音楽17 クラシック・ソウル その1
演歌の製作スタッフは、音楽的センスも技量もないと思っていた。毎度毎度、さらに毎度おなじみのイントロと曲調と歌詞で、やはり毎度おなじみの節回しで歌うものを「新曲」として発表する。工夫というものがないのか。だからと言って、流行のリズムを取り入れろとは言わないし、美空ひばり(彼女は演歌歌手ではないが)の「真っ赤な太陽」のようなみっともない歌に仕上げてくれと願っているわけではないが、もう少し何とかならないか。
そんなことを考えて、フト思いついた。私はソウルとかR&Bと呼ばれるブラックミュージックが大好きなのだが、時代的には70年代あたりまでで、マイケル・ジャクソン以後のブラックミュージックは好きになれない。映画「ブルース・ブラザース」(1980)で流れているような音楽、オーティス・レディング、サム&デイブ、アレサ・フランクリン全盛期の音楽が好きで、管楽器が鳴って、歌手がシャウトする・・・。そうか、演歌のお決まりのスタイルと、根は同じなのだ。ソウル音楽の、「ご存じ。毎度おなじみ」の音がたまらなく好きなのだ。60~70年代のソウルミュージックだ。私もまた、演歌ファンと同じように、「毎度おなじみ」のベタな音楽が好きなのだ。「毎度おなじみ」とは、別の言葉で言えば、ジャンルということだ。
そんな古臭い音楽はダメだ、嫌だと感じた若者たちが、あっさりした、スマートな、汗の匂いなんかしないR&Bやヒップホップを作り出したのだが、それは私の趣味ではない。アマゾンの「ミュージック」で、私好みのCDを探す。「ソウル・R&B」をクリックすると、
クラシック・ソウル
ゴスペル
ファンク
ディスコ
ブラックコンテンポラリー
というサブジャンルに分かれていて、何度か探ってわかったのは、私が大好きなのは「クラッシク・ソウル」に分類されている音楽らしい。自分自身が「クラッシック」に分類される年齢になっているという現実を突きつけられているようで、ちょっとひるんだが、おもに1960~70年代のソウルなのだから、「クラッシック」と呼ばれても、まあしょうがないか。半世紀以上前の音楽なのだから。
ゴスペルは、アフリカ系アメリカ人の讃美歌で、このキリスト教賛美が気に障り、今までずっと聞かないできたが、まあ、ここはひとつじっくり聞いてやろうと何枚かのCDを買って聞いたのだが、やはりだめだ。声明にしても、ちょっとはいいのだが、長く聞くと飽きる。
ディスコという施設も、そこにやってくる人たちの姿行動が肌に合わないのだが、そこで流れている音楽は、わりと好きだ。
アべレイジ・ホワイト・バンド
クール&ザ・ギャング
スライ&ザ・ファミリー・ストーンなどのCDは買っている。
自動車工業の街デトロイトが生み出したモータウンサウンドはもちろん、何枚も買っている。程度の差はあれ、どのグループも歌手も好きなのだが、どうも肌に合わないというのが、大御所マービン・ゲイとマイケル・ジャクソンだ。なぜ好きになれないのか簡単に言うと、「泥臭い音楽が好きだから」と言っておこうか。
短いコラムにしようと思っていたが、長くなってきたので、続きは次回。