2068話 続・経年変化 その34

読書 10 ガイドブック3

 過去の『地球の歩き方』を調べていて、初期のガイドがデジタル復刻されているのを発見した。『地球の歩き方 3 インド・ネパール 1982-1983(初版復刻版) インド・ネパール初版復刻版』は見つけたのだが、『アメリカ』や『ヨーロッパ』など他地域のものは復刻されていないようだ。

 私はインド旅行事情に詳しくないが、アマゾンのこの復刻版があるページの、「サンプルを読む」で旅行の準備編を読んだ。パスポート申請書の書式も出ている。あのころは、若者のまわりに海外旅行経験者が少ないから、パスポートとはなにか、ドルの両替はといた基本情報をきちんと書いておかなければいけない時代だった。だから、日本人の海外旅行史を知りたいと思い、その種の資料を買い集めて来た。インドの旅行情報以前に、日本を出るための準備をすべて頭に入れておかなければいけない。今でも、海外旅行は初めてという若者はいくらでもいるが、友人知人家族に経験者は多く、インターネットの情報も豊富にあるから安心かというと、初めての外国はやはり不安だろうとは思う。

 中国や朝鮮など東アジアを除いて、日本人は長い間アジアには興味がなかった。例外が地政学に興味があったり、移住や移民に興味のある人たちだった。戦後も、多少なりともアジアに興味を持っていたのは、仏教研究でインドに行く人たちだった。聖地巡礼である。ただの旅行者がインドにまとまってやってくるのは、『地球の歩き方 インド ネパール ‘82~’83』が出てからだが、インドに興味がある人はたいてい東南アジアは通過点に過ぎなかった。だから、今でも、アジアに興味を持つ人は、東アジア派のほか、インド亜大陸派と東南アジア派に分かれ、東南アジア派はインドシナ半島派と海洋アジア派に分かれる。インド派が北と南に分かれるのかどうかは知らない。

 1960年代のアジア旅行の資料はあまりない。ここでいう旅行資料とは、ジャーナリストや小説家などの取材旅行ではなく、個人旅行者の旅行がわかる資料のことだ。今まで調べたわずかな資料は、雑語林375話1029話にすでに書いている。

 インド安宿史はわからなかった。1960年代はそもそも旅行者が少なかったという理由もあるが、私が本腰を入れて調べたことがないせいでもある。

 タイの旅行事情は、長い時間と多少の調査費をかけたせいで、少しはわかった。戦前の旅行記も少しは集めたものの、なんとも残念なのは、金子光晴はマレーから北上しなかったから、タイ編がないことだ。林芙美子は戦時中のベトナムやボルネオに行ったが、タイには行っていない。戦後では、海外旅行が自由化される前のタイは、梅棹忠夫の『東南アジア紀行』でわかる。1964年以降は、無名の若者の旅行記がいくつか出版されていて、多少参考になった。すでに書いたように、タイの旅行ガイドは何冊も買い集めてある。ベトナム戦争時代のガイドに、拳銃を持って飛行機に搭乗する場合は、銃は事前に乗務員の渡しておくことといった記述があり、米軍兵士用のガイドをそのまま日本語に翻訳したとわかる。ワールドフォトプレスの『タイの旅』の1970年代の版にはイラストマップがあって、在りし日のバンコクがわかって興味深い。地図も集めているから、変化がわかって、興味深い。

 「バンコク安宿列伝」は、『バンコクの好奇心』(めこん、1990)に書いた。カオサンにはまだ安宿がなかった時代の文章だ。1990年代以降のカオサン時代の安宿について書いた人はいるが、カオサンの安宿誕生史を実証的に書いたものはない。イスラエル人旅行者とカオサンの関係を調べれば、修士論文クラスの価値はあるのに。