい仕事はないか。ミステリーは嫌いだから、非合法活動ではなく、きわめて穏当な仕事にしようなどと考えていると、「なんだよ、おもしろくもない純文学みたいな夢じゃないか」とB世界の私がつぶやき、Cの世界の夢が展開する。

 夢の脚本家となったB世界の私は、C世界の私を「古文書解読者」と規定した。市内の古い家に残されている古文書を集め、その重要度に応じてランクをつけて、最重要に認定したものだけ全文解読するというシステムになっている。その古文書置き場として、古家を利用しているということにしよう。

 「古家で古文書を読んでいるだけの話ではおもしろくないよ」と、B世界の、もうひとりの私が言い、同僚として若い女性を登場させる。彼女はいっさいしゃべらない。定刻に来て、定刻に帰る。それだけの日々。C世界の夢は、そのように動いていく。

 どうだ。これで退屈極まりない純文学の誕生だとBは思うのだが、CもBの「私」も私で、Cの夢の構成を考えている脚本家も私だから、「つまらないことを考えているなあ」と、考えているのは、AかBか?

 今回の話を単純化すれば、見ている夢を、別の観点から眺める自分がいるという話だ。こういう体験をしたことがないと、ただややこしいだけの話だろうが、経験者なら簡単にわかるだろう。

 夢に対して言ってもしょうがないんだろうが、何でこういう夢を見たのかなあ。