2439話 タイ食文化史をほんの少し 2

 タイの食文化の話だから、BGMはモーラムにした。CDを取り出すのはめんどうだから、ユーチューブで「モーラム」とカタカナで打ち込むと、うれしいことにいくらでもタイ音楽が出てくる。伝統的モーラム集もあるが、数年ぶりにハニー・シーイサーンを一気に聴くことにする。そのあとは、ターイ・オラタイ。コブシの歌が好きだ。

 さて、

 「タイ人」という語を、ここでは現在のタイ国の地に住んでいた人、住んでいる人の意味で使う。昔のタイ人はどういう食生活をしていたかという考察だ。

 タイ族やほかの民族も、大筋では雲南などから南下してきた。山で生活している人々の主食は陸稲や雑穀類だっただろう。おかずの食材は、その辺のどこにでもある。食べられる山野草はいくらでもあり、川や池の魚貝類、両生類、爬虫類。家の近所にはいくらでも昆虫がいる。森に入れば、より多くの食材が得られるが、それは一種の娯楽だっただろう。アフリカと違って、大型野生生物はゾウ以外いないから、食料を得るための狩猟は娯楽程度でしかないだろう。山に入るのは、キノコやハチミツ採取という目的もあっただろう。

 食材は、生で食べられるものは生で、そのままでは食べにくい物は、焚火で直焼きにするか鍋で水煮にしただろう。調味料事情が、日本と大きく違う点がある。タイ東北部や北部には岩塩がある。雨が少ないと、地中から塩が湧き出して、畑が真っ白になるほど土に塩を含んでいる。中部や南部には岩塩はないので、海水から塩を作っている。 

 日々の料理の準備は、さまざまな香辛料を搗いて、塩を加えたみそのような複合調味料を作ることから始める。ハーブ類にコショー、ニンニク。トウガラシが伝わってきたら、トウガラシもたっぷり入れる。こういう調味料をナム・プリックという。ナムは「水」を指す語として知られているが、液体全般をさすと考えたほうがいい。タレであり汁であり、「○液」という意味でも使う。プリックは、トウガラシのことだから、したがって、ナム・プリックはトウガラシが入った「辛いタレ」か、ペースト状だから「トウガラシみそ」と理解するといい。

 植物であれ動物であれ、食材をナム・プリックにつけて食べるというのが、現在に至るまで、タイ人の基本的な食事構成だ。ナム・プリックには焼いた魚の身をほぐして混ぜたり、カニや魚の塩辛を混ぜて作ることもある。使う魚の量が多いと、調味料ではなくそのままおかずになる場合もある。この話は、のちほど詳しく解説する。

 各駅停車の鉄道で旅していた時だ。急行列車の追い越しのために、田舎の小さな駅で停車していた。窓の外には大きな水たまりがあった。雨が降ったらその穴に水がたまり、魚や昆虫や水草を育てるシステムになっている。夕暮れ時に、その水たまりに現れたのは、腰布一枚のおっちゃんで、水辺にいくらでも育っているパックブン(空心菜)をふた握りちぎって、去っていった。それが夕餉のおかずの1品になる。

 その時、熱帯多雨地域の豊かさをしみじみ感じた。その話を始めると長くなるので、次回に続く。

7月17日(金) NHKBS 夜9;15 Cool Japanは、世界の「日本のカレー」が特集。

 

 

2438話 タイ食文化史をほんの少し 1

 本の話は続ける気ならいつまででも続くから、カメラの話に続いて、ちょっと休憩することにして、しばらく別の話題を始める。まずは、タイの食文化の話だ。章タイトルを「ほんの少し」としたが、この先どれだけ書くことになるのか、私もわからない。

 はっきりとした記憶ではないが、1980年代からタイ料理に関する誤情報が広まっている。AIでも、こういう誤情報が自信たっぷりに語られている。

 「タイ料理は塩辛い、辛い、甘い、酸っぱいの4つの味が混ざり合ったものだ。それがよくわかるのは、食堂の卓上調味料だ。魚から作った醤油であるナムプラー、粗びきトウガラシ、砂糖、輪切りの生トウガラシが入っている酢の4つがセットになって置いてある。それこそがタイ料理の味だ」

 食堂の卓上調味料というのは、正しく言えば麺料理を出す店が用意している調味料セットのことで、麺を出さない店ならこの調味料セットは置いてない。タイの、どの飲食店でもこの調味料セットを置いているわけではない。

 これを日本人にわかりやすく説明すると、次のようになる。

 東京を旅行している外国人が中華料理店に入った。テーブルの調味料に注目する、醤油、酢、ラー油、コショーが置いてある。そこで、気がついた。「そうか、日本料理の基礎は、醤油・酢・ラー油・コショーだ」と解説する。そういう変な理屈なのだ。

 JTBの「タイ料理の歴史や特徴を知る」というページにも、こうある。

 「タイのレストランでは、テーブルの上に必ず『砂糖、唐辛子入り酢、粉唐辛子、ナンプラー』の4点セットがありますね。『クルアンプルン」』という名のこのセット、タイの人たちは料理にかけて、自分好みの味つけにする必須アイテムです」

 だから、「必ず」は、誤りなんですよ。

 次はタイ国政府観光庁日本事務所のホームページにある「タイ料理」の解説だ。長いが引用する。

 

 タイ料理の味を一言で言うと「複雑」。その味を作っているのは5つの味覚です。まずは「辛味」。唐辛子や胡椒が味にピリッと刺激を加えます。そして「酸味」。ライムやタマリンドでさっぱりとした風味になります。

「甘み」は、ココナッツミルクやパームシュガーなどのまろやかさ、「塩味」は、ナンプラーや塩で味を引き締めます。そしてなんと言っても欠かせないのが「旨味」。エビ味噌やナンプラーなどが、味にコクを加えます。さらに、レモングラス、コブミカン、パクチーなどで「香り」を添えるのがタイ料理の特徴です。

 

 この説明は、「バンコクのタイ料理店の味は」というテーマで解説したのなら多少わかるが、タイ料理の説明としては不都合なのだ。例えば、中国料理の影響を強く受けた料理となると、上の説明は当てはまらない。麺料理はすでに書いたように、客が好みで味を足すということはあるが、初めから「複雑な味付け」をしているわけではない。都会に住むタイ人にとって、タイ料理と中国料理の壁は非常に低い。日本人がてんぷらや天丼を外国料理だと認識していないのと同じだ。だから、「タイ料理の味を一言で言うと・・・」などと言う説明はできないのだ。

 あるいは、北部タイや東北タイの食生活を思い浮かべることができれば、上記のような誤りは書かないはずだ。タイ北部や東北部の料理に、「ココナッツミルクやパームシュガーなど」の甘味を使った料理がどれだけあるか。あるいは、そもそもタイ人が料理に砂糖やココナツミルクを加えるようになったのはいつからか、お料理ライターたちは考えたことがあるだろうか。タイの食文化史を調べ考えたことがあるのだろうか。

 そういう疑問や怒りから、今回のコラムを書き始めることにした。

 

 

2437話 オリンパスからニコンへ

 今夜のBGMは、”Beginner’s Guide to The World”というワールドミュージックの3枚組CD。いい選曲ですよ。

 さて。

 天下のクラマエ師こと蔵前仁一さんは、1979年にオリンパスOM2を持ってアメリカ旅行をしたときの写真をXで公開している。私がアメリカに行ったのはその翌年の1980年のことで、バッグにはOM1とOM2と、カメラよりも大きなストロボが入っていた。できればストロボは使いたくないが、コダクローム64というASA感度の低いフィルムを使っていて、しかも24ミリの広角レンズを愛用していたので、巨大なストロボが必要だった。50ミリ程度のレンズなら、ストロボは小さくてもよかったが、超広角レンズには大型ストロボを使う必要があった。

 出版社から取材費をもらっているから、「写真ダメでした」とか「ぶれぶれのピンボケでした、あはっは」というわけにはいかないし、「カメラが壊れました」というわけにもいかない。治安の悪い国だから、ホテルを出ると、重いカメラバッグを常に体から離すことはなかった。「カメラマンを長年やると背骨が曲がる」という話を実感できた。

 なるべく楽に写真を撮りたいと思っていたので、F2,4の24ミリレンズは必携だった。できればそれ以上に明るいレンズが欲しかったが、とんでもない価格なので、断念した。夜景はストロボを使っても意味がないので、まずは「人間2脚」をやった。カメラを首から吊るし、セルフタイマーをセットして、ジーっと立っているのだ。シャッタースピードが1秒か2秒くらいなら、これで何とかなるがそれ以上では無理だ。

 いままでたった1度だけ、三脚を持って旅に出たことがある。バンコクの夜景を撮ってみたかったからで、撮影は成功したが、荷物になるから2度と持ち歩きたくなかった。

 タイに住んで、芸能取材を終えたら、もう一眼レフカメラを持ち歩く気はない。重いのにはうんざりだが、万が一のことを考えて、一眼レフを「念のため用」にして部屋に置いておき、ふだんはコンパクトカメラを使うようにした。あるとき、「旅行人」からバンコクの写真を求められで、送ったことがあった。フィルム時代の話だ。

 蔵前編集長からの電話。

 「明らかに手を抜いて撮ってるのは、コンパクトカメラの方でしょ。差がありすぎます」

 そのとおり、コンパクトカメラは右手1本の片手撮り。オートフォーカスの全自動撮影。一方、OM2は基本通り両手で支え、画角も考え、絞りやシャッタースピードも考える。それが撮影の楽しみではなく、うんざりしていたのだが、依頼された写真だから「まあ、しょうがない」というわけだ。

 私の旅は好奇心から始まったので、カメラは持っていなかった。ライターになっても、写真を撮る気はなかったが、「取材費はひとり分。文章と写真がセットで」という依頼内容なら、貧乏ライターは「はい、行きます。写真も撮ります」と言わざるを得ない。カメラマンが同行取材することもあったが、煩わしいので、「以後の取材は、私ひとりにしてください」と編集部に申し込んだこともあった。カメラマンが撮影した写真の説明を私に求められても困るからだ。

 「取材するプロ」となって、しかたなくカメラを持って旅をした。私の写真は、「ライターの写真」だ。プロカメラマンのような写真を撮りたいとは思わなかった。そのための努力などする気はなかった。プロの手による料理写真は、女性誌のグラビアか商品カタログのようで、現実感がなかった。きれいなだけで、おもしろくないのだ。私の料理写真は、テーブルのシミもハエもそのままで、器が欠けていてもそのまま撮影した。料理がある現場のノンフィクションである。自分が撮影した写真の説明ができるというのも、ライターの写真である。

 時が流れ、取材依頼がなくなり、「特にこのテーマで取材したい」という好奇心も少なくなると、昔のようにカメラを持たずに旅するようになった。

 ふたたびカメラを持つようになったのは、デジタル時代に入って、カメラを持ち歩くことが苦痛ではなくなったことと、このアジア雑語林に載せる写真を撮影しようと思ったからだ。時代は「スマホで撮影」になっていたが、私は生産終了したコンパクト・デジタル・カメラ、通称「コンデジ」を買った。現行品は高級高額カメラだが、生産終了品なら安い。私が気に入ったのはNikon Coolpix 300シリーズだった。超望遠は捨てた。24ミリレンズがうれしい。もっとも気に入ったのは、F1.8という驚異的に明るいレンズだ。F3.6レンズのカメラで撮影したことがあるが、夜景はどうしても手ぶれする。F1.8なら手持ちで充分撮影ができる。このカメラには「手ぶれ防止機能」はないと思が、ストロボを使ったことがない。それでも、博物館などの撮影に不満はない。

 石畳にカメラを落として、液晶画面にひびが入ったということなどがあり、いままで3台買っている。もう1台買っておけば、生涯このニコンでカメラは充分ということになる。高額スマホだと、とんでもなく明るい撮影ができるそうだが、私には関係ない事だ。

 それはそうと、クラマエ師のアメリカ旅行以前の時代を描く『蔵翁自伝 かごんまボーイ編』をそろそろ書いていい年齢になってきましたね。「鹿児島編」と「上京編」を合わせて、1950~70年代の鹿児島と東京の物語。それ以後のことはすでに書いているから、インドにも旅行にもまるで興味のないマンガ少年の鹿児島物語。西日本新聞社で50回連載というのはどうだろう。読みたいよな、皆さん!

 *食文化研究誌「VESTA」(季刊、味の素食の文化センター)の最新号は「特集 世界の雑穀」。インドの雑穀の原稿は、あの小林真樹さん。研究者としても大活躍です。

 

 

 

2436話 読書三昧 12

 更新直前の校正。部屋に流れているのは、”Music of Jobin  Speaking of Love” by Eddie Higgins Trio。

 前回は「買った本」をあげたが、今回は「買いたくなる本」。

 今すぐ、注文のポチリを押そうかどうか考えているのが、『台湾夜市大全』(三文字昌也、産業編集センター、2026)だ。全貌を眺める「大全」が好きなのだ。もう1冊、『新しい音楽 漣健児とカヴァー・ポップス』(高護・小川真一、シンコーミュージック、2022)も、いますぐに読みたいが、すでに買った本が順番を待っているから、がまんしてもう少し後にする。この2冊は、ネット情報でも「いいぞ!」という感触がつかめる。台湾夜市の書き手は、都市デザインの専門家だから、「行った、撮った、食った」だけの本ではない。

 ほかに、おもしろいかもしれないとさらにチェックした本を紹介してみよう。アマゾンで知っただけなので、現物を確認したわけではない。アマゾンの「ほしい物リスト」にはすでに数十冊のリストがあるが、これはただのメモで、まだリストに入れていない。

 このメモを書いているうちに、天下のクラマエ師こと蔵前仁一さんが興味を持ちそうな本だなという気がして、パソコンもそれを察知したようで、次々とおもしろそうな本を出してくる。「旦那、これどうです?」といった感じだ。

 「それ、どういう本だい?」と思った方は、ご自分で調べてください。概要はすぐにわかるが、ホントにおもしろいかは、現物を見ないとわからないから、前川は内容の保証はしない。

 『旧ソビエト連邦を歩く』(星野藍、辰巳出版、2025)

 『迷宮ホテル 異国の路地と宿の物語を彷徨い歩く』(関根虎洸、辰巳出版、2025)

 『作家と住空間 北海道の住宅情報人が旅する日本のこころ』(三木奎吾、幻冬舎メデイアコンサルティング、2025)

 『ふだん着で行ける秘境 ニッポンの異空間』(関口勇、大和書房、2026)

 『中央アジア紀行 ぐるり5か国60日』(白石あづさ、辰巳出版、2025)

 「建築知識」(エクスナレッジ)の全バックナンバー。おもしろそうな特集がほとんどなので、神保町の建築専門書店でバックナンバーを点検しようといつも思うのだが、大金を投じてしまいそうな予感がして、足がその書店に向かわない。建築の本はおもしろい物が多く、しかし高いのだ。

 『間取りの方程式』(飯塚豊、エクスナレッジ、2014)

 『ずかん 石積み』(真田純子、技術評論社、2025)。石積みの図解! いいなあ、おもしろそうだ。

 『世界の不思議な街の空から』(パンインターナショナル)。買う本ではなくて、借りて読む本だな。旅行好きの人へのプレゼントにもいいかもしれない。

 『風土建築をつくる旅: 自然・人・技術をめぐるフィールドワークと実践』(小林広英、学芸出版社)

 『厨房で見る夢 在日ネパール人コックと家族の悲哀と希望』(ビゼイ・ゲワリ、田中雅子訳、ぎょうせい、2022)。かの小林真樹さんも執筆者のひとり。この本の発売から4年、在住ネパール人をとりまく政治的環境はかなり変わって来た。

 『世界の美しい色の建築』(大田省一、エクスナレッジ、2017)。この著者の『建築のハノイ』は買っているが、この本は知らなかった。まあ、「見るだけの本」だから、買わないけどね。これもプレゼント本か。

 『街角図鑑』(三土たつお、実業之日本社)はすでに買っている。『街角図鑑 街と境界編』や『まちかどガードパイプ図鑑』は、アマゾンの「ほしい物リスト」に入れて長い時間が流れている。そして『電柱マニア』、『ヘンな道路標識』といったたぐいの本の情報を読んでいると、タモリ倶楽部を思い出す。風光明媚・名所旧跡・神社仏閣・世界遺産・絶景・脅威・大自然・マストポイントなどと言った旅行記事の謳い文句にまったく興味のない私にとって、街歩きの楽しみはこういう「街の変」に気がつくことだ。

 

 

2435話 読書三昧 11

 ここ1週間ほど(この文章を書いているのは6月末)の間に買った本を紹介しておこう。いずれまとめて書評をしたいとは思っているが、いつになるかわからないので、予告編として、ここで紹介しておこう。興味があれば、どういう本かはネットですぐに調べがつく。更新するまでに読み終えた本は、コメントをつけておく。

 『京都の中華』(姜尚美、幻冬舎文庫、2016)→京都化した中華料理とは、油の使用を極力減らし、できればサラダ油。香辛料もできる限り使わない。ニンニク、トウガラシも使わないものが多いという。そういう料理は、食文化の変遷という意味では興味深いが、客となって食べる気はしない。換骨奪胎、「目黒のサンマ」という気がする。「京都人はニンニクもトウガラシも受け入れない」と説明しているが、焼き肉屋は数多くある。つまり、『京都の中華』で説明している花街や商家の旦那衆たちが好む「薄味、さっぱり、まったり」という味を好む層と、韓国朝鮮料理の香辛料が効いた味を好む層があるという現実にも言及してほしかった。

 京都の食堂の料理には、あんかけが多いというのが、『京都食堂探究』。汁気を片栗粉でとろみをつけた料理だが、京都の中華料理でも、やはりとろみをつけたものが多いというのが、『京都の中華』の説明。ちなみに、日本在住の中国人がよく批判する「日本風中国料理」の特徴は、やたりに砂糖を入れることと、やたらにとろみをつけることだそうだ。だから、「京都化」は実は「日本化」でもあるという理屈にもなる。日本人の多くは五香粉を「漢方薬臭い」と敬遠するし。

 『台湾客家スケッチブック 客家の人と暮らしにふれる旅』(小池アミオゴ、KADOKAWA、2022)→スケッチの絵が私の好みじゃないんだなあ。著者はファッションデザイナー。ほかの人が書いたコラムが、購入の決定要因。客家雑学事典になっているのがいい。

 『炒飯狙撃手』(張國立、玉田誠訳、ハーバー・コリンズ・ジャパン、2024)→イタリアで炒飯を作っている料理人は、実は台湾人スナイパーという台湾の小説。原題も同じだから在りし日の香港のコメディーアクション映画のようなコミカルな小説家と思ったが、とんでもない。軍がからむ本格的な警察ミステリーだった。小説を買うのは、数十冊に1冊くらいの割合か。『旅行屋さん』に続いて、今年2冊目の小説。

 台湾の料理がしばしば出てくる。ある人物の朝食のメニューに「饅頭」とあって、なぜか「まんじゅう」とふりがながついている。次の行で、「フライドチキンをはさんで食べる」とあるから、明らかに「マントウ」だ。数行にわたって漢字の謎解きをやっているページがあるが、日本語以外の翻訳者はさぞ手こずっただろうし、読者はついて行けないだろう。漢字の「うかんむりの2本の棒が長いとか短い」といった説明がわかる外国人は、中国語学習者でなければ日本人か高齢の韓国人くらいだろうか。

 人物描写におもしろ味がないとか、軍や警察の極秘情報が簡単に手に入る都合の良さなど気になることはあるが、全体的には5点満点で4という評価が、小説をあまり読まない者の評価。

 『私的台湾食記帖』(内田真美、アノニマ・スタジオ、2016)→これも一種の食べ物ガイドだが、1品を比較的詳しく紹介しているのがいい。「コーディネイト 青木由香」というスタッフ紹介を読めば、台湾本に親しんでいる人なら「なるほど」。

 『ベトナム建築行脚』(竹森紘臣・文、大木宏之・写真、彰国社、2023)→ベトナム在住建築家と写真家の手による作品。都市住宅に言及する23ページまでの記事で購入決定。団地のコラムもある。拙著『プラハ巡覧記』で、団地の建築はソビエトの影響を受けていると書いたが、ベトナムでも同様とある。『建築のハノイ』(大田省一)などすでに読んでいるから、「フランスの影響を受けたベトナムの建築」なんていうのはもういいから、街の住宅をしっかり書いてほしかったが、全体的には上々の出来。そうそう「給水塔のコラムもありますよ」というのは、クラマエ師宛ての私信。買うほどのことはないが。

 『木滑さんの言葉』(塩澤幸登、河出書房新社、2024)→マガジンハウスの編集長、のちに社長の木滑良久を巡る雑誌作りと人事の話。マガジンハウス関連の本は海外旅行史の資料としてかなり読んでいるので、この本に新鮮味はあまりなかった。

 興味深かったのは、1950年代末の「週刊平凡」。中綴じ中央に毎週ファッション特集が16ページあった。編集・デザインが堀内誠一、写真担当が学校を出たばかりの立木義浩。森英恵をはじめ、ファッションデザイナーたちは、「そのページに自分がデザインした服をのせてほしい、カネを払ってもいい」と言い出すほどの人気だった。のちに木滑は「タイアップ担当編集長」になる。広告で稼ぎまくるマガジンハウスの誕生だ。

 『台湾人の歌舞伎町』(稲葉佳子・青池憲司、ちくま文庫、2024)

 『トイレの輪』(佐藤満春、集英社文庫、2020)→すぐ読了。私の興味範囲やレベルとはだいぶ違った。

 『冬のモンゴル』(磯野富士子、中公文庫、211)→戦時中のモンゴル。梅棹忠夫のエッセイに出てくる。

 『ホルモン奉行』(角岡伸彦、新潮文庫、2010)→読んだような気がするが、それでも再読する気になった。『モツの歴史』(ニーナ・エドワーズ、原書房)よりはおもしろそう。 

 『居酒屋の世界史』(下田淳、講談社現代新書、2011)→著者はドイツ史の研究者だが、アジアへも言及しているので購入決定。

 『サザエさん 1』(長谷川町子、朝日新聞社、1994)

 『サザエさん 2』(長谷川町子、朝日新聞社、1994)→1、2巻とも残念ながら「初出記載」がないから、いつの作品かわからない。

 

 

2434話 読書三昧 10

 石毛さんの『食文化を探検する』を読んでいた1969年、ラジオで「アフリカン・ピアノ」を聞いた。南アフリカ出身のピアニスト、ダラー・ブランドの演奏だ。CDを自由に買えるようになって、アブドゥーラ・イブラヒムと名を変えた彼のCDを買い集めた。とにかく録音数が多いから、すべて買うなどと言うことはできないが、かなり買った(今数えたら24枚あった)。そのピアニストが、6月15日に亡くなった。彼のピアノ(Water From an Ancient Well)を聞きながら、原稿に手を入れている。

 さて。

 注文した『石毛直道自選著作集 第1巻』がすぐに届いて、さっそく読み始めた。記憶に残る記述もあるが、すっかり忘れている文章もある。高校生だった当時は気がつかなかったが、読者サービスのユーモア文章の中に、食文化の論考もわかりやすく入っている。

 アフリカでは、醤油の代わりに大都市なら売っているマギーソースを使うといいという説明がわかるのは、この本を読んで4年後にインドに行った時だ。日本人旅行者が、「これ、醤油の代わりになるんだよ」と言って黄色いふたの小瓶をバッグから取り出した。それがマギーソースだった。トンガなど太平洋地域で広く食べられているパンノキ(クワ科)の説明も詳しく書いてある。テレビ番組で見たことがあったが、まったく知らない植物で、現在に至るも、その実物を見たことさえない。パンノキ木にパンがなっているとはもちろん思わないが、どうやって食べるか知りたかった。石毛さんの説明は、1、生では食べられない。2、焼くか蒸すかすると、「マッシュポテトのような癖のない味がする」そうだ。なるほど。

 食べ物の本はたいてい、昔は「行った、食った」で終わり、今は「行った、撮った、食った」で終わるのだが、石毛さんは「食った」のあとにちゃんと「調べた、考えた」が入る。滞在した村での、「男の仕事」、「女の仕事」の話や、村での農業と農具の話など興味のある話が次々に出ている。

 西ニューギニア高地人の食材の話。村で栽培しているのは、「サツマイモ、タロイモ、サトウキビ、バナナ(高地なので出来は悪い)、ヒョウタン、ショウガ、ササゲ、ラッカセイがある」という説明の後が、すばらしい。「野生植物で食用にされているものが約20種ある」として、野草の解説が続く。正しい研究者は、ちゃんと調べているのだ。

 東アフリカでよく食べられているウガリは、トウモロコシの粉をそばがきのようにしたものだ。石毛さんはその味わいを微妙な表現でしているから、どうもお気に召さなかったらしい。タンザニアの村で食べるウガリは、アフリカの大都市ナイロビで私が「うまい、うまい」と食べていたウガリと質がだいぶ違っていたのだろうか。

 世界のさまざまな料理を紹介する人を、私は少々嘲笑気味に(あるいは冷笑気味に)「レジピ姉さん」と呼びたくなることがある。もちろんすべてではないが、多くは「お料理姉さん」だ。さまざまな食材や調味料の正体や歴史を調べず、日本の家庭で再現できるレシピを作ることと食べ歩き店ガイドにしか興味がない。「料理自慢のお母さんに教えてもらいました」といったものでも、「なぜそういう工程をするのか」とか、「その国では、村人も揚げ物をするようになったのはいつからか」と言った疑問が浮かぶこともない。ひたすら、レシピなのだ。アマゾンの食文化本のレビューでも、「レシピがない」と不満のコメントが少なくない。レシピがないから、その本は買わなくていいという意味だろう。現地のレシピ通りに書いても、「日本では食材が手に入らない。調理器具がない」と不満を口にするだろう。レシピ氏たちには困ったものだが、それが読者の希望でもあるから、その手の本が売れるのだろう。

 そういえば、その昔、アメリカ在住の日本人が書いたエッセイにこういうものがあった。自宅でパーティーを開くと、その日作った日本料理に対して、参加者たちは手帳を手に「ねえ、レシピを教えて」という。「どうせ、作る気もないくせに」と、そのエッセイの書き手。「レシピ、教えて」は、いわばあいさつ言葉なのだ。

 石毛さんの全集に入っている『食生活を探検する』を57年ぶりに再読し、高校生だった当時よりは格段に知識は増しているが、だからこそ、「もっと知りたい。そこを詳しく」といった知りたい欲望が次々に出て来た。ネットで調べると、学術論文がいくらでも出てくる。大学講師時代は、講師控室のパソコンで見つけた論文は、すぐさま「印刷」をクリックすれば、30枚50枚枚の論文でも、たちまち手にはいったのだが、今はそうはいかないので、手軽に手に入る学術書を探すことにする。

 『食生活を探検する』のページから目をパソコン画面に移動して、10分。次の本を注文した。

 『講座人間と環境 第3巻 自然と結ぶ』(田中耕司、昭和堂)

 『講座人間と環境 第6巻 食の倫理で問う』(安木教傳、昭和堂)

 『クリヤーの山 タイ・山岳少数民族の暮らし』(小松光一・橋本紘二、農山村文化協会)

 この先も、石毛さんの本を読むと好奇心が刺激されて、次々と参考資料を買うことになっていくだろう。

 と書いてすぐ、『講座人間と環境 第3巻 自然と結ぶ』が届いた。アンデス高地の農業を語る山本紀夫の文章がいい。うん、いい本を買った。とはいえ、同著者の『民族植物学入門』(京都大学学術出版会)に手を出すには、学力と経済力の両方が不足している。

 

 

 

2433話 読書三昧 9 

 『石毛直道自選著作集』(ドメス出版、2011~13)は、前期6巻、後期6巻の計12冊で刊行された。分冊販売はせず、前期か後期の一括販売だった。前期は税込み4万6200円、後期の6冊は3万8500円だった。

 「食文化研究を志すなら、この全集を」という版元のセールスがあったが、全集の内容を詳しく点検すると、少なくとも、単行本になった石毛さんの本はすべて読んでいるから、改めて買う必要はない。ただし、「大幅な加筆や訂正があれば、読んでみたい」とは思ったが、注釈の数行か数十行を読むために8万5000円を投入する気はない。

 つい先日のことだ。『石毛直道自選著作集』は古本屋市場ではどうなっているのか、「日本の古本屋」とアマゾンでチェックしてみた。前期・後期それぞれ6冊というセット販売のほか、分冊販売もある。ただし、1冊5000円から、1万3500円。7000円くらいが相場か。これは6冊×7000円=42000円というセット価格の1冊分だ。

 「おお!」という出品があった。第1巻が送料込みで2000円くらいだ。すでに読んだ本が全集に入っているのだが、加筆改訂を期待してもう一度しっかり読んでみたくなり、注文した。

 1969年、私は高校生だった。地元のそれほど大きくない書店で『食文化を探検する』(文藝春秋、1969)を買った。おそらく、新聞の書籍広告で知っていたのだろう。小学生時代から食文化に興味があり、研究者のフィールドワークものも、私の好奇心を大いに刺激していた。本多勝一の秘境3部作『カナダ・エスキモー』(1963)、『ニューギニア高地人』(1964)、『アラビア遊牧民』(1966)は、新聞連載時から読んでいた。ニューギニア編では、京大探検部の後輩である石毛さんが取材に協力していたということを、当時すでに知っていたのか、それとも後から知った事実なのか覚えていない。

 『石毛直道自選著作集』の第1巻は「世界の食事文化」に関する著作が集めてあり、その最初の本が『食文化を探検する』である。いままで内容をちょっと確認するようなことはしたことがあったが、腰を据えて読むのは69年以来・・・ということは、57年ぶりか!。

 『食生活を探検する』は画期的な本だった。1960年代から80年代でも、食べ物の本は料理テキストを除けば、小説家などいわゆる文化人と呼ばれる人たちが、料亭や超有名すし屋かパリの高級レストランで飲み食いしたといううんちくの自慢話だけだった。例外的に、日本の食べ物では丼物を取り上げることはあっても、主流は食味評論だった。1970年代初めに出た檀一雄の『檀流クッキング』や『美味放浪記』などはその例外的存在だった。

 そういう時代に、石毛さんはニューギニアやアフリカの食生活を取り上げている。ラベルがついてない酒の話もでてくるから、フランスのワインを語るうんちくグルメ話は始まらない。それで気に入った。それ以後、石毛さんの本を次から次へと読み、1980年代になると、独学で東南アジアの食文化の本を書くようになる。それが『東南アジアの日常茶飯』(弘文堂、1988)なのだが、驚くことに、版元の弘文堂気付で石毛さんから一面識もない私にお褒めのはがきを頂いた。

 すぐさま礼状を書いたら、食文化関連の催し物の案内状を送っていただいたり、ムックの対談相手に指名していただいた。そして、ある食文化フォーラムのメンバーになるのだが、その陰には石毛さんの尽力があったと思う。

 タイ語の冨田先生も、タイ語学習の資料を大量に送っていただいたことも思い出す。立教大学で勉強の環境を与えてくださったのは、稲垣勉教授(当時)だった。

 「さあ、機会は作りました、あとはしっかり勉強してください」というのが、石毛さんや冨田先生や稲垣さんなどの、先達としての愛情だろうと思うのだが、いまだにロクに応えられていない。