2089話 続・経年変化 その53

植物 5 パクチー

 今の日本では、「コリアンダ―」を知らない人でも、「パクチー」ならよく知っているという人は少なくない。

 90年代初めだった。テレビでメキシコ料理のタコスの説明に、レポーターが「あっ、これパクチーが入っていますね」というのを聞いた。そのレポーターはタイ料理を少しは知ってたようだ。私はカリフォルニアでタコスを食べて、忌まわしきパクチーが入っているのを知っていた。「タイだけじゃなく、メキシコでも私を苦しめるのか、このゾンビめ!」という気分だった。90年当時は、テレビでタイ料理を取り上げることなどめったになく、だから「パクチー」という語を日本で耳にすることもない時代に、メキシコ料理の説明に「パクチー」が使われたので、パクチースペイン語起源じゃないよなあとは思いつつ、スペイン語辞典にあたったことがある。それ以後も、コリアンダータイ語の「パクチー」で説明することが普通になってきた。ベトナム料理の説明に、ベトナム語のザウムイ(rau mùi)ではなくタイ語名のパクチーを使っているのは変だよなあと思うことはあるが、日本人にはその方がわかりやすいのだろう。

 この際だから、パクチーを巡っていろいろ調べてみる。ネット上に、「パクチータイ語でどう言いますか?」という質問があって、そういう時代になったんだなあと思った。そういう質問が出るののも無理はないのかと思ったのが、NHK放送文化研究所のブログで最近の新語としてパクチーを取り上げた回がある。パクチーの英語名はコリアンダー(Coriander)で、韓国(Korea)とはまったく関係はありませんと説明している。誤解している人もいたんでしょうね。

 さて、このパクチーというタイ語の言語的な意味が気になって、今まで何度も調べてみたのだが、その糸口もつかめない。パクは日本語の「~菜」というような使い方をして、野菜によく使う。パクブンは、タイでもっともよく食べられている野菜の空心菜だ。パク・カナーはカイラン。パク・カーオ・トンはドクダミ。だから、パクはわかるがチーがわからない。タイ語でこのチーは、「尼僧」という意味しか辞書には出ていない。タイ語・中国語辞典である『泰漢詞典』(広州外国語学院編、泰国南美有限公司+香港商務印書館、1986)で、パクチー(ผักชี)のチー(ชี)を調べてみると、1、尼僧 2、パクチー(芫荽)とある。中国語でコリアンダーは香菜、香草が一般的だが、広東語では芫茜(インサイ)という。タイ語のチーが中国語起源だとしたら、対応する漢字は荽かもしれないが、その語の潮州語など中国南部の発音は、suiやsaiのようで「チー」ではない。

 ラオスには、ラーオ語でパクシーというハーブがある。パクチーのことかと思ったら、ディル(dill イノンド)のことだが、このハーブをタイ語ではパクチー・ラーオ(ラーオ族のパクチー)と呼ぶからややこしい。パクチーはラーオ語ではパク・ホーム・ポムという。タイでは「ホーム」はネギなどをさす植物によく使われる語だ。「ポム」という語についてはわからないし、ラーオ語辞典では「砦」とあるので、ますますわからない。そこで、冨田辞典(『タイ日大辞典』)で調べてみる。イサーン方言としてでているかもしれないという勘だ。調べると、あった。パクチーは、イサーンではパク・ホーム・ノーイ、北タイではパク・ホーム・ポムとある。さすが、冨田辞典だ。

 ラーオ語のことはいくら調べてもネット情報以上のものはわからないので、ラオスとラーオ語に詳しいめこんの桑原さんに電話したら、「ラオス人に聞いてみましょう」という返事をいただいた。そこで、次回でその報告と共に再考察する。