1562話 モノを知らない私です その2

 

 関心分野が狭く、知らない事柄がいくらでもあるというのは、へそ曲がりのせいだと思っていたのだが、どうも違うようだ。本当はゴルフをやりたいのに、「なんだ、あんなもの! くだらん」とヘソを曲げて、同世代の男たちが夢中になっている楽しみにケチをつけたくなるというのではなく、本当にゴルフに興味がないのだ。野球もパチンコも、本当に興味がないから知識もないのだ。野球に興味がないのに、NHKTVの「球辞苑」を毎週見ているのは、多分、言葉の野球を楽しんでいるからかもしれない。別の言い方をすれば、トークショーを楽しんでいるのだ。まったく興味のない国の話でも、見事な文章で表現されていたら、楽しく読んでしまうというようなものだ。

 自動車そのものに興味はないが、のちに『東南アジアの三輪車』としてまとまる本の調べものをしているときは、当時大手町にあった自動車図書館に通い、戦前から1960年代までの自動車資料を読みあさった。「モーターファン」や「モーターマガジン」といった市販の自動車雑誌ではなく、日本自動車工業会などが発行している専門雑誌や内部資料を読み、コピーを取った。つまり、市販の自動車雑誌が送り出す情報には興味はないが、モノによっては興味深い記事がいくらでも見つかったということだ。1950年代に日本の自動車業界を挙げて取り組んだ東南アジア走破隊の記録は、じつに楽しく読んだ。「ベトナムの道路は、日本の道路よりもよっぽどいい」という記述に出会うと、「植民地と道路事情」というテーマに思いをはせる。

 例えば、こんなことを思い出す。戦後海外旅行史の資料として石原裕次郎の映画を多く見た。「憎いあンちくしょう」(1963)には、ジャガーで突っ走るシーンがあるが、未舗装の土ほこり道路だ。あの当時、高級車を手に入れる資力はなんとかあったが、道路整備にはまだ手が回らなかった。そういう時代だった。     

 自動車で思い出したのは、1950年代の日本の自動車メーカーの悲願は、箱根の坂を登れる車を作ることだった。やっと箱根の坂を登れるようになったトヨペットクラウンは、無謀なことにアメリカへの輸出を始めたのだが、高速性能に著しく欠けていたために失敗した。日本には、まだ高速道路がなかったのだ。

 そういえば、アーサー・ヘイリー自動車産業小説“Wheels”(1971.日本題『自動車』)には、日本製の自動車はいかに出来が悪いかという描写がある。1960年代の取材ならそういう評価が日本車に下されていたということだ。

 なぜ私が自動車業界小説を手にしたかというと、まず、ホテル業界の小説『ホテル』(1970)を読み、空港の仕組みを知りたくて『大空港』を読み、そして『自動車』を読んだというわけだ。もしかして、『マルカムX自伝』や『ルーツ』を書いたアレックス・ヘイリーと勘違いして買ったかもしれないという可能性がないわけではないが、たとえ間違って本を買ったとしても、読めばすぐに気がついたはずだ。

 『東南アジアの三輪車』の感想に、「著者が機械に疎いのが残念」と書いた人が何人かいた。内燃機関のことなど何ひとつ知らないライターが、機械の勉強などせずに書こうと試みたのがその本だから、私は気にしていない。エンジンの全貌を頭に入れるよりも、三輪自動車の歴史や地理的な広がりなど、調べるべきことはいくらでもあると思っていた。機械のことは機械に詳しい人が書けばいいと思っていたが、未だに機械に詳しい人が書いた三輪自動車の本はない。自動車ファンとかマニアという人は、世界の自動車産業に興味も知識もない人たちのことだ。自動車文化としてドイツを語る人はいるが、同じように中国や韓国やネパールの自動車文化を語る人を、私は知らない。機械に詳しい人は、機械としての自動車しか語らない。ブランド名とスペックしか興味がないと言ったら、言い過ぎだろうか。

 

1561話 モノを知らない私です その1

 

 もう5年ほど前のことになるが、あるシンポジウムの会場で、旧知の教授と出会った。

 「おや、久しぶり」と二言三言ことばを交わすと、彼は背後にいる人物の方に右手を向けて、「こちら、今の大学の学部長」と言い、今度は左手を私の方に向けて、学部長を見ながら、「こちら、前川さんと言って・・・」という言葉のあとに数秒の空白があった。その意味はよくわかる。私が大学や研究所の人間なら、その肩書で私を解説できるのだが、そういう肩書のない私をどう説明したらいいのか、言葉につまったのだ。

 「前川さんと言って、・・・・いろんなことをよく知っている人です」と紹介した。苦肉の策か。

 その教授が書いた本を素人である私が勝手に校閲し、感想とともに正誤表を送ったことが何回かあった。私の指摘は言いがかりの罵詈雑言ではなく、事実に即した指摘で、教授はそういう指摘を素直に受け入れる人だから、わだかまりはない。

 ほんのちょっとの立ち話だから訂正はしなかったが、私に対する教授の説明は全く逆だ。私は「いろんなことを、本当によく知らない人間」なのだ。無知蒙昧、底なしのカラッポ頭なのである。中学まではある程度勉強したが、高校以降は完全な落ちこぼれで、高卒レベルの基礎学力はない。理数系に関しては、中卒レベルもないと自信を持って言える。だから、日ごろ、広い興味と知識を持ちたいとは思っているのだが、実際は極めて狭い範囲にしか興味はなく、その知識も当然、きわめて狭く浅い。私は、学力と学識に大いに欠ける男なのである。

 学力とは別に、私と同世代の日本人の男が持っている知識のほとんども、私には欠けている。

 例えば、スポーツ新聞で扱うすべての事柄が私の関心外だから、スポーツ新聞は読解不能だ。スポーツにまったく関心がない。野球も知らない。

 「私、野球のこと、何も知らなくて」と黒柳徹子がテレビでしゃべっていた。トンチンカンナことを言って、友人たちに笑われたというエピソードを話していた。ある元プロ野球選手が「徹子の部屋」のゲストだった時。「初めてマウンドに立ったときの思い出は?」と聞いたら、「『ボク、外野手だからマウンドに立ったことないんです』とおっしゃたのね。私、野球をするところをマウンドというんだと思っていたから」。

 「こんな風に、野球選手とお話しするとあまりに無知で笑われることが多いんだけど、そんな私でも、3回空振りしなくても、三振になるということくらい知っているわよ」というので、「ええ、ホント?」と驚いた。3回空振りしたときだけ「三振」というのだと思っていたからだ。私のスポーツの知識は、新聞を眺めながらテレビニュースのスポーツコーナーをちらっと見て得た程度のものだ。

 苦手なのはスポーツだけではない。囲碁将棋麻雀も競輪競馬パチンコなどバクチの類もすべて知らない。ボードゲームもコンピューターのゲームも知らない。酒を飲まないから、夜の盛り場を飲み歩くこともない。日が暮れたら、さっさと家に帰りたくなるタチだ。

 サラリーマンをやったことがないので、ビジネス用語も知らない。ビジネス用語といってもアメリカでMBA経営学修士)を取った人が得意になって使いたがるようなレベルの用語ではなく、零細・中小企業で働く誰でも知っているようなサラリーマン用語だ。稟議書というものは、テレビドラマで覚えた。「あいみつ」は国会の質疑で知った。しかし、未だに専務と常務の違いがわからないし、「取締役社長」という肩書きをテレビで目にするが、大企業の社長で「取締役」ではない社長がいるのかどうか知らない。「相殺」「総務」「庶務」といったものも、テレビで見て、なんとなくわかったに過ぎない。業種に関係なく、サラリーマンが日常使っている言葉の多くが、たぶん私の知らない専門用語だろう。「御社」「貴社」「NTTさん」という用語の意味はわかるが、使ったことがない。

 自動車運転免許証もスマホも持っていないし、機械全般に疎い。大工仕事もできない。その昔、中学でやらされた「技術科」がすべてダメで、技術も知識もない。「家庭科」ならいい成績がとれたのになあと思った。

 理科系にも芸術分野にも興味も知識もないし、カラオケが嫌いだ。こうやって「知らない分野」を書き出せばきりがない。世の中には、私の知らないことだらけだ。知っていることは、ほんのわずかしかない。私は、正真正銘、疑いのないモノを知らない人間なのである。

 

 

1560話 妄想記 その2

 

 一気に、書きおろし

 

 テレビの旅番組(外国が取材地ならたいてい再放送だが)を見ていると、もしどこかの街で1冊書きおろしするとすれば、どこがいいかなあなどと妄想していることがある。この私に、一気に書きおろしを依頼してくるような出版社はいないから、もちろん完全なる妄想である。どうせ妄想だから、滞在費のことなど考えず、原稿執筆の日々にふさわしい場所を探すということにする。

 「それを言っちゃー、おしまいよ」という話を先にしておけば、旅日記ものでなければ、自宅で書くのがいちばん快適で、仕事が進む。資料はあるし、テレビとパソコン以外誘惑するものがなにもない鄙に住んでいるから、スーパーマーケットくらいしか行くところがない。だから、「自宅が一番」なのだが、それでは楽しい妄想にならないから、どこかに理想の街を見つけようというのだ。

 旅行先を考えるときは、「ひと月遊べる場所」を考えることが多いのだが、今回の趣向はちょっと違う。ひと月いても飽きない程度におもしろければいいので、おもしろすぎるニューヨークなどは候補地にはならない。

 気候のことは、あまり考えない。そもそもひどい気候の土地は選考から外すし、その土地のベストシーズンに行くから、我慢できる範囲内で考える。

 まず、除外すべき土地の話をすると、農山村、リゾート地は退屈でおもしろくないからダメだ。小さな町も大きすぎる街もダメだ。だから、中国やインドの都市は初めから候補に入っていないし、ニューヨークやロサンゼルスやパリやロンドンは落選した。ラテンアメリカの街は、私の想像力が働かないので、候補にならない。ただ街歩きをするだけなら、ブラジルの街はおもしろいかもしれないが、のんびりできるかどうかわからない。

 世界地図を頭に思い浮かべて、「ウチ、いいよ。いらっしゃい」と呼び掛けてくる街を探すと、まず頭に浮かんだのは、台南と高雄(台湾)。そしてペナン(マレーシア。かつて、うんざりするほど行ったが、最近は行っていないから)、ソロ(インドネシア)。イスタンブールアテネ。ほかの街を考えたいのだが、思いつかない。イスタンブールは大きすぎるが、街が海で分断されているから、のっぺらぼうな街に見えない。もちろん、プラハチェコ)は有力な候補地の一つだが、記憶が新しいので新鮮味がない。バルト三国の首都、タリン(エストニア)、リガ(ラトビア)、ビリニュスリトアニア)は、ひと月滞在するのは飽きる。行ったことはないが、ウイーンやローテンブルク(ドイツ)の街を考える。20代のころは、絶対に行きたくない国がドイツだったから(黒い雲を思い浮かべて憂鬱になったから)、歳を取ると気分はちょっと変わった。旧東欧圏が候補にあがりやすいのは、「静かな都市」と想像できるからだ。

 夏のコルマールは観光客が多すぎて騒がしそうだが、9月になればいくらかいいだろうか。フランスはアルザス地方の街で木造建造物が多く建っている。はたして英語が通じるか。「フランスに滞在」なんて、いままで考えたこともない。

 ポルトガル、スペイン、モロッコの街の話はすでに書いた。ポルトポルトガル)は大好きな街だが、ひと月は飽きる。10日ほどいたら、別の街に行きたくなりそうだ。イタリアは、ベネチアがもっともふさわしいかもしれない。歩くしか移動手段がない狭い空間で、しかし歴史が折り重なっている深い街だから、目にも頭にも刺激を受けて、執筆が進むかもしれない。散歩が楽しい街はいい。

 バレッタ(マルタ)や、カリャリ(イタリア、サルデーニャ)なども考えたが、かつてシチリアパレルモでひと月ほど過ごそうと出かけたのだが、3日で飽きた過去を考えると、島に行くのは要注意だ。だから、ギリシャの島も、候補には入れなかった。

 こういう妄想をしながら、パソコンで画像を眺める。こういう空想の旅も楽しいが、もちろん現実の旅をしたい。絶えずさまざまな妄想をしているが、この続きはまた別の機会に。

 

1559話 妄想記 その1

 

大阪、独立するで

 

 日々、退屈しのぎに妄想を楽しんでいる。ついさっきの妄想は、さしたる理由もなく、新作上方落語のネタを考えていた。日ごろから落語のネタを考えているわけではまったくなく、落語でも漫才でも小説でも、その構想を考えたことなど今までなかったのに、なぜか突然、上方落語の構想が頭に浮かんだ。

 大阪が怒った。東京が偉そうにしているのに耐えられない。大阪を指導しようとしている東京の見下した態度が許せないという大阪人たちが、「東京がなんぼのもんじゃ!! 独立や、独立」と言い出したところから話が始まる。大阪が首都の国構想を主導するのは、当然、大阪維新の会だ。合言葉は、「大阪弁公用語に」。

 この、大阪独立構想は、大阪の独立宣言をきっかけに、西日本全県を巻き込んで日本から独立した大阪国と、残った県で構成する東日本国の分離を目指すというものだったが、まずは京都が「勝手にやらはったら・・・」と大阪を突き放し、兵庫県も京都と握手した。日ごろ大阪市から「田舎者」と馬鹿にされている北部の能勢町豊能町は、京都府兵庫県に挟まれている現状を考え、兵庫につくか京都がいいかと議会で論議される。いずれにしても、大阪府から分離する。

 兵庫と国境を接する池田市箕面市が、「お下劣な大阪といっしょにされたくない」と、兵庫県への合体を宣言すると、吹田市など淀川の北の市は兵庫と京都どちらかへの帰属を論議するようになる。これで、大阪市も分断された。

 大阪府からの分離が利益にはなりそうもないと考えたのが、奈良県や和歌山と国境を接する自治体で、大阪府は、分離する北部と残留する南部に別れ、南北戦争に突入かと思われた。経済的には南部が圧倒的に富裕で、さて、どうなる?

 こういう内容の、落語か小説か映画はいかがでしょうか。映画「翔んで埼玉」の焼き直しだろうと勘繰る人がいるだろうが、発想はまったく違う。「分離独立」ということからの妄想だ。

 過去に、琉球独立論が話題になったことがある。一部でしか話題にならなかった。佐渡独立論というのもあった。こういう論議を妄想や冗談、バカ話としてしか相手にされなかったが、地方自治とか国際政治や安全保障、経済政策など、まともに扱うと見えてくることがいろいろある。沖縄では米軍基地問題が大きいが、基地がなくても、経済的自立は難しい。観光でうまくいかないなら、昔なら切手で稼ぐという方法もあったが、今はバクチ場にするというのがよくある解決策だが、はたしてそれでいいのか。北海道独立論も取り上げる人はいるが、経済的自立を考えていない。北海道が独立国として生存できるかどうかという論議は、実際に独立できるかどうかという議論とは別に、どうすれば自立できる経済構造を作れるのかという論議が重要だろうと思う。

 などということを、春の花をぽか~んと眺めながら妄想しているのである。

 

 

1558話 本の話 第42回

 

『きょうの肴なに食べよう?』(クォン・ヨソン著、丁海玉訳、KADOKAWA、2020)を読む その5

 

P132・・粉食屋の主人

 チヂミやマンドゥ(蒸しギョウザ)やトッポギ(うるち米のモチ)などを売る店を粉食屋という。著者が愛用している市場の粉食屋は夫婦でやっているのだが、「いつの頃からか夫の姿を見かけなくなった」。妻によれば「夫が就職したのだ」という。著者はただ事実を書いているだけで、解説などしていない。韓国では珍しいことではないからだ。飲食業など「男子一生の仕事」だとは考えていないようで、食べ物屋でカネを稼いで、将来はそのカネで起業するとか、勉強をして公務員になるというのが「立派な人生」だと考えている。職人の仕事を評価しないから、老舗ができない。

P142・・家がある街の大通り沿いの屋台でもスルメをふやかした天ぷらを売っている。しかしそれは普通の可愛らしいイカではなくダイオウイカの足を干してふやかしたものだ

 いくらなんでも、体長6メートル以上にもなるダイオウイカのスルメを屋台で売っているとは思えない。ダイオウイカは市場で流通するほどの量はとれないし、ダイオウイカのスルメを食べた人の話では、「おいしくない」らしい。

 

 韓国の食べ物の話は、今回で終える。翻訳者丁海玉(チョン・ヘオク)は、1960年生まれの在日韓国人2世。韓国語はソウル大学で学んだ。主たる生業は韓国語・日本語の法廷通訳のようで、その体験を書いたのが『法廷通訳人』(丁海玉、角川文庫、2020)だ。韓国人被告の通訳をするのだが、弁護側というわけではなく、法廷では中立であろうとする。

 罪の問われた韓国人が次々に出てくるが、100パーセントのノンフィクションとは思えない。個人情報をあからさまに書くわけにはいかないのだから、ある程度のデフォルメは必要だと思う。そう理解したうえで、読む。この本のキーワードは「犯罪」「法廷」「韓国人」などいろいろあるのだが、もっとも重要なのは「言葉」だろう。異国の韓国人の言葉の話は、韓国人でなくても同じようなものかもしれない。長く日本にいても、ほとんど日本語ができない人。長く日本にいて、法廷では韓国語を使うことを拒否し、通訳も拒否する人。韓国語というものが多少なりともわかる人なら、「ああ、そうか」と納得できる話は、通訳と被告の年齢差のことだ。年齢差によって言葉が変わる韓国語(丁寧語とため口)だと、法廷でどういう表現をするのか問題になるといった話だ。シム・ウンギョン主演の韓国映画の原作になりそうだなあなどと思い描きながら、この文庫を読んだ。

 世間にはあまり知られることのない本だと思うが、佳作である。

 

 2020年12月16日から掲載を始めた「本の話」シリーズは、今回の42回で一応区切りをつける。42回分は、薄い新書くらいの文章量になるから、ちょっと書きすぎたかもしれない。本は毎日読んでいる。司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズは韓国編の2冊を読んだ後、『ニューヨーク散歩』と『モンゴル紀行』を読んだ。桂米朝の本2冊に、後藤新平、そのほか建築の本やブログの資料用に買った本など雑多。私は、おいしいものは後回しにして食べるタチなので、ずっと前に買ってあった『拗ね者足らん 本田靖春 人と作品』(後藤正治講談社)をやっと読み始めた。後藤正治が語る本田靖春だから、おもしろいに決まっている。実は、すでに講談社のPR誌「本」連載時にあらかた読んではいるのだが、改めて400ページの快感にひたる。しかし、本田の旅行記を読んでみたいと思い、『オリエント急行の旅』(潮文庫、1985)を読んだが・・・、これは、つまらん。

 こうやって、本の話はいくらでも続けることができるが、ただだらだらと書くのはひと休みすることにする。ブログの更新もちょっと休んで、文章のことなど考えず、しばし呆然自失してジャズを聴きながら春の到来を待つことにします。

 いつもなら、こんなことを書いてしばらく旅に出るのだが、今春も昨春に続いて、せめて東京散歩の計画でも立てましょうか。

 

 

1557話 本の話 第41回

 

『きょうの肴なに食べよう?』(クォン・ヨソン著、丁海玉訳、KADOKAWA、2020)を読む その4

 

P118・・イタリアのピザはありえないほどしょっぱいのだという

 イタリアで修業した韓国人料理人の本にそう書いてあるというのだが、にわかに信用できない。ピザに限らず、パスタやサンドイッチも「すごくしょっぱい」うえに、「ヨーロッパの食べ物は全体的に韓国の食べ物よりかなりしょっぱいというのだ」と書いてあるそうだ。アンチョビのピザのアンチョビ部分を食べれば、たしかに塩辛いが、イタリアの料理がすべて塩辛いとは思えない。「諸外国の食塩摂取量の平均値」を見ると、「食塩摂取量の少ない順に、オーストラリア(6.2g)、アイルランド(7.4g)、フランス(7.5g)、イギリス(8.0g)となっており、これらの国々と比較して、日本(9.9g)は2~3g程度多いことがわかります」とある。韓国は日本と同じくらい。イタリアの数字はない。この資料を見ると、ヨーロッパ人が韓国人よりも多くの塩分を摂取しているとは思えない。

 不遜とか傲慢とか思われそうだが、料理人が料理の仕方以外について語る話をあまり信用していない。テレビにもよく登場する有名料亭の主人が語る「日本料理とエスニック料理」の講演を聞いていたら、彼が語るタイ料理の説明がことごとく誤りだった。そういう例は、珍しくない。

P119・・私は汁を口にする時はほとんどさじですくわない

 「韓国人は、日本人のように器に口をつけて汁を飲むことはせず、さじをつかう」と説明している本が数多くあり、「そんなことないですよ。器に口をつけて飲むこともありますよ」と、このアジア雑語林で何度も書いているのだが、このコラムの読者はあまりにも少ないので、私の解説はいっこうに広まらない。日本人のように飯茶碗を左手に持ち、箸で飯をすくって食べている韓国人も、けっして珍しいわけではない。特に、水冷麺にはさじがついていないことも多く、丼に口をつけて汁を飲むのはごく普通のことのようだ。韓国人全員が、同じ食べ方をしていると思う方がおかしいのだ。

P124・・ひと晩中雪が降り、しんしんと降り積もったふかふかの雪を踏みながら、私は市場へハイガイを買いに行く

 ハイガイ。なんだ、これ。ちょっと前まで、この貝のことはまったく知らなかった。日本人はほとんど食べないからだ。調べると漢字では灰貝と書く。貝殻を焼いて石灰にしたところからこの名があるらしい。この貝を初めて目にしたのは、日本のテレビドラマ「ワカコ酒」の韓国版「私に乾杯 ヨジョの酒」で、そのことは847話(2016-07-29)に書いた。

 赤貝に似たこの灰貝に再会したのは、やはり韓国ドラマ「応答せよ! 1988」だった。ソン・ドンイル演じる銀行員ソン・ドンイル(役者の名と役名が同じ)の大好物がこの灰貝で、この貝を丼いっぱい食べることを無上の喜びとしている。そして、このエッセイ『きょうの肴・・・』で語られる灰貝への愛。韓国人にとっては、ただの貝ではない存在らしい。

 隣国のことでありながら、日本では灰貝はほとんど取れない。韓国では養殖もしているそうだが、日本人には養殖をしてまで食べたい貝ではないということらしい。画像で確認すると、私には赤貝にしか見えない。東南アジアの市場で「赤貝だ」と思ってみてきた貝も、もしかして赤貝ではなかったかもしれない。

 

1556話 本の話 第40回

 

『きょうの肴なに食べよう?』(クォン・ヨソン著、丁海玉訳、KADOKAWA、2020)を読む その3

 

P59・・最初に水冷麺というものを食べたのは、20代中ごろのことだったと思う

 水冷麺(ムルネンミョン)というのは、日本人が冷麺として知っている料理のことだ。著者が食べていた冷麺は、汁のない「ビビン麺(辛い薬味だれがのった冷麺)」で、「肉で出汁をとったスープを蕎麦粉が原料の嚙み切りやすい麺にかけて食べる平壌式冷麺など、知る由もなかった」と書く。著者は1965年生まれ。慶尚北道安東の出身だが、ソウル大学卒業だから、1980年代にはソウルに住んでいたことは確かだ。20代半ばに、ボーイフレンドと一緒に行った冷麺専門店で初めて水冷麺に出会ったと書いている。冷麺は大別すると「汁なし」と「汁あり」の2派ある。著者がそれを知らなかったというのは、1980年代当時、冷麺がまだそれほど知られた料理ではなかったというわけではなく、おそらく著者の個人的事情によるものではないかという気がしている。ただし、家庭の料理としては、牛骨でスープを作るのは面倒で、昔のようにキムチの汁を利用するのではなければ、汁なし麺の方が作りやすいと考えると、家庭の冷麺は汁なしが主流だと考えられる。あまり外食をしない家庭で育つと、汁のないビビン麺しかなじみがなくても不思議ではない。

 汁のあるなしよりも興味深かったのは、韓国にも麺だけをお替りする「替え玉」があるということだが、それが客の特別な注文だったのか、それとも制度として確立しているのかどうかわからないので調べてみると、「替え玉」という韓国語はないが、麵だけの追加はあるという。「麺を追加して」という意味で「サリ(麺)チュガ(追加)」と言うそうだ。替え玉が、韓国オリジナルか、それとも福岡の影響か、さて。

P84・・シレギのナムルと同じくらい、私のテンションが高くなるもうひとつのナムルは「チャンチン(カチュック)」だ。

 シレギとは、干した大根葉だという説明がある。チャンチンは、「香椿(こうちん)またはチャンチンと呼ぶ樹の新芽」という説明があるが、この植物になじみがない。チャンチンを調べると、センダン科チャンチン(Toona sinensis)とあり、幹は家具などに使われるが新芽は食用になるらしい。「桜の花が散りクロフネツツジの花が咲く頃になると、市場にやわらかいチャンチンが束になって売られている」というほど、韓国では普通の植物のようだ。

P94・・近くに「五福堂(オボクタン)」というパン屋があって、ちょうどそこの主人が揚げたての“コロッケ”(あえてクロケットとは言わない)を盆の上に広げていた。

 この文章を読んでいて思い出した。韓国のコロッケは、日本のコロッケとは違うのだ。昔調べたことはすっかり忘れているので、また調べてみた。そして、韓国の「コロッケ」はややこしいということを思い出した。それは、こういうことだ。韓国人は日本のコロッケを売ろうとしたのだが、売れない。そこで、試行錯誤して工夫を重ねるうちに、百人百様の「コロッケと称する食べ物」が誕生したらしい。韓国のコロッケは、基本的にパンである。だから、引用した文章でも「コロッケ」を売っているパン屋が出てくる。外見は、カレーパンだ。具は、マヨネーズが入っていないポテトサラダだったり、カレー風味のジャガイモだったり、はてはアンドーナツのようにあんこが入っているものもあるそうだ。どういうバラエティーがあるのか、画像を紹介しておく。