植物 4 パクチー1
タイに初めて行ったのは1973年で、もう50年以上前のこととなった。そのときに、タイ語ができる日本人や、英語ができるタイ人からタイ語の基礎を教えてもらった。簡単な挨拶や数字は、すぐに覚えられた。「覚えられた」という語は問題で、カタカナやローマ字表記されたタイ語はすぐに覚えられても、正しく発音できるわけでも、聞き分けられるわけでもない。「タオライ」(いくら?)という質問はすぐに覚え、発音もマネできたが、話しかけた相手が発するタイ語が聞き取れない。
ついでだから、この話をもう少し掘り下げる。1970年代当時、宿代を除けば、バス代も食事代も10バーツ以下だったから、1から10までの数字を覚えれば充分だと思う人がいるかもしれない。タイの数字はフランス語のように複雑ではないが、タイ語は声調言語なので、音の調子によって意味が変わる。小鳥が泣くように聞こえるタイ語を発音を覚えるのは難しい上に、当時はバーツの下の単位サタンがあった。100サタンで1バーツだ。さすがに、「12サタン」だの「58サタン」といった価格はなかったが、25サタンのコインはあって、25、50、75という使い方をしていた。話ことばでは、25サタンを「1サルン」という。50サタンは「2サルン」になるからややこしい。だから、カタカナのタイ語を丸暗記してもなかなか通じないし、聞き取るのも難しい。それでも、絶対に覚えておかなければいけないタイ語があった。
単語だけでなく、文章として最初に覚えたのが、臭くてたまらない草を料理に入れないように「マイ・サイ・パクチー」(パクチーは入れないで)というタイ語だ。これは私の発音でもすぐに通じた。言語レベルでは通じているのだが、タイのおばちゃんは、麺料理の最後の仕上げにパクチーを放り込むとように体に仕組まれているから、習慣的に、このフレーズは耳に入ってもすぐに耳から出ていく。あるいは、パクチーを入れないなんていうことはありあえないから、「この外国人が口にしたのは何かの誤りだろう」と理解を拒絶する。いままで何千回もやったように、いつものようにパクチーを丼に放り込む。
麺の丼にパクチーを放り込んだおばちゃんに、「パクチーを入れないでって言ったじゃない!」と抗議すると、「大丈夫、おいしいから」と平然と答えるのがタイスタイルである。
ある屋台で、いつものように「パクチーは入れないで」と注文したら、食事をしていた若者が、「パクチーが嫌いなの?」と聞いた。「そう、大嫌いだよ」というと、「なぜ?」と聞かれた。「臭い(メーン)からだよ」というと、意外な言葉が返ってきた。「そのタイ語は違うよ。パクチーは『ホーム』(香しい)が正しい。 『メーン』というのは誤りだ」などという。タイ人と話をしていると、パクチーが嫌いという人はいるようだ。日本でもネギや山椒が嫌いという人はいるから、パクチーが嫌いなタイ人がいてもおかしくない。それでも、私のようにひと切れでも嫌だという人は少ないのかもしれない。
今、こうしてパクチーを解説なしに書いているが、1980年代では、いや90年代でも、「パクチー(コリアンダー)」と説明をつけないといけなかったが、「コリナンダ―」がわからない人も多かった。インドのスパイスを揃えている人なら、粉末のコリアンダーは知っているだろうが、生のコリアンダーはまだ日本では手に入らなかった。正確に言うと、パクチーを出すタイ料理店はあったが、家庭菜園で栽培したものだったようだ。1990年代になると、日本在住のラオス人かタイ人がパクチーの栽培を本格的に始めたという話題をテレビで見た記憶がある。
この話、長くなりそうなので、次回に続く。