373話 On The Road Againとバンコクの安宿

 旅行関連のおもしろい本が読みたくて、アマゾンで遊んだ。”On The Road”というタイトルの本は、ケルアックの小説以外にも旅行エッセイで使いたがるだろうと予測して、このタイトルで検索したら、むしろ”On The Road Again”のほうで、いろいろな本が見つかった。その1冊におもしろそうな内容紹介がついていたので、すぐさま「1Clickで今すぐ買う」をクリックした。イギリスから取り寄せて、送料込みで700円もしないから、たとえつまらない本であってもあきらめがつく。
 2週間ほどして、本が着いた。”On The Road Again”(Simon Dring , BBC Books , 1995)。27cm×19cmという大きいハードカバーの本で、カラー写真もたっぷりある。この本に注目したのは、1960年代のヒッピー旅行の様子がはっきりとわかるからだが、著者にも興味を持った。著者がインドをめざして母国イギリスを出たのは、1962年、16歳だった。その当時のイギリスの若者にとってのアジア認識、世界旅行への誘惑といった話から始まるのが気に入った。
ヨーロッパ、アジアを陸路で旅し、1962年のクリスマスイブにバンコクに到着する。そこで、すぐ仕事を見つけた。タイで発行されている英語新聞の校正記者である。その後、フリーランスの記者になり63年にはラオス駐在、64年にはロイターの記者としてベトナム特派員になった。少年が、特派員ですよ。帰国したのは、1966年だった。彼の略歴はウィキペディアにも出ているので、興味のある人はそちらを参照してください。
 この時の旅を1990年代になってなぞったBBCのテレビ番組を活字化したのが、この本である。したがって、60年代の旅の話やメモに、90年代の旅の話がかぶさる。
 この本の中で、息を止めてしまった文章があった。場所はバンコク
「デリーで何人かの旅行者から聞いたのだが、バンコクの駅近くにあるThai Song Greet Hotelに行けば、うまい麺があり、仕事にもありつけるらしい」という話のとおり、彼はこの宿ですぐに仕事を見つけた。
 タイにやって来た1970年代の日本人旅行者は、この宿を「タイソン」と呼んでいたことは、私も体験的に知っている。拙著『バンコクの好奇心』でもこの宿のことを書いたとおり、伝説的安宿だという認識は私にもあった。しかし、1962年の時点で、デリーでも噂になっていたとは驚きだ。アジアの安宿としては、ここと香港の重慶(チョンキン)マンションと、そして私はよく知らないのだがイスタンブールなどにもこのような伝説的安宿があったようだ。
 1962年では、欧米の若者でさえ、まだ世界旅行にはほとんど出てこない時代だから、「旅するわずかな若者」たちの間で、バンコクのタイソンが知られていたということは驚異だ。ロンリー・プラネット創業者トニー・ウィーラーは、1970年代後半に出した本で、この宿を「アジアでもっとも有名な安宿」と紹介していたが、その本が出た数年後の1980年に、この安宿は閉鎖されオフィスに変身した。
 そのロンリー・プラネットのHPのなかに、旅の思い出を語り合うサイト http://www.lonelyplanet.com/thorntree/index.jspa Thorn Tree Travel Forumがあって、そこにかのタイソンの写真があった。この宿の名前の意味がわからず、長年疑問に思っていたので、宿の看板が写っているその写真をタイに送り、解読してもらった。しかし、「どうも、意味のよくわからない名前なんですよ」という返答をもらった。
 閉鎖直前のタイソンの画像と資料は、ここ。http://www.oldbangkok.com/hotel-images2/pages/ThaiSongGreet80_jpg.htm
 1960~70年代の若者の旅の資料は随時収集しているのだが、日本語のものは少なく、英語のものは多いが、どうしてもネパールやゴアが中心となって、私の関心地域である東南アジアの旅行事情はなかなか手に入らない。ネット古書店巡りをして、次の本を見つけたが、内容がわからない本に5000円ほども払う気はなく、まだ読んでいない。
“Earthfreaks : The Hippie Trip in Asia , Cieca 1970” (George Anschuetz Nur , Regent Pr , 1997)を、読んだ人いますか?