1288話 スケッチ バルト三国+ポーランド 7回

 ショルダーバッグ、壊れる

 

 ワルシャワにいたある日、朝食のあと散歩に出かけようと、宿の階段を下りているときだった。バサッという音が聞こえた。ショルダーバッグが階段に落ちたのだ。肩から滑り落ちたのではなく、留め金が割れたのだ。

 このショルダーバッグは、もう10年近く使っている。サラリーマンがノートパソコンを入れて持ち歩くような黒いビニールのショルダーバッグだ。スーツにお似合いのバッグなので、気まぐれな私の旅にふさわしくないデザインなのだが、使い勝手の良さと耐久性と価格を考えると、これ以上のバッグはない。

 布のバッグだと汗を吸うし、雨でバッグの中の本やノートが濡れてしまうことがある。丈夫な布のバッグだと結構重い。有名な京都の帆布バッグはえらく高く、硬い布のショルダーバックを毎日持ち歩くと、服とこすれてズボンの脇が擦り切れる。以前、防弾チョッキの布を使ったバッグを使っていたことがあるが、ジーパンがたちまちダメになった。布やヤスリになってしまうのだ。丈夫な布ならいいというわけではない。

 革のバッグだともっと重い。湿度の高い国だと、すぐにカビが生える。軽さを重要視して人工皮革のバッグを買ったことがあるが、本の重さに耐えられず、すぐに裂けた。

 総合的判断で、黒いサラリーマンバッグを買った。このバッグに、水筒代わりの500ccのペットボトルと折り畳み傘と、カメラと本と地図とノートや筆記具などが常に入っていて、かなり重い。寒い国では羽毛のジャケットを入れておくこともあるから、かなりの容量も必要だ。その重いバッグを肩にかけ、毎日歩いた。台北ハノイポルトプラハでも、どこの街でも1日10キロから20キロくらい歩いた。10年使っても、バッグそのものはまったく異常はないが、ベルトとバッグをつなぐ金具がこすれてすり減り、輪の厚みが3分の2くらいになっていた。まだ大丈夫だろうと思っていたのだが、ワルシャワで突然、金具が割れた。金属疲労骨折だ。固い金属だから、曲がらずに割れた。部屋に戻って、バッグの修理案を検討することにした。

 代わりに金具を探してワルシャワを歩く気はしないので、金具部分を切り取り、ベルトをバッグの輪に直接つけることにした。裁縫道具を取り出し、ベルトを縫い始めた。

 旅先のこういう時間が好きだ。毎日移動する日が続いたあと、やっと落ち着いた熱帯の宿で、汗臭い服を一気に洗濯をする解放感。「ああ、きょうは洗濯ができるぞ」という喜び。履いていたパンツも脱いで腰布1枚になり、すべての服やタオルを洗濯する。手洗いだから、洗うよりもすすぎに苦労するのだが、乾季の熱帯ではしっかり絞らなくてもいい。洗濯物を干したら、軒下の日陰に入り、本を読む。見上げれば、宿の中庭に洗濯物が風にたなびいている。いいかげんに絞ったシャツでも、1時間もすれば乾く。旅行者たちと雑談しながら、乾いたものから、針仕事を始める。取れそうになったボタンを付けなおしたり、ほつれた部分を縫い直したりする。そういうのんびりした時間が好きだ。バッグやサンダルは、路上の靴修理屋に持って行って修理してもらうことが多いが、自分で修繕できる部分なら、工夫して直す。

 ワルシャワで修繕したバッグは帰国するまで充分使えたが、今後のことを考えたら、新しいバッグに買い替えた方がいいのか目下検討しているところだ。新しく買っても安い物なら2000円以下で買えるのだが、さて、どうしようか。こうやって、旅の道具を検討している時間もまた、ちょっと好きな時間だ。

 旅行用品と言えば、ここ1年ほど買おうかどうか考えているのが、携帯用の折り畳み読書スタンドだ。LEDのおかげで、軽量安価な電機スタンドができた。乾電池式と充電池式があるらしい。これがあれば、暗い部屋でも本が読めるしノートにメモが書けるようだが、どれだけ実用に耐えるかは不明だ。

 

 

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 ワルシャワナチスによって焼き尽くされた。第二次大戦直後のワルシャワは、米軍の空襲を受けた東京のような焼野原だった。東京と違って、戦前の姿に忠実に復元した建造物もあるが、ガラス張りの超高層ビルも多い。数百年前の建物に飽きていたので、こういう風景もまたおもしろくて、毎日街を歩いた。 「いかにも観光地」ではない所がいい。

1287話 スケッチ バルト三国+ポーランド 6回

 

 女の書き手

 

 もうだいぶ前からだが、旅の本と言えば、食べ歩きや買い物の情報と写真やイラストを満載したものが多く出版されている。その書き手はほとんど女だ。そういうたぐいの本と私の相性は悪いが、読んで参考になる本の書き手もまた女が多いことに気がついた。前回書いた『リガの犬たち』はスウェーデン語からの翻訳だ。前々回紹介したマルティン・ベックシリーズの『笑う警官』は、日本では1968年に英語版から翻訳出版されているが、2013年に『リガの犬たち』と同じ柳沢由紀子さんがスウェーデン語から翻訳した新訳版が出版されていると、たった今知った。スウェーデンを本で知ろうという人は、彼女の手による翻訳書をまとめ読みすることになるだろう。

 ついでに今、柳沢由美子翻訳リストを見ていたら、小説をほとんど読まない私が知らなかっただけで、大変有名な翻訳家だとわかった。南アフリカノーベル賞作家ネディン・ゴーディマーの本や、アリス・ウォーカーの『カラー・パープル』も手掛けていて、おお、私も読んだことがある「おばちゃま」シリーズ(ドロシー・ギルマン)も彼女の翻訳だったか。でも、これは私には駄作。この「おばちゃま」シリーズ、別名ミセス・ポリファックス・シリーズは、ひょんなことからCIAの諜報員になったおばちゃまが世界各地に出かけるというもので、007のアメリカおばちゃま版。

 考えてみれば、イタリアの本をまとめ読みしていたときに出会ったのが、須賀敦子と内田洋子。このアジア雑語林のためにイタリアの資料を読むという目的でもなければ決して手にしない本だが、この偶然の出会いを楽しんだ。イタリアに持って行った本のなかの2冊がこのふたりの本で、帰国後もまとめて読んだ。

 プラハの本では、田中充子『プラハを歩く』、北川幸子『プラハの春は鯉の味』、大鷹節子『私はチェコびいき』などが私にとっても重要資料だった。大鷹の父小野寺信は1935年から38年までに駐在武官としてラトビアの公使館に赴任していて、娘節子も同行している。小野寺信と入れ替わるように、そのすぐあと、1939年にリトアニアカウナスの日本公使館に赴任してきたのが、のちに「命のビザ」で知られる杉原千畝である。大鷹節子の母小野寺百合子は、ムーミンの翻訳者として知られ、戦前のバルト海周辺国での生活を書いた『バルト海のほとりにて』の著者でもある。節子の夫大鷹正は、元駐チェコスロバキア大使。夫の兄弘もやはり外交官で、その妻は大鷹淑子(旧芸名李香蘭)。

 そしてラトビア関連の本では、黒沢歩の『木漏れ日のラトヴィア』、『ラトヴィアの蒼い風』というエッセイ集があり、同じ黒沢歩翻訳の『ダンスシューズで雪のシベリアへ』を今読んでいるところだ。ロシアによってシベリアに強制移住させられたラトビア人たちの物語だ。

 黒沢さんは、1991年にロシア語を学ぶためにモスクワへ留学し、1993年からラトビアのリーガで日本語教師をやりつつ、ラトビア大学でラトビア文学の研究をした。2009年帰国。

 同じような経歴の日本人が、世界各地で生活していることだろう。長く現地に滞在すれば、その国のことを深く知り、きちんとした文章で表現できるわけではないということはよくわかっているから、自分の滞在経験をしっかり書いてくれた文章に出会うと、ありがたいと思う。例えば、『木漏れ日のラトヴィア』(新評論、2004)で、リーガのBrivibas(ブリビーバス)という通りのことを書いている。私はよく歩いたし、トラムやバスでもよく通った広い道路だ。地図でも街角の道路標識でもよく見た道路名だが、翻訳すれば「自由通り」という意味だと初めて知った。この通りの解説はこうだ。

 18~19世紀の帝政ロシア時代には「アレキサンダー三世通り」と呼ばれていた。1918年の独立期に「自由」を意味する名がついたが、1940年にソ連に併合されると「レーニン通り」となり、その1年後にナチスによる占領で「ヒトラー通り」になった。1944年にふたたびソ連に併合されると、また「レーニン通り」に戻り、その起点にレーニン像が建てられた。1991年の独立で、ラトビアは自由になり、レーニン像は撤去され、通りの名もBrivibas(自由)にまた戻った。

 1本の通りの名前を説明しているだけで、ラトビア近現代史がわかってくる。私には買い物ガイドなどより、こういう情報の方がよっぽどありがたい。

 

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  ブリビーバス通りには、この建物があり、看板に近づくと・・・・

 

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 看板の英語は、"ExhibitionーHistory of KGB Operation in Latvia"

 悪名高きKGB本部だったことがわかる。ソビエトが気に入らないラトビア人はここに連行され、あらゆる拷問を受けた。現在はKGBの資料館として公開しているというので行ってみると、閉鎖されていた。閉鎖の理由は不明。

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 ちなみに、こちらはエストニアのタルトゥの元KGBビル。英語表示は、"KGB CELLS MUSEUM"  直訳ならKGB監禁室博物館。開館日と滞在時期が合わず、入れなかった。

1286話 スケッチ バルト三国+ポーランド 5回

 小説のなかの言葉、外国語 下

 

 以前から、外国を舞台にした小説のなかの言葉が気になっていて、アジア雑語林の67回(2004.6.16)で、この問題について書いている。別の回で書いたかもしれないが、例えば『いま、南十字星の下で』(小堺昭三)には、黄金の三角地帯と呼ばれる地域に住む少数民族の会話まで出てくる。著者が密入国を繰り返して取材をしたとは思えないし、著者も当然ながら登場人物も、さまざまな外国語ができないはずなのに、人々の会話が続いている。読んでいて、気がついた。これと同じストーリーを読んだことがある。会話までほぼ同じだ。ノンフィクション作家が何年もかけて取材を続けて書いた『黄金の三角地帯』(竹田遼、めこん)を、何ページにも渡って盗用しているのだ。スカスカの内容の小説が、いきなり詳しい内容になる理由がそれだった。これほどひどくなくても、外国人との不思議な会話が出てくる小説はいくらでもある。

 外国を舞台にした作品の言葉について興味があったので、日本を出る直前にこの本を読んだ。『日本ノンフィクション史』(武田徹中公新書、2017)の冒頭は、外国を舞台にした作品とそこに登場する言葉の問題で、ここでは小説ではなく一応「ノンフィクション」に分類される作品に関することだ。取り上げた書き手は、石井光太。インドでインド人が話しているのを脇で聞いてメモして、原稿を書いたとしか思えないシーンが出てくるが、そんなヒンディー語能力が石井にはあるのか、いや、そもそも本当にインドに行ったのか、パスポートを見せてみろと迫ったのは、ノンフィクション作家の野村進

 外国での出来事を書く者にとって、外国語の扱い方は重要な問題だと多くの書き手は考えている。内容をおもしろくしたいと考えると、外国語の壁を無視して、スペインの酒場の客の雑談も、中国の列車内のケンカも、ただの日本人観光客がなんでも理解できるように書きたくなるのだろうが、ノンフィクションはもちろん、小説でもやってはいけないことだ。

 石井光太はあるテレビ番組で、「事実を書く」ということに関して質問を受けると、「ある事が事実かどうかなんて、そんなくだらないことは、どうでもいい!」と言い切り、同席していた吉岡忍が「そこまで言うか!」と驚かせた。石井にとって、おもしろい読みものを書くということが最重要課題で、書いていることが事実かどうかなど、どうでもいいことなのだ。執筆態度としては、百田尚樹と同じである。

 そんなことを考えながら、リーガで『リガの犬たち』を読みすぎないように、少しづつ読んだ。一気に読んでしまってはもったいないからであり、「本を読む時間があったら、街を散歩せよ」というもうひとりの私が文句を言っているからでもある。

 この創元推理文庫は、2003年の初版で定価1100円(税別)。私が買ったのは最新版かどうかわからないが、2012年の6版(同じ内容だから、正しくは6刷とするべきだろうが・・・)だから、文庫にしては高い価格ながら、幸いよく売れているらしい。私のようにラトビアに対する興味で読む人は少ないだろうから、作品そのものと翻訳に力があるということだろう。

 

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 『リガの犬たち』で、スウェーデンの警官が案内されたホテル。「リガ一番のホテルで、二十五階以上もある高層建築」と紹介された「ホテル・ラトヴィア」は、Radisson Blu hotel Latvijaで、ソビエト時代に建てられた。古い建築物の中に立つ目障りな高層ホテルだ。ラディソンは、現在はアメリカのホテルグループのホテルだが、もともとはスカンジナビア航空SAS)のホテル部門のブランドだった。 

 

 

1285話 スケッチ バルト三国+ポーランド 4回

 小説のなかの言葉、外国語 上

 

 旅に出る前に、ラトビア関連の資料を集めているなかで、『リガの犬たち』(ヘニング・マンケル、柳沢由美子訳、東京創元社、2003)を見つけた。ラトビアが舞台だというそれだけの理由で買ったスウェーデンの警察小説だ。買ってすぐ、数分眺めて、おもしろそうだと直感して、旅に持ってくことにした。私が臨場読書とか現場読書などと呼んでいる行為で、本の舞台になっている土地で、その本を読むという行為だ。

 スウェーデンの小説と言えば、かつて、1960年代から70年代にかけて、マルティン・ベックシリーズ(マイ・シューバル&ベール・バールー)という警察小説があった。もっとも有名なのは『笑う警官』だろう。『リガの犬たち』のヘニング・マンケル(1948~2015)は、1990年代から2000年代の作家だから、時代がだいぶ違う。

 『リガの犬たち』は、ラストが冒険活劇のようになってしまうのが難点だが、全体的には予想していた以上におもしろかった。スウェーデン南部の港に、ゴムボートが流れ着く。そこには射殺死体が2体あったが、殺されてから高価なスーツを着せられたらしい。この死体は、どうやらラトビアから流されて来たらしいとわかり、地方都市の1警官がリーガに出かけることになった。そこで・・・という小説だ。この小説のもっともすごいのは、1991年に取材執筆し、92年に出版したことだ。バルト三国の現代史を多少なりとも知っていれば、「これはすごい」とわかる。

 バルト三国は、1980年代末からソビエトからの独立をめざす運動が始まっていた。1990年にリトアニアは独立を宣言したものの、明るい未来は見えなかった。1991年1月、リトアニアの首都バリニュスで、ソビエト軍KGB特殊部隊が武力攻撃をし、14人の死者と数百人の負傷者がでた。ラトビアの首都リーガでも、やはりソビエト軍の特殊部隊が内務省を攻撃し、その現場を撮影していたカメラマン5人を射殺した。独立を阻止するためのソビエトの力の誇示であり、悪あがきだ。

 1991年の2月から3月にかけて、独立の是非を問う国民投票が行われた。8月には、エストニアラトビアが独立を宣言し、9月にソビエトが独立を承認し、バルト三国は国連に加盟した。その後、通貨が変わり、様々な変化が起こる中で、同時進行でこの小説を書いている。通りの名前も変わっているだろうが、それでも書き始めたのは、「状況が落ち着くまで待って」などと考えられないほど、先が見えなかったからだ。

 私は普段、ほとんど小説を読まないが、過去に2度だけ、集中して小説を読んだ時代がある。1970年代から80年代にかけて、東南アジアの小説が積極的に翻訳出版されたので、その全部を読んだ。井村文化事業社やめこん、段々社、新宿書房などから出版された本は、すべて合わせれば100冊くらいにはなっただろうか。

 東南アジアの人が書いた小説をひと通り読んだところで、「日本人は東南アジアをどのように書いたのだろうか」という疑問が湧き出して、そういう小説を買い集めて一気に読んだ。サスペンスとかミステリーとか、のちの呼称だろうが冒険小説と呼ばれるような小説だった。何十冊も読んで、内容におかしな個所がないのは中村敦夫が書いた数冊だけで、あとは、それはまあ、ひどいものだった。だから日本モノをやめて、外国の冒険小説の翻訳を読むようになった。

 そのひどさの代表的な欠陥は言葉の問題だった。ただの旅行者が、なぜかタイ語がわかるシーンがあったり、何人ものタイ人が日本の新聞を熟読していたり、観光客がタイやミャンマー少数民族の言葉が突然理解できたりといった具合だ。主人公を外国語の達人に設定するとか、登場人物が日本語か英語ができる外国人に設定にするという手もあるが、そうなると、主人公は英語ができるという設定にしないといけない。

 『リガの犬たち』を読んでいて、過去の読書を思い出した。英語が得意ではないというスウェーデンの刑事が、英語があまり通じないラトビアで過ごす。当然、英語ができるラトビア人が登場するのだが、言葉で苦労する外国人の苦労にリアリティーがある。リーガでそんなことを考えたのは、日本を出る直前に読んだ本の記憶が強く残っていたからだ。

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リーガの街並み 

 

 

1284話 スケッチ バルト三国+ポーランド 3回

 鉄道

 

 わずかな体験だが、鉄道に関して、エストニアラトビアには違いがあった。ラトビアのリーガからエストニアのタルトゥに鉄道で行った時だ。直通国際列車というのはなく、国境の街Valkaバルカ(エストニアでは、Valgaバルガ。正確には国境の街ではなく、街の中に国境がある)の駅で乗り換えになる。同じ駅の同じプラットフォームを、右から左に移るだけの乗り換えだ。

 うな、かなりくたびれた列車だったが、定刻に発車し、定刻に到着した。エストニアのバルガ駅(同じフォームだが)で乗客を待っていたのは、近鉄の特急のような新しい列車だった。

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 リーガ駅の始発列車だが、乗客は全部でこれだけ。首都の駅としては、わびしい。

 

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 Valgaと書いてあるから、エストニアの駅という意味だろうが、ラトビアの列車の終着駅だ。

 

 「広い」というのが最初の印象だった。ラトビアの鉄道がそのまま国際列車にならないのは、軌間(線路の幅)の問題かと思った。エストニア軌間が広いので乗り換えが必要なのかと思っていたが、調べてみるとバルト三国では軌間は同じらしい。

 日本では、在来線は1067mmだが、新幹線は1435mmだ。新幹線の軌間が国際的な標準軌で、ヨーロッパ諸国でも同じ軌間だ。バルト三国は、ソビエトの基準を採用しているので1520mmとかなり広い。エストニアの列車に乗って「広い」と感じたのはそのせいだが、ディーゼルの単線運行だ。車内を眺めると、”Schindler”のプレートが見えた。エレベーターで有名なスイスの会社シンドラーだ。

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 エストニアの鉄道。車内は広く、新しい。が、客はほとんどいない。

 

 10分遅れで発車したが、乗り心地は快適。車椅子利用者も使える設備があり、ラトビアの鉄道とは大きく違う。しかし、客は1車両に数人という程度で、赤字の垂れ流しだろうと思われるのだが、新築(改装)工事をやっている駅もあって、「うらぶれた鉄道」という感じはしない。ちなみに、ラトビアのリーガから国境のバルカまで3時間20分ほどで、5.60ユーロ。エストニアのバルガからタルトゥまで1時間10分ほどで4.90ユーロ。エストニアの鉄道が高いことがわかる。鉄道の速度は両国ともあまり変わらず、平均時速40~50キロくらいだろうと、根拠もなく推測した。日本の鉄道に慣れている身には、かなり遅いと感じる。1時間乗って600円だと、特に「安い」とは感じない。

 タルトゥが近づいて、事件が起きた。ドアは客が開閉ボタンを押すシステムになっているのだが、駅に着いてもドアが開かない。客のおばちゃんが懸命にボタンを押しているがドアが開かず、大声で車掌を呼んだ時には、もう列車は駅を離れている。素人の想像だが、ドアロックの解除を忘れたのだろう。さて、どうする。1日数本の鉄道だ。次の駅で何時間待つことになるのかと、他人事ながら(たにんごとではなく、ひとごと、です。念のため)心配していると、次の駅で下り列車が待っていた。単線だから、ここでタブレットの交換ということになるのだが、なんと都合のいいことか。

 折に触れ、各地で鉄道旅行を思いついたが、うまくいかなかった。バルト三国ポーランドも、鉄道はロシアと結ぶ東西の移動しか考えていない。それがソビエトの意思だからだ。リーガからエストニアの首都タリンはタルトゥ経由でしか行けない。バルト三国の首都を鉄道で結ぶという路線はない。ポーランドワルシャワリトアニアビリニュスを結ぶ路線もない。バルト海不凍港ソビエトを結ぶのが、この地域の鉄道なのだとわかる。

 私は鉄道マニアではまったくないが、ある国の鉄道を調べると、その国の歴史や経済や外交関係などがよくわかるということを東南アジア研究で知ったので、どこの国で鉄道路線図をじっくり眺めるのである。

 

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 タルトゥ駅舎。街の本屋で立ち読みしたら、100年前の駅も同じ建物だった。塗り直しただけ。

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 最終列車が出た後は、遊び場になる。この明るさだが、20時過ぎだ。
 

 

 

 

 

 

1283話 スケッチ バルト三国+ポーランド 2回

バルト三国は、それぞれ違うのだが

 

 エストニアラトビアリトアニアの三国を簡単に説明しておく。

 エストニアの面積は4万5227㎢、人口132万人。ラトビアの面積は6万4559㎢、人口196万人。リトアニアの面積は6万5300㎢、人口285万人。バルト三国の総面積17万5116㎢は、北海道の約2倍という広さ。総人口613万人は、ほぼ千葉県の人口と同じだが、北海道の2倍の広さの土地に、北海道の人口約530万人よりやや多い人が住んでいると考えた方がわかりやすいか。

 バルト三国はそれぞれどのような違いがあるのかが常に気になっていたが、ごく短期間の旅ではよくわからなかった。資料を読むと、それぞれの国の歴史に違いがあるのだが、当然ながら私にはその違いがわからなかった。イタリアの、シチリアの都市やナポリベネチアやミラノの違いを考えれば、現地の言葉がわからない短期旅行者にとっては、バルト三国はイタリアよりも変化が少ないように思える。

 エストニア語はフィンランド語系の言語で、ラトビア語とリトアニア語はインド・ヨーロッパ語族に属するのだが、それぞれの言語は互いに理解不能である。ラトビア人に「リトアニア語のアナウンスを聞くと、少しはわかるのか?」と聞いたら、「わかる単語が出てくることはあるが、全体的にはまるでわからない」と言った。

 旅行者の耳では、「なんだか、音が違う」という程度にはその差がわかるが、ある言語を聞いて、「それはエストニア語だ」とわかるわけではない。しかし、単語を見ると、わかることがある。どの言語もラテン文字を使っているから、文字は同じなのだが、綴り方や各種記号が違う。

 日本語のローマ字表記を例にする。小野と大野は、通常のローマ字表記ではどちらもOnoである。カタカナで書くと、オノとオオノで、そのままローマ字表記すれば、OnoとOonoになる。Oonoのように母音を重ねるのがエストニア語で、ラトビア語ではオーノのように、母音を伸ばす記号をつける。それが日本語の「-」のような横棒(出版用語では音引きという)なのでわかりやすい。ラトビアの首都はRīga で、iのように見える文字に注目してほしい。iの上が点ではなく「-」になっているのがわかるだろうか。これが「イ」を伸ばして「イー」と長母音になる記号だ。だから、発音は「リガ」ではなく「リーガ」となる。つまり、短母音と長母音を使い分けているということで、タイ語も同じような区別があるので、私にはわかりやすい。ちなみに、リーガはエストニア語ではRiiaとなり母音を重ねている。studioという英語をエストニア語風に書くと、stuudioになると看板で知って、いかにもエストニア語だとわかった。やたらに母音が多いと、エストニア語なのだ。

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 ラトビア語の道路標示。eに伸ばす記号がついている。記号なしのeeがあるが、エストニア語に母音を伸ばす記号はないから、ラトビア語だとわかる。

 

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 エストニアのレストラン。ARMEENIA(アルメニア)とGRUUSIA(グルジア)のレストラン

 

 言語表記の違いが少しわかっていたので、バスで旅していると、路肩の表示板を見て、「おお、今、リトアニアからラトビアに入ったな」とわかるのである。その程度のことは、私のような短期旅行者でもわかる。

 気になるエストニア語があった。宿の入り口に館内案内板があって、kantor/officeという表示が見えた。kantorという語を初めて見たのはインドネシアで、kantor posで郵便局だ。その次にこの語に出会ったのはオランダで、postkantoorでやはり郵便局のこと。インドネシアは元オランダの植民地だから、オランダから伝わり、インドネシア風に綴りが変わり、修飾語が後ろに来た。オランダ語のkantoorは英訳すればofficeだ。そして、エストニアでまた、kantor。意味は同じだから、同じ語源だろうが、その身元を知りたい。

 

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  エストニア語では、kantorだけがわかった。もしかして、kookは英語のcookに関係があるのだろうか。

 

1282話 スケッチ バルト三国+ポーランド 1回

北から南へ

 

 今年も、ちょっと旅をした。

 バルト三国のひとつ、ラトビアの首都リーガから北上し、エストニアのタルトゥ経由で首都タリンに行った。その短い旅で、「バルト三国はそれほどおもしろくはないかもしれない」という予感がして、「それじゃ、よーし、ここタリンからポーランドワルシャワに行ってみようか」と思った。バス料金を調べると41ユーロ。当時、1ユーロ126円だったから、5166円。バス会社の窓口のかわいい社員が、「高齢者割引がありますが、もしかして65歳以上ですか?」と聞かれたので、「はい!」と元気よく返事をしてパスポートを出した。これで、37ユーロ(4662円)になった。15時間の夜行バスで、フィンランドヘルシンキに近いタリンから、一気にワルシャワまで南下する。車窓からバルト三国の風景を見ることができるという利点もあると思ったが、この三国の風景に変化はなかった。牧草と麦畑と松と白樺の林。どこを走っても、風景はそれだけだ。平坦な地域だから、岩山も雪山もない。ときどき見える建物を眺める以外楽しみはない。そういう退屈な風景だとわかっただけでも、バス旅行をした意味はある。私の旅に、無駄などないのだ。

 EU内も、それぞれの国にもちろん国境はあるが、出入国検査はないはずだが、ポーランドは違った。リトアニアからポーランドに入ったところだろうかと思われる深夜、バスは停まり、制服の警官らしき男たちが車内に入って来て、乗客のパスポートをチェックした。荷物も調べているのか、小一時間も停車した。そして、いよいよワルシャワに入ると思われるあたりで再びバスは路肩に停まり、また警官の検査だ。不法移民の検査なのだろうと思ったが、本当の理由はわからない。客のほとんどは中東風の顔つきをした男たちで、どう見ても旅行者ではない。労働者の移動という感じだ。しゃべっている言葉はアラビア語ではなく、耳になじみはない。中央アジアから来た男たちか。

 ワルシャワからリトアニアの首都バリニュスに行き、リーガに戻った。それが、今年の私の旅だ。

 

 バルト三国といえば、北からエストニアラトビアリトアニアで、それぞれの首都は・・・といった情報は、旅行前に読んだ資料で知ってはいたが、自分の知識となるのは旅に出てからだ。一応、それぞれの国の歴史も調べたのだが、さっぱりわからない。あまりに複雑だから、事前学習を放棄して、資料を持って旅に出た。旅先で資料を読むとよくわかる。旅を終えた今も引き続き資料を読んでいるのだが、見切り発車で、旅のスケッチを書き始めようと思う。旅の話は、いつも簡潔に短くしようと思っているのだが、書いているうちに楽しくなってだんだん長くなる。昨年のプラハの旅だって、書き始めたらいつの間にか半年が過ぎていた。隔日更新で半年続けるというのは、書く方は楽しいが、読む方はつき合いきれないに違いない。だから、今年の旅の話は、簡潔にしようと、いつものように決心するのだが、さてどうなるか・・・?

 2018年にプラハに行って、いわばそのスピンオフドラマのように、チェコと同じような歴史を歩んだ国が気になった。それが、ラトビアの首都リーガに行ってみようと思った理由なのだが、問題があった。私の旅は、ここ何年も「1都市でひと月滞在」を目指しているのだが、適当な街がなかなか見つからない。まだ行ったことがない街で、「ひと月居たら、さぞかし楽しいだろうな」と思える街は、メキシコとブラジルとアルゼンチンの都市くらいしか思い浮かばない。

 リーガだって、街の大きさや民族構成や歴史などを考えると、「ひと月遊ぶ」ほどのおもしろさがあるとは思えない。だから、ラトビアのリーガで2週間、ほかの国で3週間という予定を立てた。

 

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リーガを見下ろす