2093話 続・経年変化 その57

食べ物 2 最後の食事

 「つまらない質問」という話を、このアジア雑語林で何度か書いた。「あなたにとって、~とは何ですか?」といった質問は、「わたくし、哲学的でしょ」と自慢したいのだろうが、ハナを垂らしながら「アタシ、バカで~す」と告白しているようなものだ。

 単純バカな質問は、「一番」というやつだ。旅行ライターでなくても、よく旅をしている芸能人が受ける質問は、まず「いままで何カ国くらい旅行していますか?」のあと、「一番好きな国は?」、「一番おいしかった食べ物は?」などと「一番」が続く。「一番好きな歌」、「一番好きな映画」などなど、「一番」の質問はいくらでもあり、無能な記者の質問在庫は豊富だ。

 「一番」よりも昔から「バカ質問」の代表とされつつもバカインタビュアーが繰り返しているのが、いわゆる「無人島質問」だ。「無人島に持っていくとしたら、どの本ですか?」といったものだ。食べ物関連だと、「人生最後の食事は?」というものもある。「突然死でない限り、人生最後の食事は点滴なんだよ! アホッ!」と言いたくなる。

 しかしながら、「最後の食事」を考えていた時期がある。生涯最後といった大げさなものではない。日本とタイを半年づつ行き来していたころのことだ。秋になり、あと1週間ほどでタイに行くなあというころ、「さて、日本で何を食べておくか」と考えるのだが、特に何も浮かばない。バンコクなら、カネさえ出せばほとんどなんでも食べられるから、特定の店の特定の料理というのでなければ、「半年日本の食べ物はないのだから、何を食べておこうか」という迷いはない。これが、タイでなく、「アフリカで半年」というならどうか。1年くらいアフリカで暮らそうかと思って出かけたときでも、日本を出る直前にすし、刺身などを食べまくった記憶はない。唯一心配していたことは、コーヒーだ。ケニアはコーヒーは生産しているがほとんど輸出に回されていて、国民は紅茶を飲んでいるという情報を得ていた。コーヒーが大好きな私は、湯を沸かすキャンプ用品とインスタントコーヒーを持って行こうかと思ったのだが、荷物になるのでコーヒーは我慢することにした。ケニアの紅茶はインド風で、それはそれでうまかったので、コーヒーに対する欲求不満はなかった。

 タイで半年間暮らしていて、日本の食べ物が恋しくなったということはない。先に話した「最後の食事」ということでは、タイを離れる数日前に、タイで食べておく料理を考えていることがよくある。そのときの半年間の滞在で、食べる機会がなかった料理を考えるのだが、結論は毎回同じだった。ありふれた料理なのに、半年間一度も食べていないのはカーオ・パット(チャーハン)だ。タイに居れば、いつでも、どこででも食べることができる料理だから、食堂ではいつも「チャーハン以外の何か」を考えているのだ。チャーハンを食べない理由はもうひとつあり、実はあまりうまくないからでもある。高級料理店のチャーハンはパラパラが大好きな日本人好みなのだが、屋台・食堂レベルでは、油ベタベタチャーハンだ。青菜やトマトなども入れるから、私好みではないのだ。餃子もチャーハンも、日本で食べるのが一番うまい。とはいえ、タイで時々食べていたのは、近頃の日本で「ガパオ」と呼ばれている「カーオ・パット・バイカプラオ」を飯にのせず、飯と一緒に炒めてもらう料理で、半熟の目玉焼きとともに食べると、うまい。こういうチャーハンは、タイで食べていた。

 旅先の食べ物になんの不満もないというのは、長い間東南アジアを旅していたからだと、ヨーロッパを旅するようになって気がついたという話は、次回に続く・・・予定だったが、日程の都合で、ブログの更新を中断して、ちょっと散歩に出かけることになった。あくびをしているほどの、ほんのわずかな期間だが、このコラムは休載することになってしまった。しばし、待たれよ。

 私はまだ、円安の恐ろしさを知らない・・・・。ああ、こわい。