1905話 言葉は実におもしろい。地道に勉強する気はないけれど・・・ その16

 

AUA

 高野秀行さんがAUAチェンマイ校でタイ語を学んだことがあるとは知らなかった。私が通ったのはバンコク本校だが、授業内容は基本的に同じだろう。

 AUAというのは、American University Alumniの頭文字をとったもので、アメリカ留学生同窓会とでもいった意味だ。そういう団体が英語教室を開いていて、その付属で外国人向けにタイ語教室を設けている。私がAUAに行こうと思ったのは、ここで学んだことがある友人の話を聞いたからだ。普通のタイ語学校というのは、日本の英語教室と同じように、教師がテキストを読み、「はい、皆さんで」と言って、生徒が読み、「はい、もう一度」と、何度か読んで、教師は発音や文法の解説をする。AUAの教育方針は、根本的に違っていた。入学のオリエンテーションで、校長はこういった。

 「1年間通うことを前提にしてください。その1年間、学校以外でタイ語をしゃべってはいけません。赤ん坊のように、ひたすらタイ語を聞いて、ちゃんとした話し方を記憶してください」。私はタイ語で話せるようになるよりも、タイの文化がわかる方がおもしろいので、この学校を選んだ。だから、発音練習など一度もやったことがない。

 入門編初級は、タイ語をまったく知らない生徒相手に、タイ語で授業する。教師ふたりが、テーブルに置いた置物を指さしながら、漫才のようなやり取りをする。じっと聞いていると、「それはなんですか?」、「これは犬です」といった内容だとわかってくる。次は色の話だったりと、授業内容が展開していく。聞くだけの授業が可能だった理由のひとつは、タイ語は最初は文法の授業がなくても成り立つからだ。単語の変化がない。単数も複数も、男女も関係がない。時制変化もないから、「行く」を意味する「パイ」は、主語がだれであれ、現在であれ過去であれ、どういう状況であれ、パイでいい。動詞をひとつ覚えれば、それだけで済む。「とんでもなくややこしい」という噂の、ドイツ語やロシア語の複雑な文法になやまされることがない。語順も厳しく規定されないから、極端に言えば、単語を並べるだけでいい。だから、入門編では詳しい文法の授業が要らないのだ。

 私のタイ語力は、入門編初級第1課よりちょっとだけマシという程度だったが、自分の能力を考えず、上級の授業を選択した。「先生のお話」がおもしろかった。アメリカでタイ語教師をやっていたことがある教師が、アメリカに行ったタイ人のカルチャーショックの話や、タイで暮らしている外国人の「カルチャーショックあるある」といった話などもあった。先生の少年時代の思い出話もあった。そういう話をやさしい言葉で、わかりやすい発音で30分ほど話す。タイ語初心者でも聞いていてわかる話し方のプロだ。

 先生が言う。

 「教師の話が20パーセントしかわからないと、退屈だ。でも、90パーセント以上わかるような話も退屈だ。だから、わからない単語がいっぱい出てきても、想像すると60パーセントか70パーセントくらいはなんとかわかるというのが、ちょうどいいんです」

 「新聞を読む」という授業も、おもしろかった。先生が新聞を持って教室に来る。

 「さあ、きょうはどんな記事を読みましょうか?」と聞くと、オーストラリアから来ている悪ガキたち(といっても30代の男どもだが)は、「きょうも、スケベ記事!」とせがむと、30代の女性教師はニコニコしながら、「皆さんが気に入るスケベ記事はあるかしらねえ」などと言いながら、スポーツ新聞にでているようなきわどい話題を探す。タイの基礎学力がないといけない話題は避けて、笑える記事を探し、それを生徒がわかるような構成にして、ときに解説をしながら話していく。

 AUAには、このように見事な腕前の教師がいたが、はずれると幼稚園児扱いをするひどい授業になる。「はい、みなさん。ダンスしてみましょうか?」とお遊戯をさせたがる。同級生のUCLAの心理学教授と目が合って、「勘弁してくれよな」と目で愚痴を言い合った。これはタイ社会全体でも言えることで、個人の能力差が大きいのだ。

 授業を受けたいが、私のタイ語力があまりに低いので、受講が許可されなかった科目があった。「俗語、口語」の授業で、「中級編修了者に限定」という条件がついていた。この授業を受けたことがある友人によれば、「ここで覚えた単語や表現は、教室の外では決して口にしてはいけませんよ」といわれたという。卑語、けんか言葉なども学ぶから、タイ人に対して不用意に口にする、軽蔑されたりいきなり殴られる可能性もあるからだ。

 短期間にタイ語がしゃべれるようになりたいなら、ほかのタイ語学校に通った方がいいが、タイの社会や文化をたっぷり吸収したいのならAUA以上の学校は当時なかった。今は知らないけどね。