◆服装 その1
今回の連載コラムを「経年変化」としているが、変化していない例のひとつが服装だろう。タイと日本を往復していた1990年代から体形が変わり始め、タイに行くと友人が、「やっぱり日本はうまいものが多いようで、太りましたね」といい、日本に戻ると「タイはうまいものが多いから、どんどん太っていくね」と言われ、その繰り返しで、服のサイズが合わなくなった。そういうわけで、「サイズの変化」はあるものの、服そのものは高校の制服を捨てて以後、大きな変化はない。VANとかIVYとかDCブランドとか、そのときの流行とは無縁に過ごしてきた。これも一種の流行ではあるのだが、Gパンとシャツが基本で、冬はジャンパーなどを着る。
日本では珍しいのかもしれないが、この年になっても、礼服以外一度もスーツを買ったことがない。その礼服も、父親の葬式で喪主になってしまったから、大慌てで礼服を買ってきただけのことで、いわゆる「紳士靴」というのも、礼装にあう黒靴しか持っていない。
工事作業員からコック見習い、そして売れないライターになって、世間的な「社会生活」を離れ、「男なら・・・」とか「大人なら・・・」といった規制の枠外に、望んで安住していた。スーツを着なければいけない場には立ち入らないことにしていた。
大学の講師だって、「背広着用規則」などないから、Gパンと半そでシャツで授業をしていたが、学生の授業アンケートに、「服装が教師にふさわしくない」と書いた学生がいて、「そういう学生は、将来中学か高校の生活指導に生きがいを感じるのだろうな」と思った。大学の教師たちを見渡すと、スーツ姿が多く、市役所のようだ。2010年代の立教大学で、規制はないのに、教員の皆さんは背広を着たがるのが、私には不思議だった。しかし、小学校から高校まで、教師は背広(スーツ)着用義務はないのだが、学校による差はあるものの、体育教師以外は背広を着るという暗黙の規則があるのかもしれない。そういう環境で育つと、男は背広を着るものだと思うのだろう。
私の服装の趣味だけでなく、服そのものも経年変化をしにくくなっている。わかりやすく言えば、服が長持ちしているという意味だ。
1990年代まで、1年の半分は旅をしているという暮らしをしていると、Tシャツは半年も持たなかった。外出すればいつも肩にショルダーバッグをかけているから、肩の布が擦り切れて穴が開く。洗濯は手洗いで、石鹸でゴシゴシ洗い熱帯の直射日光にさらすので、生地が傷みやすい。おまけに、タイで買うTシャルの品質にも問題があり、その命はせいぜい半年だった。日本で買ったGパンは1年以上は生き続けるが、脇の、ポケットの付近はいつもショルダーバッグがこすれるから、穴が開く。バッグの耐久性を考えて、「防弾チョッキの生地使用」というショルダーバッグを買ったことがある。宣伝文句どおり生地は丈夫だったが、金具とバッグがこすれるGパンがもたなかった。
2000年代以降、長い旅をしなくなり、自宅で過ごすことが多くなり、「洗濯板でゴシゴシ」ということもなくなり、Tシャツは10年たってもまだ無事だ。
「男だけの感覚かもしれないが・・・」という発言を、ラジオで何度も聞いた。「服はさあ、何年か着ていると、生地が柔らかくなって着心地がよくなるんだけど、そういう服を女房は『汚い』とか『みっともない』とかいって、捨ててしまうんだ。せっかく、育てた服だよ」
包丁にしろカンナにしろ、男は使い込んだ道具に愛しさを感じるという話のひとつだが、その感覚は私にもわかる。だから、工場で破いたダメージジーンズというものを評価しない。