■話したいこと 上
ラジオのスイッチを入れたら、男がしゃべっている。誰だか知らない。昼の番組だ。テーマは英会話らしい。
「英語を話せるようになりたくて、アメリカに行ったんです。留学して半年たっても、しゃべれるようにならないんです。授業はちゃんと受けていたし、復習もしていたんです。小テストの成績も悪くはないんですが、教室でも、街でも、英語がしゃべれるようにはならないんです。なぜかと考えたら、わかったんです。ボクにはしゃべりたいことなんて何もないんだって。生活に必要な会話は、もちろんすぐにできるようになりましたよ。でも、学校で討論をするとなると、まるでしゃべれない。話したいことがないと、しゃべれないという現実がわかったんです」
英語でなくても、何語でもいい。勉強しているのに、しゃべることができない。中高の6年英語をやってもしゃべれないといった不満を口にする人が多い。しゃべれない理由を教師や教育方法に問題があると主張する人が多いのだが、本当の原因は話したいことが何もない生徒側の問題なのだ。日本で暮らしているインド人やスリランカ人やイラン人たちがたくみな日本語をしゃべるのは、長年日本語学校に通ったからではなく、日本語ができないと日本で生活できないからだ。タイ人は、英語ができればその能力に応じて高給を得る仕事にありつける。ホテルや旅行会社などで、カネを持った外国人相手の仕事をすれば、稼げる。英語を学ぶ明確な目的があるのだ。
高野さんがさまざまな言語を学び、話せるようになっていく理由のひとつは、彼は話したいこと、聞きたいこと、言葉を交わしたいことがいくらでもあるからだ。パスポートや航空券を盗まれたときの苦労が33ページに書いてある。何とかしないとどうにも困るときはしゃべるようになるのだ。必要があれば学ぶのだ。英語ができないと生きていけない人は、何としてでも学び続けるのだ。助けてくれる人が近くにいないひとり旅なら、自分で何とかしないといけないのだ。
私はアメリカに留学したことがないから、経験者から聞いた話をする。大学の授業は基本的に教師と学生とのやり取りで成立する。教師が話し、学生は質問や意見を口にして、授業が進展する。したがって、授業中にひとことも発しない学生は、授業内容を何も理解していないか、授業テーマを考える知識や思考力がないと判断される。アメリカではただ黙って授業に出ているだけでは、「不可」の判定だという。授業の内容や学校による違いは当然あるだろうが、授業中にまったく発言しない学生に高い評価は与えられない。
「でもねえ・・・」と、留学経験者が言う。アメリカの大学生がみんな優秀ではないし、勉強をしたくない学生もいる。授業についていけない学生もいる。しかし、授業中無言で通せば「不可」の成績になる。「だから、立ち上がって何かしゃべるんだよ。感想のようなものをベラベラしゃべるが、内容は何もない。とにかくしゃべらないと『負け判定』なんだよ」。ケンカと同じで、反論しなければ、負けを認めたことになるというのと同じなのだ。