1969話 服が長持ちする理由 その1

 服が長持ちするという実感がないだろうか。

 「この服を買ったのはもう10年前か、いや20年を超えるか」などということに気がついたことはないだろうか。30代の人なら、高校生時代に買った服をまだ着ていることに気がつくかもしれない。

 昔は、服が長持ちしなかった。理由はいくつもある。

 ここ10年くらいはほとんど熱帯を旅行していないが、1990年代に、タイなど東南アジアで半年、日本で半年過ごしていたころの話をすればわかりやすいだろう。

 バンコクで暮らしていた頃は、朝起きると、すぐ水を浴びる。洗濯をしてあるパンツとシャツに綿のズボンをはく。熱帯アジアを転々としていたころは半ズボンをはいていたが、「半ズボンなど子供がはくもの」という意識が強いことを知り、現地の感覚に合わせようと長いズボンをはくことにした。Gパンは洗濯するのが大変だから、熱帯の旅にはふさわしくない。インドネシアでは、バティックの布を買い、ズボンをオーダーメイドしたことが何度もある。Gパンよりも、よっぽぼ快適だ。

 部屋で新聞を読みながら朝食をとり、出かける。週に2度くらいは昼食後部屋に戻り、水浴びをした後、洗濯をする。洗濯機はないから、手洗いだ。1990年代当時、バンコクにコインランドリーはなかったか、あったとしても私の生活範囲では見かけなかった。

 これは私の想像なのだが、「洗濯洗剤は、泡は多く出るほど汚れが落ちる」という信仰にも似た思想があるように思った。日本でも、かつては川が洗剤のせいで泡だらけになる公害問題が取り上げられるようになり、日本の洗剤は「汚れは落ちるが泡は少ない」という方向に向かったが、タイでは「泡がよく出る洗剤が、汚れがよく落ちる洗剤だ」と信じられていたように思う。。

 というような事情があったから、洗濯ではすすぎが大変だった。特にシーツとバスタオルの洗濯が大変だった。洗濯は、汚れを落とすのが大変だろうと思っていたが、毎日バンコクを歩いているだけだから、それほど汚れるわけではない。問題は、汗だ。だから、洗うのはざっとでいいのだが、泡だらけの洗濯物を絞り、すすいでも、また泡が出てくる。またきつく絞り、すすぐということを週に2回か3回やっていれば、生地が傷み、縫い目がほつれる。

 アジアを旅していたころは、単行本の取材という目的があった。種々雑多なテーマが頭にあったから、近所の食堂に行く時でも、カメラバッグを肩にかけていた。食堂周辺でおもしろいものを見つけて、しばらく散歩することもあるし、食堂で変わった料理を見つけたら撮影しておかなければいけない。全方位貧乏ライターは、部屋を出たら「仕事中」なのだ。バッグの中には、一眼レフカメラ、レンズは35~70mmと24mm(F2.8)は常用で、コンサートに行く時は128mmF2.8を持って出かけたが、重いのでいつもは部屋に置いていた。ストロボは24mmレンズに対応するように、カメラよりも大きいものを持っていた。24mmレンズを諦めれば荷物が少なくなることはわかっていたが、広角で寄った構図は魅力的だった。ストロボ用の乾電池にフィルムはいつも最低5本は入れていた。その他にノートや筆記具などが入っていたし、散歩途中に本屋に寄ることが多いから、本の重さも加わる。

 荷物が重いので、丈夫なバッグを探し、「防弾チョッキの生地を使用」がうたい文句のカメラ用ショルダーバッグを愛用していた。いつも重いバッグを肩にしていると、シャツの肩の部分が薄くなり、破れやすくなる。ズボンのポケットの部分がバッグとこすれて、穴があく。

 タイ人は豊かな生活ができなくても、日に何度も水を浴び、清潔な服を着る。「清潔さ」が生活の重要な価値観だ。本屋などで旅行者が近くにいると、汗臭さで気がつくことがある。カオサンからやってきて、『地球の歩き方 タイ」』を立ち読みしている旅行者が、臭いのだ。かつての自分も、そういう臭い旅行者だったことに気がついた。だから、タイで旅行者から生活者となって、タイ人と同じような「清潔な生活」をしようと決めた。だから、こまめに洗濯をするが間に合わないこともあり、衣服が増えた。だが、タイ語学校に通っていた時に、「昨日と同じズボンかい? 臭くなるでしょ」と教師に言われたのはショックだった。ズボンを毎日洗濯する気はなかったが、週に2回は洗っていた。

 こういう過酷な使用に耐えられない衣服が、半年で命を終える。