1495話 『失われた旅を求めて』読書ノート 第13回

 

 カオサン その2

 

 『地球の歩き方 タイ ‘89』(1989)は、なぜか、それまでの、そしてそれ以後の『’90~‘91』のように2年単位になっていない。その理由は不明だが、ここではそのガイドに載っているバンコクの安宿情報の話をする。

 「バンコクのホテル」は12ページにわたる記事で、ホテルは地域別に5か所に分けて紹介しているのだが、最初のグループは「カオン・ロード周辺」(なぜか、カオンになっている)だ。すでに日本人旅行者の人気地区なのかと思ったが、そうでもない。紙面の扱い方と序文は矛盾する。

 「民主記念塔近くのカオザン・ロードは、ここ2~3年で急激にゲストハウスの増えたエリア。日本人には馴染みは薄いが、欧米人ツーリストの間では『バンコクに着いたら、カオザンヘ』というのが合言葉になっており、安く(50~150B)わりと快適に過ごそうと思っているなら、このエリアに足を運ぶのがいちばん手っとりばやい」(以下略)。

 英語の本で資料を探すと、手元に”Thailand a travel survival kit”(lonely planet)がある。初版は1982年だが、私が持っているのは1984年版だ。これでバンコクのホテル事情を調べると、カオサン通りがあるバンランプー地区が見出しで、「ホントに金がない旅行者は、カオサンを目指せ。そこは、近頃ゲストハウスが雨後の筍のごとく(spring up)できている」とある。

 もうちょっとあとの時代には、私はすでにバンコクで下宿生活をしていたから安宿探しの必要はなかった。カオサンと呼ばれる地区が、どのように生まれつつあったのか、実際には知らない。90年代に入り、タイの新聞でもカオサン地域が取り上げられるようになった。

 1982年に「バンコク遷都200年祭」が大々的に行われるということで、急増する観光客の宿泊先対策として、いままであまり安宿がなかった王宮付近にゲストハウスができていった。1986年から88年まで、”Visit Thailand Year”という観光振興キャンペーンが大成功して、なおいっそうホテル不足となった。入国者数が1980年の2倍くらいに増えたのだ。2018年のタイ入国者数3828万人に比べれば、1988年に400万人になったというのは微々たる数字だが、わずかな高級ホテルのほか、元R&Rホテルと旅社しかなかったバンコクに来る旅行者がいっきに200万人増えたのだ。このあたりの事情がよく分かるのは、1987年に完成した、タイ最初に超高層ビル(152メートル)であるバイヨークビルだ。賃貸マンションとして営業が始まったが、ホテル不足に目をつけてすぐさま入居者を追い出し(タイでは、簡単にできる。金持ち優遇の国だから、居住権などないに等しい)、バイヨークスイートというホテルに姿を変えた。オフィスビルも病院も、街の個人商店も、次々とホテルに代わっていった。銀行のビルが3か月後にホテルに変わったのも知っている。

 そういう時代に、カオサンは大きくなり、有名になった。カオサンに注目した研究者は何人かいて、論文も書いているが、その内容はどうも怪しい。