1970話 服が長持ちする理由 その2

 「私の20世紀の旅」などと言うと大げさな気がするが、2000年あたりまでは熱帯を旅していた。あのころの服はすぐ傷んだ。その理由は、安物の服だったからでもある。1990年代、バンコクのチャトゥチャックの週末市場で売っていたTシャツは、一番安いのは4枚100バーツ(1バーツ約3円)だったが、もう見るからに安物で、ヘナヘナで薄く、太陽が透けて見えた。1回洗濯したらボロになることは確実で、さすがの私も手を出さなかった。3枚100バーツか2枚100バーツが、私の相場だった。1枚100バーツのTシャツは、デザイナーが作ったブランド品だった。

 タイの衣料品と言えば、ナイジェリア人を思い出す。1990年代の初めころからだと思うが、バンコクにナイジェリア人が集まってきていた。バンコクで大量の衣料品を仕入れて、ナイジェリアに発送する仕事をする人たちが多くなり、プラトゥーナム地区にアフリカ人街ができていた。西アフリカ料理を出す食堂やナイジェリアなどの音楽CDやDVDを売る店もあった。西アフリカのfufuを初めて食べたのはここだ。

 ナイジェリア人たちがタイで買い付けるのは衣料品だけでなく、ヘロインも主要商品のひとつで、新聞紙上では「ナイジェリア人逮捕」という記事がよく出ていた。当時の、ドンムアン空港史上最重量の、ヘロイン持ち出し事件を起こしたのもナイジェリア人だった。「刑務所はナイジェリア人だらけ」という新聞記事も覚えている。

 2010年代に入った頃、長年タイで暮らしている知人に「あのアフリカ人は、まだバンコクにいるの?」と聞いたことがある。

 「まだいるけど、仕入れるのタイ製の商品ではなく、中国からの輸入品だね。大規模にやっている業者は、中国に拠点を移したよ」

 今、ネットで調べると、アフリカ人街情報はまったくない。ストリートビューでかつてのアフリカ人街のあたりを歩くと、わずかに昔の名残が見えるが、かなりタイ人の街に戻ったようだ。それにしても、土産物屋らしき店に、CANABBISという大きな看板があるのが気になった。タイでは、大麻は合法なのだ。

 経済の成長にともない、タイであまりに安いTシャツは売られなくなり、日本でも安かろう悪かろうのTシャツは次第に減った。それが、服が長持ちするようになった理由のひとつだ。服が丈夫になったのは、ユニクロの功績が大だ。

 私の服がちっとも傷まずに、いつまでもタンスに入っている最大の理由は、私の運動量が大幅に減ったからだ。運動量とは別に、手持ちの衣料品が大幅に減り、そして増えたことがあった。

 タイと日本との二重生活をしていたころ、タイに戻ると「やっぱり、日本にはうまいものがいっぱいあって、さんざん食べたようですね。だいぶ、体重が増えましたね」といわれ、日本に戻れば、「タイ料理はおいしいですからね。毎日たっぷり食べてたようですね」と言われた。結局、タイと日本の往復生活で体重が増えた。それが衣服の問題となるのは、タイ生活をやめ、基本的に日本で住むと決めてからだ。

 その話は次回。